07 凍り付いた視線

「それは俺の罪だ。息子とは関係ない」


 レティシアさんの叫びに対し、ダニーさんのお父様は淡々とそうおっしゃいました。


「……本当なのか、親父」


 ダニーさんは困惑したようにお父様に問いかけました。


「……レティシアの言うことは本当だ。すべて本当だ」


 ダニーさんのお父様は一瞬だけ、シンシアさんを見ましたが、あまりにも一瞬でその視線は読み取れませんでした。


「だが、シンシアさん、分かってやってほしい。理解してやってほしい。俺のやったことは、息子とは関係ない。息子はそんな男ではない。君を……愛し、君を幸せにしようと本心から願っている。どうか、分かってほしい」


「……お義父さん」


 シンシアさんはダニーさんのお父様を見つめられました。

 その目に特別な感情はありません。おそらく半信半疑なのでしょう。


「あ、あのー」


 私は声を上げました。レティシアさんがきっとこちらを睨みつけます。


「何!?」


 その目には凍てつくような憎悪を含む怒りが渦巻いています。

 正直それを直視するのは、辛いものがあります。

 寒さのあまり鳥肌が立ちそうです。

 それでも私は口を挟みました。


「えっと、レティシアさんとダニーさんのお父様は一度お話しされた方が良いと思います……」


 ダニーさんのお父様が困ったように私を見ます。

 その視線には好きも嫌いもどちらもありません。

 たぶん困惑されています。


「あの、だって……だって、お二人、まだお互いのことが好きでいらっしゃるから……」


「なっ……」


 レティシアさんの頬に赤みが差します。

 ああ、こういう反応がシンシアさんにそっくりですねレティシアさんは。


「ふ、ふざけないで! この男が私をまだ愛しているわけ……!」


「いや」


 ダニーさんのお父様はうつむいたまま、声を上げられました。


「俺は……ああ、結婚しようという子供の父であるのに恥ずかしい話だが……レティシア、俺は君をまだ愛している」


「たわごとだわ!」


 レティシアさんは怒りをあらわにしますが、やはりその目にはダニーさんのお父様への好意を示す焔が燃えています。


「……昔、俺とレティシアは恋人同士だった。別れたのは家の事情だ。レティシアの家が私との結婚を許してくれなかった」


「……でも、あなたは幸せにすると言ってくれたのに。一緒に駆け落ちしようってそう約束してくれたのに。なのに、あなたは待ち合わせには来てくれなかった……!」


「……考えて、考えて、駆け落ちに先はないと思った。レティシア、自分たちの子供に、同じような思いを俺はさせたくない。祝福してやりたい……」


「……わ、私が自分の両親と同じことをしようとしてるって言いたいの……?」


「……そう、かもしれない」


 レティシアさんの顔が青ざめ、彼女はうつむいてしまいました。


 気まずい沈黙が場を包みます。


 ……私、余計なことを言ってしまったでしょうか……。


 思わず女将さんの反応をうかがうのですが、やっぱり背中からではそのお気持ちが分かりません。


 さて、シンシアさんは怒りを継続、ダニーさんはうろたえています。

 ダニーさんのお父様はレティシアさんに焔のような視線を注ぎ続け、レティシアさんは深くうつむいています。


「……私」


 レティシアさんは自分の言葉に強いショックを受けているようです。

 両親の反対でなされなかった結婚。

 理由がどうであったかは分かりませんが、確かに今回のことはそれと似ているかもしれません。


「……シンシア、ダニー、私が反対し続けたら、あなたたちはどうする?」


「……そんな」


 シンシアさんは答えに詰まります。

 シンシアさんはレティシアさんのことが嫌いなわけではないのです。

 だからこそ、答えに迷ってらっしゃるのでしょう。


 代わりにダニーさんが口を開きました。


「……シンシアさえよければ、俺の家に来てもらいたいです……シンシアの兄さん夫婦だって、この結婚には反対していない。シンシアの父さんはずいぶん前に亡くなってるから、無理矢理連れ戻されるようなことには、ならないはずですし……」


「ダニー……」


 シンシアさんが複雑な表情でダニーさんを見つめます。

 しかしその視線は次第に熱くなっていきます。

 惚れ直した、という感じでしょうか。


 人が人に惚れ直す瞬間を見ることがあろうとは。

 なかなかに微笑ましくて、いいものですねえ。


 こんな微笑ましい光景、王宮にいては見られなかったでしょう。うんうん。


「シンシア、ウチに来てくれるか? 父さん、それでいいかい?」


「お前が結婚したら、稼業も家長も譲るつもりだった。俺に異論はないし、おうかがいを立てる必要もない」


 ダニーさんのお父様はそうおっしゃいました。


 あとはレティシアさんだけです。


 レティシアさんはうつむき、その目には涙がにじんでいます。


「……分かったわ」


 全然、納得していない声がそう言いました。


「結婚したいならすればいい。すればいいわ……」


 そう言ってレティシアさんは、おひとりで『腹ぺこ亭』を出て行ってしまわれました。

 カランカランとベルの音がむなしく響きます。


「母さん……」


 シンシアさんが落ち込んでいるのを、ダニーさんが励ますように手を握ります。

 ダニーさんのお父様がシンシアさんを見つめました。

 ああ、そこには柔らかな木漏れ日のような愛が溢れていました。

 ダニーさんのお父様はレティシアさんによく似たシンシアさんを直視することができなかっただけなのかもしれません。

 本当は彼女のことも愛おしく思っていたようです。


「あ、あの、ダニーさんのお父様!」


「なんだい、カレンさん」


 落ち着いた瞳が私を捉えます。


「……レティシアさんを、追いかけてあげてください」


 聞けば、レティシアさんもダニーさんのお父様も配偶者を亡くしてらっしゃいます。

 だとしたら、こういう形でお二人の背中を押すのを、神様も許してくれるでしょう。


「レティシアさんは、まだ、あなたと同じ思いです」


「…………!」


 ダニーさんのお父様は一瞬、驚かれました。

 しかし、小さく頷かれました。


「では、とりあえず婚姻は成立と言うことで」


 ダニーさんのお父様は懐からお金を取り出し、女将さんに渡しました。


「ありがとう、女将さん、カレンさん。ダニー、シンシア、悪いが先に失礼する」


 ダニーさんのお父様はそう言って立ち上がりました。

 レティシアさんを追いかけて、ダニーさんのお父様は『腹ぺこ亭』を去って行かれました。

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