08 初めてのお仕事、その後
「はあああああ」
大きなため息が女将さんから聞こえました。
「あー、よかった! どうにかなった! もう駄目かと思った!!」
女将さんが椅子に体重を預けながら叫びます。
旦那さんが厨房から出ていらしてお茶を私達に配ってくれます。
女将さんは真っ先にお茶をぐいと飲まれました。
「お、女将さん?」
シンシアさんが女将さんの様子に恐る恐る声をかけます。
「私、レティシアも言ってたけど、知ってたのよ。有名な話だもの、あの二人が昔、破局したの」
「そうだったんですね……」
シンシアさんが意外そうに言いました。
シンシアさんとダニーさんは親御さんの恋愛事情については一切ご存知ではなかったようです。
「シンシアとダニーが両思いになったこと……ダニー、あんたお父さんに話したんだろう?」
「う、うん。俺と父さんはわりとなんでも話し合う仲だから……」
「そしたらあんたのお父さんってばウチに来て、どうにかこの結婚を成就させる手伝いをしてくれって……もう、荷が重いったらない! うちはお見合い斡旋所なの! 元から愛し合ってる二人のことなんて知りません!」
「あはは……」
シンシアさんとダニーさんが照れるように笑います。
「……あのお二人、よりを戻されるでしょうか?」
私も思わず訊いていました。
「どうかな、外聞もあるしねえ」
女将さんは苦笑します。
「男と女のことなんてどう転ぶか分かりゃしないよ」
「そう、ですか……」
「ねえ、ところでカレンちゃんは……占い師か何かなの?」
女将さんが話題を変えました。私にとってちょっと都合の悪い方向に。
どうしましょう。
「えっ……えーっと……ま、まあ、はい、そんな感じです!」
私は焦りながら、そう答えます。
「そう……」
女将さんはしみじみと頷かれました。
「カレンちゃんがいなきゃ、この結婚はなかったね。私じゃ無理だったわ、レティシアがあそこまでこじらせてるとは思わなかったよ……」
「そ、そうでしょうか……」
「そうですよ。あの、よかったら、結婚式に招待させてください、カレンさん、女将さん」
シンシアさんがそうおっしゃいました。
「あ、はい、お邪魔でなければ……」
「お邪魔なんてとんでもない。何かお礼がしたいくらいよ……」
「お礼……、あ、じゃあ、あの、ミートパイのつくり方、いつか教えてください」
「ええ、ぜひ」
シンシアさんは微笑まれました。
とても可愛らしい笑顔でした。
その視線をうかがうまでもなく、私のことを少しは好きになってくれたみたいです。
……街に出てから初めてのお友達、と言っても良いのでしょうか?
そしてシンシアさんとダニーさんは手を繋いで、『腹ぺこ亭』を出て行かれました。
「さて、夕食の仕込みの時間だ。カレンちゃん、お疲れ、はい、お駄賃」
女将さんはダニーさんのお父様からいただいたお金をそのままそっくり私に渡してくださいました。
「い、いただけません、こんなに」
「いいの、いいの」
「だ、だって、今回のお見合いがここで行われたのは今までの女将さんの信頼あってのことです。私の振る舞いなんて、女将さんがいなければ、最初から起こらなかったことですもの」
「でも、カレンちゃん、お金あんまり持ってないんだろう?」
「うっ……」
それはそうです。
「当座の生活資金だと思っておくれ。お洋服の替えでも買っておいで」
「あ、ありがとうございます……」
私はお金を胸に抱き締めました。
これは私が市井に出て、初めて稼いだお金なのです。
そう思うと使うのがもったいなく思えてしまいます。
「えっと、えっと、じゃあ、私、失礼します……」
「うん」
私は与えられた屋根裏部屋に戻りました。
「カレンちゃーん!」
「ん……」
お見合いの立ち会いに、思いのほか疲れていたのでしょう。
私はいただいたお金を握り締めたまま、寝ていました。
お金を袋に入れて、ポケットに入れます。
階下から女将さんが私を呼ぶ声がしています。
なんでしょう?
お店に出ると、昨日と同じ奥の席に、黒い騎士の制服を着たラッセル殿下が座っていらっしゃいました。
「ラッセル様!」
「やあ、カレン」
相も変わらず、冬の晴れ間のような視線が私をほのかに温めます。
「一緒に夕食、どうだ?」
「あ、はい」
私はラッセル殿下の正面に座りました。
「今日はお見合いがあったんだって?」
「は、はい。なんとかまとまりました」
「それは何より」
席についてしばらくすると、女将さんが夕食を運んできてくれました。
私にはグラタン、ラッセル殿下はチーズハンバーグです。
ラッセル殿下、今日もハンバーグですね。
「……あのラッセル様、ハンバーグお好きなのですか?」
「王宮では食べさせてもらえなかったからな。ひき肉の中に、何を混ぜられるものか分からないって、基本的に丸焼きのものばっかり食べていたんだ」
「そうなのですか。私は王宮の食堂でハンバーグ食べたことありますよ」
「知ってる」
「え?」
私は食事に落としていた視線を、ラッセル殿下に戻しました。
ラッセル殿下はここではなく、遠い過去を見つめていました。
「昔々、見たことがあるんだ。母上の隣で傷んだ金の髪をした痩せっぽちの女の子が食堂で食事をしている姿を見たことがある。ハンバーグやシチューをその子は必死にかっ込んでいた」
多分、私です。昔、最初に王宮へ連れてきてもらったときの私です。
「それが本当においしそうで、だから、俺も、ハンバーグを食べてみたいって侍従に言ったんだ。でも、何が混ぜられているか分かったものじゃない、って俺は食べさせてもらえなかった……」
昔を懐かしむように、ラッセル殿下はそう言いました。
「その日からずっとハンバーグを食べたかったんだ。今はこうして好きなときに好きなだけハンバーグが食べられる。最高な生活だ」
「はあ……」
まさかラッセル殿下がハンバーグを食べたくなるきっかけが私にあったとは、驚きです。
「その女の子とこうして一緒にハンバーグを食べる日が来るなんて、思いもしなかった」
「私、今晩はグラタンですけどね……」
「ハンバーググラタンもおいしいよ」
「うふふ」
あくまでハンバーグを食べたがるラッセル殿下の言葉に私は思わず笑ってしまいました。
「ああ、そうだ、今日のお見合いはお肉屋さんのお嬢さんだったんですよ」
たぶん、ハンバーグのひき肉もシンシアさんのお肉屋さんから仕入れているのでしょう。
「ラッセル様、ミートパイはお好きですか?」
「あれも広義のハンバーグだ」
ラッセル殿下は力強くそうおっしゃいました。
その発言には疑問符がつきますが、まあいいでしょう。
「じゃあ、いつか、私がミートパイを作れるようになったら、食べてくれますか?」
「もちろん」
ラッセル殿下の目は雪解けをうながす太陽の光のように温かでした。
ミートパイで少し私のことを好きになってもらえたみたいです。
……それもどうなんでしょうか……?
なんにせよグラタンも美味しかったです。
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