20 眠れぬ夜
女将さんと旦那さんのやけにニコニコした笑顔に見送られ、私はラッセル殿下と夜の街に出ます。
春の2月。すっかり暖かくなった今日この頃ですが、夜はまだちょっと冷えます。
ブルリと震えた私の肩にラッセル殿下が黒い上着を掛けてくれました。
「あ、ありがとうございます……」
「思い出すな」
ラッセル殿下の短い言葉で、私も思い出します。
王宮から追放され、初めての街で途方に暮れていたあの時を。
「……そう、ですね」
きゅっと上着を握り締めながら、頷きます。
「ああ、そういえば……この制服、殿下のものだと分かるようになってるみたいですけど、どれでなのですか?」
「
「はい」
王旗とは今代の王様の紋章が描かれた旗です。
王宮では、国旗の隣にはためいています。
「俺も王族として成人したときに俺専用の紋章をいただいている」
「そうなのですね」
「それが胸に描かれてる……その剣と馬の意匠は俺のための紋章だ」
「ふむふむ」
「兄上……第一王子殿下と父上はライオンで、細部はもちろん違うが、似通っている。第二王子殿下は本と鳥だな」
私は制服の胸元を見ます。確かに馬と剣、それの他にもリボンと王冠が描かれています。
「騎士団の紋章は馬だから、俺も馬にしてもらった。王冠は王族にしかつかない。神殿にも十字のモチーフが飾られていただろう? あれはあれで神殿の紋章だ」
「なるほど」
たしかに十字の紋章は私達聖女の制服にも縫い付けられていました。
私はラッセル殿下の紋章を目に焼き付けました。
そうこう話している内に北の騎士寮が見えてきました。
今夜の門兵さんは見知らぬ方です。
「騎士殿下、連れ込みとは珍しい……というか初めてでは?」
「少しな」
ラッセル殿下は一切のごまかしをすることなく頷かれました。
……そういう名目で私、連れ込まれるのですか!?
お、恐れ多いというか、王妃様に申し訳が立たないというか……!
「俺の部屋は広いし、個室だ。悪いが一晩我慢してくれ」
「は、はひ……」
どういう顔をして良いのか分からないです。
うつむきがちに、殿下に続きます。
騎士寮は静かで人の気配がほとんどしませんでした。
ラッセル殿下のお部屋はおっしゃるとおり、個室でした。
ソファまであります。私のベッドより広いソファです。
そしてなんだかめちゃくちゃ広いです。
「本来なら王族の視察時に使われる部屋が俺専用の部屋になってしまっている。俺はソファで寝るから、ベッドを使ってくれ」
「い、いえ、申し訳ないですし! 私はそんなに体が大きくないからソファで十分ですし! というか私の部屋のベッドよりソファの方が大きいです!」
「ん、そうか……?」
少し、困った顔をされましたが、ラッセル殿下は頷かれました。
「明日の朝はこれを着てくれ。掃除婦のかっこうだ」
「あ、はい」
どのように用意されたものなのでしょうか? 掃除婦の制服を手渡され、私は抱き締めます。
「距離を取りつつ、俺を……俺に視線を送る連中を見ていてくれ」
「はい!」
なんにせよ責任重大です。頑張らなくてはいけません。
上着をお返しし、ソファに寝転がります。
目算通り私の体はすっぽり収まりました。
「おやすみなさいませ、ラッセル様」
「ああ、おやすみ、カレン」
ラッセル殿下がベッドから掛け布団を取り上げて、私に掛けてくれました。
……どこかラッセル殿下の香りがします。
「……寝ます」
そう口にして、私は目を閉じました。
ラッセル殿下がランプの火を吹き消す音がしました。
しばらくすると、すぐにラッセル殿下の寝息がスヤスヤと聞こえてきました。
騎士や兵士の皆さんはいついかなるときも眠れるようにしていると聞いています。
ラッセル殿下の寝付きもとても良いようです。
「…………」
私はと言えば眠れません。
枕が変わったから眠れない、などという繊細な生き物ではさすがにありません。
ラッセル殿下と同じ部屋にいてどうして眠れるというのでしょう。
というかラッセル殿下はなんでさっさと眠れるのでしょうか。
ちょっと腹が立ってきました。
「……はあ」
聖女でいる間、結婚というものについて考えたことはありませんでした。
神殿の聖女はたまに貴族や王族の遠戚にみそめられ、嫁いでいく方もいました。
しかし私が『本物の聖女』であることは、その能力自体は秘匿されていましたが、知られていました。
だから私に粉をかけるような方はいませんでしたし、私も誰かと結婚することも、恋愛することも、考えたことなどありませんでした。
しかし、今の私は少しばかり自由なのです。
そしてシンシアさんたちのように結婚される方、ジャックさんやケイトさんのように結婚したがる方。そう言う方々を見ていると、結婚について、恋愛について考えずにはいられません。
「…………」
私は、たぶんラッセル殿下が好きなのでしょう。
この方の力になりたいと思っているし、この方に恩返しをしたいと思っている。
それはご恩と感情が入り交じったなんともどっちつかずの感情です。
ただ恋しいというわけでもない。
ただありがたいと思っているわけでもない。
ただ、好きなのです。
それが恋愛や結婚に発展するかといえば少し違うし、そもそも聖女でなくなった私、ただの町民の私に王族の子息とどうにかなる未来などあり得ません。
これは叶わぬ思いにも満たぬ何か、なのです。
「…………」
思いがグルグルと頭の中を回っていきます。
眠れない夜が私を責め立てます。
ラッセル殿下の規則正しい寝息を腹立たしく思いながら、夜が更けていきます。
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