31 恋

「そうか」


 ラッセル殿下は少しだけ寂しい顔をしました。

 手は握ったままです。


「……ラッセル様は私なんかのどこがお好きなのですか?」


 振っておいてする質問ではないと思うのですが、私はその疑問を問わずにはいられませんでした。


「……君を見ていれば、君の頑張りを見ていれば、君の真心を知れば、好きにならない男なんていないさ」


 歯が浮くような、そして私なんかにはもったいないお言葉です。


「……正直に申し上げて、ラッセル様は恋で目が曇っているのではないかと思わずにはいられません」


 私は、私自身にそこまでの価値を見出していません。


「ははは」


 ラッセル殿下が笑いました。

 目をつぶり、大口を開け、いつものこの方からは想像も出来ない満面の笑みです。

 でも、その笑顔はどこか寂しそうにも見えます。

 私に振られて寂しいのだろう、などと思うのは傲慢でしょうか。


「酷い言われようだ……そうか、俺は、そんなに君のことが好きな目をしているか」


「……はい」


 それを自ら認めるのはなんとも恥ずかしいです。


「気持ちがそれだけ伝わっているのに振られたか。これは……悲しいくらい脈がないな!」


 あえて明るくそうおっしゃいます。

 ああ……殿下、それは空元気ですね。


「分かった。分かったよ、カレン……大丈夫、振られたからといってこれまでの態度を改めるほど、薄情でも陰険でもないはずだ、俺は。うん、たぶんな」


 私の手を握る手に、力がこもります。


「……今晩は、今晩だけは、何もなかったように俺と祭りを楽しんでくれないか?」


「……はい」


「ところで、カレン、もしかして立場を気にして俺を振ったんじゃないだろうな」


「いえ、違います。私は……本当に恋というものを知らないだけです」


 嘘をつきました。


「そうか。立場のことなら、俺が動けばどうとでもなるから、まだチャンスがあるんじゃないかと悪あがきをしてみようとしたが……駄目か。そうか」


 ラッセル殿下は寂しそうにそう言いました。


「……君に、恋を教えられる人間でありたかったよ」


「…………」


 私たちは立ち上がりました。

 飴は半分くらい食べ終えていました。

 急いで食べ終え、棒はゴミ回収の仕事をしている方に渡します。


 空はすっかり夕日色です。

 その内、暗闇に染まるでしょう。


「次はどこに行こうか。ああ、あちらに、ボール投げの屋台が出てたんだ。挑戦してもいいか?」


「はい……」


 テキパキとラッセル殿下が歩んでいきます。

 手は繋いだままです。

 殿下の手は暖かいですね。


「…………」


「酒の屋台も出ているのか、一杯もらうか。君はどうする?」


「私はお酒は飲んだことがないので……」


 聖女は禁酒でした。

 街に出てからも、酔っ払って失敗するのが怖くて、飲んでいません。


「そうか、じゃあ、俺だけもらおう。ジュースでも?」


「いえ、大丈夫です」


「そうか。ワインを一杯」


 片手に私の手、もう片手にワイングラス。

 ラッセル殿下が道を歩くと、人々が振り返ります。


『騎士殿下』と声をかける人もいます。

 殿下はいちいち、小さく礼をします。


 皆が隣の私に興味津々に視線を送ってきます。

 お祭りの雰囲気に当てられているのでしょうか、以前のような冷たい目はその中にはありません。


 ボール当ての屋台に着きました。

 景品はタバコや、オモチャなど玉石混交です。


 繋いでいた手が離れます。私はラッセル殿下のグラスを預かります。

 ラッセル殿下は5回分の料金を払って、ボールを構えました。


 ブンと空を切る激しい音。

 ボール5個中3個が景品に当たりました。

 お酒が入っていてもこの戦績。コントロールがよいのですね。


「タバコは隊長にでも渡すか……カレン、このぬいぐるみいるかい?」


 殿下が示したのはウサギのぬいぐるみです。

 ピンクで本物のウサギのようなかっこうをしていて、ふさふさしています。

 大きさは両手に収まるくらいでしょうか。


「あ、はい……」


「じゃあ、どうぞ」


「ありがとうございます……」


 王子様らしくうやうやしく仰々しく手渡されるウサギのぬいぐるみ。

 私はぎゅっと胸にかき抱きました。


 私は貴族の娘のオフィーリアさんのことを思い出していました。

 何も自分のものなど与えられなかったと泣いてネックレスを喜んだオフィーリアさん。


 思えば、私も自分のものなどほとんどないに等しかったです。

 追放されたときのあまりに軽すぎる荷物のことを思い出します。


 小さなたわいのないウサギのぬいぐるみ。

 その軽さが、私には本当に重たく感じました。


「そうも大事そうにされると捕った甲斐がある」


 笑って殿下はブリキの兵隊を通りすがりの坊やに渡しました。

 坊やは「ありがとう! お兄ちゃん!」と叫んで、親に「騎士殿下!」と叱られています。


 なんてにぎやかで楽しいお祭りの夜でしょう。

 それなのに、私もラッセル殿下も心に何かを渦巻かせたまま、歩いています。

 ラッセル殿下は再び私の左手を握り締めて歩き出しました。


 はぐれないように、なのでしょうか。それとも?


 何かを喋ろうとしても、言葉になりません。


「……花火の時間だな」


 殿下が空を見上げます。

 気付けば空は暗くなっていました。

 春の星がよく見えますね。


 春の星には豊穣を司る女神様デアテラ様がいるそうです。

 お祭りにふさわしい星夜です。


 花火は王宮から上がります。

 真上に咲く花火を毎年、神殿で眺めたものです。


 今日はこうしてラッセル殿下と並んで花火を見ることになります。


 大きな音がして、花火が空に咲きます。

 キレイですね。


「…………」


「殿下! 右!」


 切羽詰まった女性の声がして私は右側を見ます。


 キラリとランタンの明かりに刃物がきらめきました。


「あ……?」


「カレン!」


 ラッセル殿下が私を抱き寄せます。

 私の視界は暗転します。

 バキッと酷い音が聞こえてきました。

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