04 新しく暮らす街

 ラッセル殿下はお昼を食べ終えると私を街に連れ出してくれました。


「これから住む街だ。店の場所など把握しておいた方が良いだろう」


「ありがとうございます」




 王都は王宮を中心に円心状に広がる都です。

 東西南北で大きく区分けされていて、ここら辺は北区だそうです。


 ラッセル殿下が往来を歩くと、多くの人がその姿を見て温かい視線を送ります。


「騎士殿下、こんにちは!」


「ああ、こんにちは」


 ラッセル殿下の返す視線も『腹ぺこ亭』の女将さんたちに向けるような柔らかい春風のような視線です。


 そして皆さん、私に気付くと驚愕されます。


「あの騎士殿下が女性を連れている……!?」


「…………」


 ラッセル殿下は困った顔をされました。

 私には二種類の視線が注がれています。


 一つは温かなもの。ラッセル殿下が連れている人間というだけで、一定の方が私を好意的に見てくださってるようです。


 もう一つは冷たいもの。主に若い女性からです。やはりラッセル殿下は人気があるのでしょう。私に秋雨あきさめのような冷たい視線を送ってきます。


 誤解はいけません。今後、何を引き起こすか分かりません。怖いです。


「……ら、ラッセル様、誤解を解かないと」


「うん……」


 私がすがりつくと、なんだか面倒くさそうにラッセル殿下は頷きました。


「彼女は母上の慈善事業を手伝っていたカレンだ。訳あってそれを辞し、街のことを知る俺が職を世話することになった。今度から『腹ぺこ亭』で働くことになった。皆よくしてやってほしい」


 わりと嘘ではない筋書きです。

 聖女は王妃様の慈善事業のお手伝いもしていましたから、もしも慈善事業について聞かれても答えられます。


 さすがラッセル殿下。


 王妃様の伝手つて、ということで街の皆さんも私の存在については納得されたようです。

 なるほどなるほどと、頷かれていきます。

 ただ、冷たい視線は少しばかり残っていました。


 いたし方ないことです。少しずつ誤解を解いていくしかないのでしょう。

 針のむしろのようだった王宮でのことを思えばこのくらいは可愛いものです。




 そして街を二人で歩きます。ラッセル殿下は武器屋に何軒か寄られました。

 一口に武器屋と言っても色んなお店が世の中にはあるようです。

 剣も鎧も兜も靴もそれぞれ違うところに売っています。


 私は、はしたなく口を開けてそれらを眺めては、ハッと気付いてその口を閉じると言うことを繰り返していました。


 街、昔は私もそこに暮らしていたはずですが、その頃の私には多くのものが関係のないものでした。

 主に食料、それもそのまま食べられる食料にばかり目をやっていましたから。


 あの頃からは背も伸びました。

 見える景色は大きく違っていることでしょう。


 ラッセル殿下が、ぐっと背伸びをされました。


「うん、大体見回ったかな。何か他に案内して欲しいところは?」


「あ、あの、ラッセル様……」


「どうした?」


「えっと、案内ではないのですが、王妃様にこのことをお伝えしたいのです。心配してくださっていたから。カレンは無事です、と。でも、私からの手紙を王宮に取り次いでもらえるか……」


「分かった。俺から母上にも手紙を出そう。しかし俺の手紙でも検閲される恐れはあるな……。じゃあ、こうしよう。『行きつけの店に金髪に緑の目の乙女が新しくきました』とでも書こう。これで母上なら察してくれるだろう。俺が女のことに言及するのは珍しいから」


「ありがとうございます」


 私が心配なのはそのくらいです。


「じゃあ、『腹ぺこ亭』に戻ろうか。そうだな、自分で戻れるか、先に歩いてみろ」


「は、はい……」


 少し不安がわいてきます。

 お店から一体どのくらい歩いてきたのでしょうか。


 じっと目をこらしてもお店は見えません、とりあえず空を見上げます。

 日が沈んでいく方が西で、左手方向にあります。

 ここは北区で、背中側に王宮の大きな姿があります。

 ということは正面方向へ進めば北区の端へ向かうことが出来ます。


 北の騎士寮は街の外れにあるので、正面方向に進むのが正解なはずです。たぶん。


 私は歩き出しました。

 ラッセル殿下がホッとしたような息をつくのが背後から聞こえました。




「あ、見えました。『腹ぺこ亭』」


 私は少し浮かれた声を上げました。


「ああ、大丈夫そうだな」


 振り返れば、ラッセル殿下が冬の晴れ間のようなほのかに温かい目をしていました。


「本日は本当にありがとうございました……あの、ラッセル殿下はどうしてここまで優しいのですか?」


 好意を持ってくれてる人が優しいのは分かります。

 好意がない人でも私が王宮で影響力を持っているときは優しい人もいました。


 ラッセル殿下のように、感情もなく利益もなく、ただ私に優しくしてくれる人は初めてでした。


 女将さんが優しかったのは私がラッセル殿下の連れだからでしょう。

 彼女の視線には温かみを感じる好意がありました。

 しかし、ラッセル殿下から感じられる好意は本当にほのかなものなのです。


「……それは」


 ラッセル殿下は一瞬、遠くを見ました。

 何かを考え込んでらっしゃいます。


「…………君が王宮を追われたのは俺の父の不出来さ故だ。君はかつて母上の命を救ってくれた。浅くはない傷を負ってまで」


 ラッセル殿下はコルセットで隠された私の胸元をチラリと見ました。

 そこには傷があります。癒えなかった傷が刻まれています。


「それだけで、君に謝罪し、感謝することは当然だ。俺はそれを行動で示したまでだ」


「そうですか……」


「それじゃあ、夜には一旦、騎士寮に戻らなければならないから、失礼する。何か困ったことがあったらいつでも使いを寄越すといい。また来るよ」


「はい、本当にありがとうございます」


 私は頭を下げました。

 ラッセル殿下はスタスタと振り返ることなく騎士寮に帰って行かれました。


 ちょっと寂しい気持ちがしてしまう、というのはわがままでしょうか。


「……ただいま、戻りました!」


『腹ぺこ亭』にそう声をかけて戸を押し開きます。カランカランとベルの音がします。


「お帰りなさい、カレンちゃん」


 女将さんがニコニコと出迎えてくれました。

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