17 ミートパイ
シンシアさんの結婚式が終わりました。
ということは、そうです。とうとうミートパイの作り方を教えてもらえる日が来たのです!
朝、ダニーさんの包丁屋さんに行けば、すでにシンシアさんがひき肉を準備していてくださいました。
「実家が肉屋だから普段はひき肉も作ってたけど、さすがにひき肉は実家から買ってきたわ」
「ひき肉って手間がかかるんですか?」
「まあ、わりと」
シンシアさんは多くを語りませんでしたが、その遠い目がすべてを語っています。
「じゃあ、まずはパイ生地ね。バターと粉を混ぜるのよ。適宜水を入れて柔らかさを調整」
「はい!」
パイ生地作りはなかなかの重労働でした。
パクッと一口で食べてしまうようなパイを作るのにこれほどの労力が割かれていたとは……。
王宮の食堂、そこのシェフたちを思い出します。
私がものすごい勢いで食べているのを、春の木漏れ日のような視線で見守ってくれていた彼らもこれほど苦労していたのでしょう。
そうだというのに、一瞬で食べきる私にあれほど優しい目を向けていたのです。
今更もう会うこともないでしょうが、頭が下がる思いです。
「ふう……ふう……」
額に汗をかくのをシンシアさんが拭ってくれます。
「そうそう、こねてこねて」
シンシアさんはが柔らかさを確かめてくれました。
「まあ、こんなものでしょう」
一旦パイ生地は置いておきます。
「じゃあ次は野菜のみじん切りね。経験は?」
「……ないです。包丁を持ったこともないです」
『腹ぺこ亭』で練習する時間があればよかったのですが、何しろ『腹ぺこ亭』のご夫婦は仕事で料理を作っているのです。
私がお邪魔をする隙間などありません。
「とりあえず、左手はちゃんと丸めるのよ。指を突き出したらその瞬間に包丁が切り裂くと思いなさい」
「ひっ……」
「あはは。はい、カレンさん、包丁、あげる」
怯える私に、ダニーさんが厨房へと入ってきて、布にくるまれた新品の包丁を差し出してくださいました。
「お、おいくらですか!?」
「ううん、お代は要らない。色んなことへのお礼だと思ってください」
ダニーさんはそう言うとさっさとお店に戻ってしまいました。
ダニーさんのお父様は宣言通り引退されたので、ダニーさんとお弟子さんでお店を切り盛りしているそうです。
いただいた包丁には私の名前まで刻まれていました。
くるんでる布は包丁ケースになっていて、そこにも刺繍で私の名前と、お花が施されています。
「そのケース、私が縫ったの」
どこか誇らしそうにカレンさんが言います。
「夫婦の初の共同作業よ」
自分で言っておいて、シンシアさんは照れたように笑います。
いやあ、可愛らしいですね。
「……大事にします」
私は包丁を胸に抱きました。
さて、みじん切りです。
『腹ぺこ亭』の厨房で旦那さんがしているのを何度も見ています。
それを見た感想は、「人間業ではない」です。
しかしミートパイを作るという偉業に挑むためにはこなさなければいけないのです。
「ああ、そうだ。まずはゆっくりでいいんだからね。みじん切りって慣れてる人は高速でやるけど、普通の人はゆっくりやればいいのよ。ちょっと崩れるくらい気にしちゃダメよ」
「はい! はい! はい!」
「……聞いてる?」
「はい!」
「…………」
シンシアさんは心底心配そうな顔をされました。
みじん切りをするのは、にんじん玉ねぎニンニクです。
私は私の包丁を握りしめ、にんじんに振り下ろしました。
「にんじん! 転がります!!」
「そうね……」
「玉ねぎ! 滑ります!」
「そうね……」
「ニンニク! 小さい!」
「そうね……カレンちゃんって今まで何して生きてきたの……? 本当は貴族のお嬢さんか何かだったりする……?」
私のあまりにおぼつかない手に、シンシアさんの疑念がつのります。
「い、いえいえ、まさか」
「騎士殿下と仲が良いのだって……本当は騎士殿下の婚約者か何かなの……?」
「違いますよ!?」
とんでもない勘違いです。
恐れ多いにもほどがあります。
「ラッセル様は……本当に優しいだけです!」
私は慌てます。
「それはそれで……」
シンシアさんが苦笑されます。
何故苦笑なのでしょう。
「うん、まあいいわ」
などととお話をしている内にみじん切りが終わりました。
なんとか手を切らずに済みました。
しかしまな板の上にはバラバラの大きさの野菜が散らかっています。
うーん、旦那さんのみじん切りはもっとキレイだった気がします……。
「よし、じゃあ野菜を炒めますよ。フライパンが熱くなるから触らないように気を付けてくださいね」
シンシアさんの口ぶりがどんどん優しいお母さんみたいになっていきます。
いえ、私には「優しいお母さん」なんて人はいたことがないのですが。
「はい!」
フライパンを火にかけます。
まずはニンニクを木ベラで炒めます。
香ばしいにおいがします。
そこににんじんと玉ねぎも投入。
油がはねます。
「おおう!?」
「はいはい、怯えない怯えない。大丈夫」
油……恐ろしい。
『腹ぺこ亭』の厨房からも油のじゅうじゅうという音がよくします。
怖いです、油。
シンシアさんが私の手に軽く触れて、炒めるのを手伝ってくれます。
私はその手に導かれ、炒めるという体の動きを覚えます。
「そして仕上げにひき肉をどーん!」
シンシアさんが豪快にひき肉をフライパンに投入。
私はがんばって混ぜます。
「ふう……ふう……」
ミートパイ作り、なかなかの重労働です。
「お肉に赤いところがないようによく混ぜて炒めるのよ」
「はい……!」
こうして炒め終わった具をお皿状にしたパイ生地に詰め込みます。
あとはオーブンで焼けば完成です。
「このオーブン、結婚にあたって新しく作ってもらったの」
「おおー」
のろけのオーブンですね。
「じゃ、焼けるまで待ちましょ」
ちょうどお昼です。
私たちは『腹ぺこ亭』から持ってきたサンドイッチをダニーさんに手渡しに行きました。
ダニーさんは休憩中の看板をお店にかけ、3人でお昼にしました。
「もう春の2月ね」
しみじみとシンシアさんが呟きます。
「今週末には春のお祭りがあるのよ、知ってる?」
「あ、はい」
王宮でも毎年祝っていました。
春の豊穣のお祭りです。
「ミートパイでも作って、騎士殿下をお誘いしたら?」
「う、うーん」
ラッセル殿下は、こういう誘いに乗ってくださるでしょうか……?
そういうところ、よく分からない人です。
多分、私が一緒に行く人がいないんです……とへこんで見せればついてきてくれる気はします。
ラッセル殿下は優しいので。
「お祭りと言えば……聖女様が追放されたって噂、知ってる?」
びくり、と肩が跳ねました。
シンシアさんの顔をうかがいますが、ただ世間話をしているという感じです。
「う、噂ですか……」
知っているも何も、ここに追放された聖女がいます。
そうですか。もう噂になっていますか……。
「聖女様ってこの国を守ってくれるお力を持っているんでしょう? どうなっちゃうのかしら……」
「そう、ですね……」
そう言い伝えられています。
しかし私には、成し遂げられなかったことです。
「きっと、大丈夫です。きっと……」
そうこうしている内にサンドイッチを食べ終わりました。
さて、ミートパイの焼き上がりを確認しなくては。
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