34 お仕事
「メリッサと申します。こちら7歳になる息子のティモシー」
「こんにちは!」
ティモシー少年は元気よくあいさつします。
良い子ですね。でも今はまだおはようございますの時間ですね。
そんなことをしている内に女将さんとホークヤード閣下が戻ってきました。
ラッセル殿下とホークヤード閣下、そして数名の騎士さんが『腹ぺこ亭』の奥の席で警護の計画を練っていらっしゃいます。
ちなみにラッセル殿下はホークヤード閣下の持ってきた制服に着替えています。
「……あちらの騎士様方はどうされたのです?」
「あ、えーっと、お気になさらず!!」
私は適当にごまかしました。
隣には帰ってきた女将さんも座ってます。百人力です。
「ええと、メリッサさんは2年前に旦那さんをご病気で亡くされた……と」
「はい……もう2年にもなりますし、私もまだ27です。周りがティモシーのためにも再婚しろと勧めてくれまして……」
「なるほど……」
『ティモシーのため』。メリッサさんはティモシー少年を本当に大事にしているようです。
彼女が息子に向ける視線はお風呂に入っているときのようなホカホカした温かさがあります。
対するティモシー少年がメリッサさんに向ける視線は晴れの日に干した後の掛け布団のようです。
温かな家族。私には縁遠いもの。
ああ、いけません。私情を挟んでいる場合ではありません。
「ティモシーくんはお父さん、ほしいの?」
落ち着いた声で女将さんがティモシー少年に尋ねます。
「うーん、お母さんがそれで楽になるなら……」
ティモシー少年は困ったようにそう言いました。小さいのに出来た子です。
メリッサさんの今のお仕事はお針子さんだそうです。
「……今はとにかく生計を立てるために、家に帰っても毎日毎晩、仕事をしていますので、この子にも寂しい思いをさせていて……」
メリッサさんは申し訳なさそうにうつむきます。
大変な生活をされているようですね。
「ふむふむ……」
女将さんが困ったように頷きます。
……子連れ再婚というのは面倒なものなのかもしれませんね。
優しい旦那さん、そしてティモシー少年のお父さんを見つけてあげなくては。
「あ……」
ふと一人の方の顔が思い浮かびました。
いえ、でも、どうなんでしょう。
そんな不純な理由で結婚など勧めて良いものでしょうか?
「……あ、あの、メリッサさん」
「はい?」
「旦那さんに求めるものはなんでしょうか」
「……安定した生活とティモシーを大切にしてくれること。……私に何かあっても」
「……分かりました。つまり、あなたを愛していなくても、いい?」
「……そうですね。もう、女としてのどうこうは要りません」
メリッサさんの目には固い信念がありました。
「…………」
あの人なら、適任でしょう。
少しお話しした印象ですが、とても紳士で立派な人です。
あとは愛のない結婚を神様と彼ら自身が許せるかです。
「ラッセル様!」
「ああ、どうした」
「外出したいです!」
「ううん」
ラッセル殿下は困った顔をされましたが、周りの騎士様方に目配せすると、立ち上がりました。
「護衛がつくが、いいか?」
「はい! あとラッセル殿下のご威光をお借りしたいのですが!」
「ああ、構わない。俺の肩書きが使えるのなら存分に使うがいい」
「ありがとうございます!」
私はぺこりと頭を下げると、メリッサさんの相手を女将さんにお任せして、ある方の元へと向かいました。
騎士様を5人ほど率いて向かったのは北区の伯爵家でした。
そうです。伯爵の息子さんの元です。
こちらもオフィーリアさんの家と同様、王宮の見えるところに建っています。
「…………」
いつかは結婚しなくてはいけないとおっしゃっていた伯爵の息子さん。
ティモシー少年の父親を欲しているメリッサさん。
伯爵の息子さんなら生活には苦労もしないでしょう。
……まあ、伯爵の息子さんが恋を諦められないというのなら、私の考えなど一蹴されるでしょうが。
伯爵家への取り次ぎはラッセル殿下にお願いいたしました。
子爵家のオフィーリアさんの時もそうでしたが、貴族方はなかなか会ってくださいませんから。
「……どうも」
驚愕と苦笑の入り交じった顔で伯爵の息子さんが出てきました。
「おはようございます! 『お見合い斡旋所』の職員として参りました」
「うん、入ってくれ」
「では、ラッセル殿下、ここから先はプライベートなお話ですので、応接間の外でお待ちください」
「……ああ」
ラッセル殿下は少し心配そうな顔をしましたが、うなずかれました。
私は伯爵の息子さんと応接間に入ります。
給仕さんも下がらせてふたりきりです。
「……ここの扉は厚いから、何を話しても大丈夫だ。ラッセル殿下には聞こえない」
「そうですか」
「……見たんだろう? 私の視線」
「……はい、申し訳ありません」
私は頭を下げました。
思えば、視線を勝手に見たことを謝るのは初めてかもしれません。
幼い頃の私にとってそれは当たり前のことで、王宮に上がってからの私にとってそれはお仕事で、今の私には便利な目ですから。
「私は……あの方が好きなんだよ」
伯爵の息子さんは悲しそうに言いました。
「あの方にお目にかかったのは3年前の王宮での祭典だった。国王陛下のご成婚30周年でのことだった」
「そうでしたか」
私も祭典自体は覚えがあります。
私たち聖女は神殿で国王陛下と王妃殿下が神に感謝を告げるのに参列しました。
あれにラッセル殿下も参加されていたのは知りませんでした。
「……あの頃は父の前妻が亡くなってね。後妻は母が死んでしまっていたこともあって、俺に寛容だった。俺は伯爵家に正式に上がることを許されるようになった」
「…………」
「それでも、風当たりは強く……祭典の中でもまあ周囲の貴族に嘲笑されたよ。そこをラッセル殿下は叱りつけてくださった。晴れの日に何をしているのだ、と……ああ、そうだ。俺を庇ったわけじゃない。ないとも」
伯爵の息子さんは悲しそうに笑いました。
「それでも、嬉しくて、私は……ずっとあの方を……。それで何の用かな?」
「いいお見合い話をお持ちしました。母子家庭のお母様、息子さんの父親を探していて、夫婦としてのあり方を望んでいません。外聞のための結婚には最適な方です」
「なるほど、いい話だ」
「……でも、駄目です。これを紹介することは……いえ、あなたに我が『お見合い斡旋所』から誰かを紹介することはできません」
「……どうして?」
「身の安全を保証できないから」
「……なるほど」
「私を殺そうとしたのは、あなたなのですね」
私を迎え入れたときから、薄暗い洞窟のような寒さでこちらを睨みつけている伯爵の息子さんに、私はそう申し上げました。
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