15 カレンとラッセル

「あら、どうしたの、カレンさん」


 ケイトさんはふんわりと笑いました。

 でも、私に向ける目もやっぱり無温です。


 人間に対し、ここまで無温を貫かれる方は、第二王子殿下以来です。

 あの方は本が大好きでした。

 ……ケイトさんはお金が好きだとおっしゃいました。

 お金が好きなあまり、人間には興味がないのかもしれません。


「ああ、先約がきた」


 私の背後でラッセル殿下がそうおっしゃいました。

 そして私の腰を持ち上げ、カウンター席に座らせます。


「さあ、カレン、夕飯にしよう」


「え、えーっと」


「ハンバーググラタンで良いかな?」


「あの、ラッセル様、私、お仕事中……」


「いえ、いいわ。そういうことなら、失礼します。じゃあね、カレンさん」


 ケイトさんはそう言って足早に店内から出て行かれました。


「……あ、手付金……」


 それをいただかないと、登録したことにはならないのです。

 困りました。


「……ふう」


 ラッセル殿下はため息をつかれました。


「あ、ラッセル様、私のお客さんがご迷惑をおかけしました……」


「いや、構わない。構わないんだが……」


 ラッセル殿下はケイトさんの立ち去った後を険しい瞳で見つめていられました。

 その目はやっぱり雪のような冷たさをしています。


「……あの女はやめておけ、あまり近付けるな」


「いえ、そう言われましても……」


 ラッセル殿下に失礼を働いたとは言え、お客様はお客様なのです。


「……あれ?」


 そういえば、私、ケイトさんに自己紹介したでしょうか。

 いいえ、していません。

 もしかして街で私の名前は知れ渡りつつあるのでしょうか?


「……はあ」


 ラッセル殿下はまたため息をつかれました。


「……そういえば、ケイトさんはラッセル様がお金を持っていそうと言っていたのですが、ラッセル様の第三王子としての財産ってどうなっているんです?」


「継承権を破棄したかったが、それはできなくてな。せめて第一王子殿下に子供が生まれるまでは待ってくれと言われた。というわけで、王宮の倉庫に俺の分の財産が死蔵されている」


「あ、やっぱり、お金持ちではあるんですね……」


 さすがです。


「はい! ハンバーググラタンお待たせ!」


 そう言っている間に、女将さんがハンバーググラタンを運んできました。

 二人前です。


「ラッセル様、今日はずいぶんと食べますね」


「これはカレンの分だ。頼んでおいた」


「あら……あ、ありがとうございます?」


「うん、ほら、早く食べないと冷めてしまうぞ」


 そう言って笑うラッセル殿下のお顔は、多分私でなくともハンバーグが大好きだと言うことが分かりそうな、朗らかなお顔でした。

 この方に堅物騎士殿下なんてあだ名を付けた人たちは何を考えているのでしょう。




「今週末にはシンシアさんの結婚式なんです!」


 食事をしながら、私は思わずはしゃいだ声を上げてしまいます。

 ラッセル殿下はそんな私を優しく見てくれます。

 その視線には人肌に温めたミルクのような熱があります。


「そして来週はダニーさんの家の包丁屋さんで、ミートパイの作り方を教わるんです!」


「そうか」


「はい! シンシアさんとダニーさんのお母様とお父様はあの後、よりを戻されたらしいです! シンシアさんはいい年して……って呆れてたんですけど! ダニーさんは親父が幸せそうで嬉しいっておっしゃってます!」


「そうか」


 ラッセル殿下の返事はそっけないので、私でなければ、言葉を止めてしまっていたでしょう。

 堅物騎士殿下。そんな風に呼ばれているこの方は、本当はこんなに愛情に満ちた目をしているのです。


「……そういえば結婚式に出るならドレスを用意しなくてはいけないんじゃないか?」


「ああ、街の方々の結婚式は私服で大丈夫だそうです」


「……そうか、残念」


「残念ですか?」


「ん、無駄に貯め込んだ給料をそれにつぎ込めるかと思ったのに」


「えーっと」


 それはつまり結婚式にドレスが必要であれば、買ってくださるということでしょうか。


「あ、ありがとうございます……」


 もう何度目になるかも分からないお礼を言います。


「きっと、ドレスも似合うだろうに」


「…………」


 そんな風に言われると、何だか照れてしまいます。

 照れたまま、私はハンバーググラタンを食べます。

 おいしいです。


 ハンバーググラタンを食べ終えて、ラッセル殿下はお酒を何杯か飲まれてから、席を立たれました。


「ありがとうございました!」


「ああ」


 私達に軽く礼をして、ラッセル殿下は去って行かれました。


☆☆☆


「……こんばんは」


「あら、勘が良い」


 ラッセル第三王子は、闇に紛れていたケイトと名乗った女に、厳しい視線を送った。


「……俺が食事を終えるまで、そこで待っていたのか?」


「ええ。職業柄、待つのは得意なの。あなたなら分かるでしょうけど」


 ケイトのいう職業が、カレンに告げた『酒場のホール』などではないことは、ラッセルには分かっていた。


「……カレンに何の用だ」


「偵察」


 シンプルにケイトはそう言った。

 ラッセルは腰の剣に手を伸ばした。


「やだやだ、嘘嘘」


 ケイトは怯えた様子もなく笑った。


「追放された聖女をわざわざ気にする馬鹿なんていないわよ。まあ、腹いせに……って奴はいるかもだけど、そんな奴に雇われるほど安い女じゃないの」


「だろうな……相当の手練れだろう、お前は」


 ラッセルは剣に手を添えたまま、そう言った。


「もう一度聞く、カレンに近付いて、何が目的なんだ」


「やだ、そんなの決まってるじゃない」


 クスクスとケイトは笑った。


「婚活!」


「……婚活?」


「王宮勤めの密偵だって、結婚くらいはしておきたいお年頃なのよ。そんなに心配しないでも、カレンちゃんをいじめたりしないわ……それともあなたが結婚してくれるかしら? 条件的にはいいと思ってるんだけど……」


「お断りだ」


 ラッセルは冷たく吐き捨てた。


「お前のようなコソコソした小ずるい女と結婚など怖気が走る」


「あらら、それを言ったら、カレンちゃんは玉座の影でどれだけコソコソと王宮を引っ掻き回したのかしら?」


「…………」


「南方戦争、だけじゃないもんねえ、あの子の言葉を真に受けた王が引き起こした失政は、そしてきっとそれはこれからも続く」


「……それをカレンの罪だと断ずるつもりはない」


「そう」


 ケイトはラッセルに背を向けた。


「……それから本気で『お見合い斡旋所』を利用する気なら、手付金を払いに行け」


 その背にラッセルはそうとだけ告げた。


「あらら、その忠告はカレンちゃんのため? お優しいのね王子様は」


 そう言ってケイトは夜の闇の中に消えていった。


「……どこの手の者やら」


 ラッセルは厳しい顔でそう呟くと、北の騎士寮への道を歩んだ。

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