32 夜は続く

 目を恐る恐る開けると、ラッセル殿下がナイフを持った黒衣の男に向かって拳を振っていました。

 ナイフを持った男は地面に倒れ伏しました。ラッセル殿下はそれを強く押さえつけます。


「カレンちゃん! 大丈夫!」


 切羽詰まった女性の声。先程の女性です。

 振り返れば、青い顔をしたケイトさんが駆け寄ってきました。


「ケイトさん……?」


「大丈夫!? 怪我ない!? 痛いところは!?」


「は、はい……」


 こんなに取り乱すケイトさんは初めてで、私はそっちの方に混乱してしまいます。


「痛くはないです。はい、ラッセル様が守ってくれました」


「当たり前よ!」


 ケイトさんは怒鳴りました。


「好きな女の子の一人や二人、守って当たり前だわ! そうでしょうラッセル殿下!」


「ああ……どこの手の者だ。狙いは彼女か? 俺か?」


 ラッセル殿下は低い声です。あまりに冷え切った声にブルリと背中が震えます。


 刺客の方の目を見ます。

 ラッセル殿下にも私にも普通の温度を向けています。

 ああ、この人は本物です。

 感情なく、人を殺せる方です。


 かつて、王妃様を狙ったのは生活に困窮した庶民でした。そこには憎しみがありました。

 国王陛下を狙うクラリス様は貴族のお嬢さんです。根っからの刺客ではありません。


「……答えられない」


 そういうと、刺客の方は口から血を噴き出しました。


「きゃあっ!?」


「……毒か」


 ラッセル殿下は冷静に言い放ちました。

 ラッセル殿下の腕の中で、彼は死にました。


 人を殺そうとすれば、どちらかは死ぬのです。こういう風に。


「…………」


 体が震えます。ケイトさんが支えてくれます。


 空には大きな音とともに花火が咲いています。

 しかし人々の目は地面に釘付けになっています。


「……騎士殿下、憲兵を呼びました」


「うん、ありがとう」


 憲兵さんと北の騎士寮の方で見覚えのある人たちが駆けつけてきました。


「……北の騎士寮で死体を収容しろ。身元を洗ってくれ」


「はっ!」


「……俺は狙われたかもしれない彼女の護衛につく。ケイト、付近はどうだ?」


「不審な動きをしている奴はいないわ」


「あ、あの……」


 ケイトさんとラッセル殿下は、なんだか既知の仲であるように話します。

 それにラッセル殿下の物言いはケイトさんがまるで何者かであるようです。


「……歩きながら話そう」


 ラッセル殿下がケイトさんから私を奪い取るようにして肩を抱き締めます。

 心臓がこんな時だというのにひとつ脈打ちます。

 ……刺客が亡くなったのを見たときに、心臓はかなりバクバクしていましたが。


 しばらく行って、ラッセル殿下は周囲を見渡します。

 ケイトさんが小さく頷きました。


「……ケイトは王宮勤めの密偵だ」


「え……?」


「二番目の兄上の子飼いだ」


「そう、なのですか……」


「王宮が物騒になりつつある現状で、俺のことを心配した兄上が、俺の補佐としてよこしてくれた。それらを本当に兄上に確認したのは今日が初めてで、最初はどこの派閥の者か分からず警戒していたが」


「……ケイトさんが『お見合い斡旋所』にいらっしゃったのは?」


 その疑問にはケイトさんが自ら、答えてくれました。


「あの方はあの方で母親のことを心配していたのよ。母親が心配してる元聖女のことも見に行ってやってくれって言われて……あと金持ちと結婚したいのも本当」


「そ、そうですか」


「おばあちゃんになるまで密偵やってるわけにもいかないでしょ」


「はあ……」


 聖女はおばあちゃんになるまでやってもおかしくないので、そういうものなのかと納得するような、混乱するような。


「……今日はお祭りだから、人波に紛れて不埒者ふらちものが出るかもって思ってうろうろしてたら本当に出るとはね……」


 ケイトさんは遠い目をしました。


「……あの人、どこの手の者だったのでしょう?」


「俺だけ狙っているなら、クラリスだろうが……カレンを狙っているのなら……正直、誰でもおかしくはない」


「カレンちゃん、国王陛下への進言で敵いっぱいつくっちゃったもんね」


「ケイト」


「事実じゃない。そこから目をそらさせる方が、よっぽど残酷だと思うわよ」


「…………」


「いいんです。ラッセル様、ケイトさんの言うとおりです」


 王宮では気付けば敵だらけでした。

 どこかに私を殺すほど恨んでいる人がいてもおかしくないです。


「……いいんです」


「そう、か」


 ラッセル殿下は辛そうな顔をしました。


 私たちは黙り込んだまま、家路を行きました。


 王宮からは未だに花火が上がり続けていました。


「あら、お帰りカレンちゃん。騎士殿下……とケイトちゃん?」


「私は失礼しますわ」


 ケイトさんはぺこりと礼をすると闇の中に消えていきました。

 恐らく密偵としての役割、あの刺客の出所を探しに行かれたのでしょう。


「……女将さん、今夜、泊めていただけないだろうか」


 ラッセル殿下がそうおっしゃいました。


「……きゃー!」


 女将さんが少女みたいな歓声を上げました。


「あらあらあらあら……優しくしてくださいね。カレンちゃんはうちの看板娘ですからね!」


「ああ」


 ラッセル殿下もさして否定をせずに頷かれました。


 ……してください。否定。


「カレン、部屋はどうなっている?」


「屋根裏部屋をまるまるもらっています。ベッドもふたつあります」


「そうか」




 私の部屋にラッセル殿下がいらっしゃいます。

 ベッドに座って向かい合っています。

 無言です。


「……あ、あの、寝間着に着替えてもよろしいでしょうか」


「……ああ、気付かなくてすまない」


 ラッセル殿下は背を向けてベッドに寝転がりました。

 礼服のまま寝てしまうおつもりでしょうか。

 しわが寄ってしまいますね……。


 私も手早く着替えてベッドに潜り込みます。


「もう大丈夫です」


「うん」


 ラッセル殿下はこちらを振り返りませんでした。

 ランプの灯を消します。


 ラッセル殿下と同じ部屋で寝るのは二回目ですね。

 あの時はあんなにドキドキしたのに、今夜はむなしさばかりがつのります。


 私を愛してくれている好きな人に、私はただ身分が釣り合わないという思いだけでその思いを拒絶しました。

 脳裏に浮かんでくるのはこれまでに成立したご夫婦の姿。

 幸せそうな人、幸せになろうとしている人、不幸だった人。

 色んな人がいましたけれど、結婚とは幸せになるためにするものなのでしょう。


 ……私は、どういう風に幸せになりたいのでしょう。

 私は、幸せになれるのでしょうか。

 私は、幸せを望んで良いのでしょうか。


 頭がグルグルする中、私はラッセル殿下の寝息を聞きました。

 あの時ちょっと恨めしかった寝息が、今は愛おしかった。

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