21 人の目

 おはようございます。

 一睡もできなかった元聖女カレンです。


 朝の陽が差し込む前に手早く掃除婦のかっこうに着替えます。


 そうしてソファの上で欠伸を噛み殺していると、朝の陽射しが差し込み始め、ラッセル殿下が起きてらっしゃいました。


「おはよう、カレン……ずいぶんと早いな」


「ええ、まあ」


 寝れなかったとは言えません。

 どうしてかと聞かれたら答えられないので。


「着替える」


「あ、はい」


 ラッセル殿下に背を向けます。

 服を脱ぐ音、着る音、そして金具をカチャカチャと留める音。


「着替えた」


 振り返れば、いつも通りの騎士の制服を着た殿下がいらっしゃいます。


「それじゃあ、俺が食堂に行くのにこの掃除道具を持ってついてこい」


「はい」


 掃除道具まで用意されています。

 ぬかりがありません。


 私たちは部屋を出ます。


 キビキビと慣れた足取りのラッセル殿下を、せっせと追いかけます。


 騎士の方々とすれ違います。


「おはようございます、騎士殿下」


「その呼び方をやめろと言っている」


 お決まりのあいさつにラッセル殿下はそう返していきます。


 今のところ殿下に悪感情を持っている方は見当たりません。

 それどころか、大抵の方が殿下に好意を抱かれているようです。


 すばらしいことですね。


 何にせよ、私は目を配ります。


 こういうのは得意中の得意です。

 陛下に請われて舞踏会にも参加したこともあります。

 あの時は100人は見たんじゃないでしょうか。


 ……そういえば北の騎士寮には何人の騎士様がいらっしゃるのでしょう?

 聞いておくべきだった気がします。


 歩いている内に食堂に至りました。


 美味しそうな朝食が並んでいます……焼きたてのパン、みずみずしいお野菜、ホカホカの卵料理……。じゃないじゃない。

 ご飯に目を取られている場合ではありません。


 ラッセル殿下の周りを注視しなくては……。


「…………」


 人々が行き交います。

 見るからに新しい制服を着ている方々もいます。

 その方達はラッセル殿下に好悪のどちらも抱いていないようです。

 付き合いが浅くて、好きでも嫌いでもない、という感じでしょうか。


「……うん」


 この場所に、ラッセル殿下を嫌っている人はいません。

 少なくとも悪意を持って殺そうとしている人はいなく、好意を持っている人が多いです。

 普通の温度の人はまだ断定できませんが……。


「おはよう、ラッセル」


「おはようございます、隊長」


 ラッセル殿下に話しかける年配の男性が一人。

 胸についた勲章が一段と多いです。

 隊長、北の騎士団の隊長さんのようです。

 さすがに殿下とも呼んでいません。


 お二人は一緒に朝ご飯を取って席に着かれました。


 何かお話しをされているようですか小声を貫かれていて、その声は聞こえません。

 お二人がお互いに向ける視線はしっかりとした穏やかな温かさがありました。

 親愛の情を感じます。


 こうして朝食の間、私は多くの人がラッセル殿下を見るのを掃除をするフリをしながら眺めました。


「……戻るぞ」


 朝食を終えたラッセル殿下が私の側を通り過ぎる素振りを見せて、そう囁きました。

 私は軽く頷いてラッセル殿下に続きました。

 おおよそ50人くらいの人を見たでしょうか。




「……どうだった?」


 ラッセル殿下の私室で服を手早く着替えた私に、ラッセル殿下は聞かれました。


「ほとんどの方が問題ありませんでした。少なくともあなたに憎悪を抱いて殺しにかかってくる人はいません。刺客がいるとしたら、本当に感情を押し殺せる人間か、無自覚な刺客でしょう」


「そうか、ありがとう……『腹ぺこ亭』まで送ろう」


 私たちは、門に向かいました。


 にやけ面の門兵さんの前を通って、私たちは『腹ぺこ亭』へと戻ります。


「……またな、カレン」


「はい……あ、そうだ」


 私はシンシアさんに言われたことを思い出しました。


「……あの、今週末にはお祭りがあるとか……?」


「ああ、そうだな」


 ラッセル殿下は頷かれました。


「……ら、ラッセル様は、その、ご用事とか……」


「ない。一緒に行くか?」


「は、はい!」


 私は一気に笑顔になりました。


「じゃあ、今週末、迎えに来る」


「は、はい!」


「それじゃあ」


「はい!」


『腹ぺこ亭』の前で何度も返事をし、私はラッセル殿下が去って行くのを見守ってから、『腹ぺこ亭』に戻りました。


 女将さんと旦那さんはすでに起きていて、朝ご飯が用意されていました。

 それを口にすると、昨日一睡も出来なかったことが思い出され、私は自室に戻って眠ることにしました。


「ああ、お祭りに行くなら洋服新しいの買おうかしら……」


 期待に胸を膨らませながら、私はすぐに眠りにつきました。




 目を覚ましたときにもう夕日が見えました。

 久し振りにたくさんの人の視線を見て、思っていた以上に疲れていたようです。


 階下に降りるとちょうどお客さん2名が帰って行かれるところでした。

 豪奢なドレスに懇切丁寧な立ち振る舞いの若い女性と、質素ながらら質の良い服装のおばあさん。見た目からして貴族のお嬢さんとそのお付きのばあやであると分かります。

 貴族様が『腹ぺこ亭』に一体何の用でしょう……?


「ああ、カレンちゃん。お見合いよ。スチュアート家のオフィーリア様」


「北区のスチュアート家……」


 聞き覚えのある家名でした。

 子爵家の方です。

 王宮では可もなく不可もない立ち振る舞いで独特の立ち位置を保っていらっしゃるお家柄です。


「彼女、貴族のお嬢様なんだけど……お妾さんのお嬢さんなんだって」


「なるほど……」


 わりといるものなのでしょうか、妾のお子さん。


「奥さんが亡くなったから、貴族の家で引き取ったけど、お妾さんの地位が低いから貴族には嫁がせられなくて、ちょうどいい家と縁談してくれってさ。地主んとこのエリック坊っちゃん辺りかねえ、釣り合いそうなのは」


 地主の息子のエリックさんは長いこと我らが『お見合い斡旋所』に登録されているのですが、いまいち縁談がまとまっていない方でした。

 お家の条件だけなら、地主なんて問題なさそうなのに縁談がまとまらないあたり、エリックさんに問題でもあるのだろうかと、私は勝手に邪推しています。


「お疲れのところ悪いけど、エリック坊っちゃんちにお使い、頼まれてくれるかい?」


「はい!」


 私は元気よく答えました。

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