30 祭りの夜

「……分かった、覚えておこう」


 ラッセル殿下はそう言ってくれました。

 いつも、優しいですね、殿下は。


 私の気持ちを尊重してくれます。


「……祭りを楽しもうか」


 豊穣祭り。

 それは豊穣の女神デアテラ様を称えるお祭りで、今代では王妃様のお祭りでもあります。

 王妃様の聖女としてのお力は豊穣なのです。

 あの方が鍬を持って地面に突きたてるとその土壌は豊かになるそうです。


 ちなみに私の感情を見抜く力は女神アフェクトス様。感情を司る女神様に連なるものと言われていました。


 さて、市井のお祭りです。

 ろくに王宮から出たことがなく、幼い頃はお祭りなんて縁遠かった私には、市井のお祭りは新鮮です。

 色んな食べ物のにおいが混ざり合っていますね。

 お肉やお酒や甘い物、様々です。


「何か食べたいものは?」


「ええと、ええと」


 目移りしまくってから、私は飴屋さんに向かいました。

 練られた水飴が色んな形になって売られています。


「馬! 馬もあります! あれ、ラッセル様の紋章の馬みたいですね」


「そうだな」


 ラッセル殿下は馬の水飴を二本お買い上げになり、一本を私に手渡しました。


「あ、ありがとうございます……」


 飴をなめます。甘いです。


 水飴を片手にそぞろ歩きます。


「にぎやかですね」


 王宮に渦巻く陰謀が嘘みたいに、皆楽しそうに笑い合っています。

 子供が親の手を離れて駆けていきます。


「そうだな」


 この平和が続けば良いのに。

 その思いはラッセル殿下も同じだと思います。

 そうでなければ、市井を守る騎士になどならないでしょう。


 それとも国王が死んだり代わったりするくらいのことは国民の平和に影響を及ばさないのでしょうか?

 私には知らないことが多すぎるのです。

 学べる環境であったはずなのに、何故私は知らないのでしょう。


「…………」


 にぎやかなお祭りの中なのに考えてしまうのはそんなほの暗いことばかり。


 そんな中、遠くから声がしました。


「ケンカだー!」


「おい、やめろ! やめろ!」


「誰か憲兵さん呼んできて!」


 子細は見えませんが、殴り合いのような音も聞こえてきます。


「……すまん、いってくる。そこのベンチに座っていてくれ」


「はい」


 ラッセル殿下は前脚をかじった馬を私に手渡すと、走って騒ぎの方へと向かいました。

 今日は騎士の制服ではありません。

 しかし、ラッセル殿下にとって、ケンカは止めるべきもので、自分が動くべきものなのでしょう。

 それは騎士としてなのでしょうか。それとも『ラッセル』としてなのでしょうか。あるいは殿下としてなのでしょうか。


「おお、騎士殿下!」


「おい馬鹿共! 騎士殿下がいらした、もうやめろ!」


 ……私は今『カレン』として生きています。しかし私はかつて聖女として生きていた瞬間があったでしょうか?


 私はただずっと、王妃様のお役に立ちたいだけだったのではないでしょうか。

 王妃様の役に立ちたい子供。それが私で、聖女だったことなどないのかもしれません。

 だから、聖女になんて戻りたくないのでしょう。


 ……それだけ? 本当に?


「……お待たせ」


 ホコリを払いながら、ラッセル殿下が戻ってらっしゃいました。


「大丈夫でしたか?」


 飴を返すと、殿下は私の隣に腰掛けました。


「ああ、なんてことはなかった。ただの酔っ払いのケンカだ」


「……ラッセル様は何として動かれました?」


「ん?」


 ラッセル殿下が困った顔をします。

 分かりづらい質問でした。反省します。


「ケンカを止めるのは、騎士としてですか? 王子としてですか? ラッセル様としてですか?」


「……祭りを、君と楽しみたい一人としてだ」


 予想外の答えに私の水飴をなめる舌が止まります。


「ケンカなんて長引くよりはさっさと止めた方が良いからな」


「……ラッセル様」


 ああ、私は、この人が好きなのでしょう。

 今よく分かりました。


 胸がドクドクと脈打ちます。

 飴をなめます。


 それしか出来なくなります。


 ラッセル殿下の視線を盗み見ます。

 相変わらず夏の陽射しのような熱い視線が私を貫いています。


 だけど、私はもう一般の町娘なのです。

 聖女であれば、低位の貴族でも国王陛下とだって結婚できます。

 王妃様がそうでした。


 過去にはただの町民を聖女にして王族に嫁がせたこともあるそうです。


 だけど私はもう聖女じゃないのです。

 ただのカレンが第三王子に恋をするなんて、恐れ多いことです。


「……ラッセル様」


「うん」


「飴、おいしいです」


「うん……カレン」


「はい」


 ラッセル様が私をまっすぐ見つめます。

 視線をそらすなんて失礼なことは出来ません


「……カレン、俺は」


「はい」


「俺は、君が」


「…………」


「俺は君のことが好きなのだと思う……視線が見れるんだ。君の方が、そんなこと分かりきっているだろうけれど」


「ラッセル様……」


 どうお答えすれば良いのでしょう。

 私の身分じゃ釣り合わない。

 そんなことは承知の上でおっしゃっているのでしょう。

 だから、そんな答えは通用しません。


「……わ、私は」


 言葉に詰まってしまいます。

 ああ、視線が熱い。

 飴が溶けるほど熱い。


「私は、人の気持ちは見えるけど、私自身の気持ちは、私には分からなくて……」


「そうかもしれないな」


「私は……私はラッセル様のこと、きっと嫌いではなくて」


「嬉しいよ」


「でも、でも……あの、えっと」


「うん」


 ラッセル殿下は顔色ひとつ変えません。

 ただ私を見つめています。


 私は多分顔が真っ赤になっていると思います。

 飴を持つ手が震えています。


 ラッセル殿下がそれに気付いて片手をこちらに伸ばします。

 ぎゅっと強く手を握り締められて、私はよく分かりました。


「わ、私は、ラッセル様のこと」


 好きです。


「ラッセル様の、お気持ちには……こ、応えられません」


 私はそう言いきりました。

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