明日、チーズ牛丼を食べに行きましょう
コクイさん
第1話
1
カワハギくん、と呼ばれていたのも今は昔。最近ではどいつもこいつも川杉のことを『チー牛』と呼ぶらしい。
「ムカつくよね。そういう感じ、いじめみたいでさ」
私は怒りに任せながらアキレス腱を念入りにほぐしていく。陸上部にとって足は命よりも大事だ。
アキレス腱の断裂で大会に出場できなくなったのは誰だったか……
私が入部する前の話なのでよくわからない。でも、アキレス腱が千切れると凄い音がする。この話を教えてくれたのはマドカだ。
マドカは色々なことを知っている。私に『チー牛』の画像を見せてくれたのもマドカだった。
「まあ、あれだけ似ていたらそう言いたくもなるでしょ。私も最初見たときは笑っちゃったもん」
そう言ってマドカが笑う。
「トモミだってそう思ったんでしょ?」
図星だ。
たしかに『チー牛』を見た瞬間、川杉の自画像と勘違いしてしまった自分がいる。
マドカに向かって曖昧にまあね、と返事をしながらロッカーの扉を強く閉めた。
マドカに反論できなかったことが無性に悔しかった。
2
『すいません、三色チーズ牛丼の特盛に温玉付きをお願いします』
牛丼チェーン店での何気ない注文が、どうして人を小馬鹿にするワードになるのだろうか。
『そういう奴がいるからだよ、俺も含めて』
スマホの向こうから川杉の低くて穏やかな声が聞こえてくる。
『みんなが一度は目にしたことがあるはずだ。眼鏡をかけて、垢抜けていない、下膨れの、覇気がない男。いわゆる陰キャってやつ』
「まあ、そうだね……」
それが私やみんなにとっての川杉というわけか。それにしたって、そんなに悪意のある言い方をしなくてもいいと思う。
『こういう奴っているよな、というあるあるネタをみんなが楽しんでるんだろうな』
しかし、その「みんな」の中に川杉は入っていないはずだ。理屈としては彼の言っていることはわかる。でも、納得はできなかった。
「それっていじめじゃないの?」
沈黙。電波の向こう側で川杉が私にたいして言うべき言葉を考えている。彼はそういう男だ。いつも丁寧に言葉を尽くしてくれる。
『……俺が嫌だと思ったらいじめになるね』
「濁した言い方じゃん」
なんだか妙に歯切れが悪い。ポニーテールの毛先をくるくる人差し指に絡めながら、川杉の返事を待つ。
「もしもし?」
『聞こえてる』
「なんで答えてくれないわけ?」
『まあ……嫌か嫌じゃないかと言ったら嫌だよ、俺も』
でもね、と川杉は続ける。
『どこかで納得している部分もあるんだ。鏡に映る俺の顔と画像の男。双子かってくらいそっくりだろ?もし俺が違う顔だとして、目の前にこんな顔のヤツが現れたとしたら……きっと、俺はそいつのことをチー牛と呼んでる』
ふーん、と小さく呟いてから私は考えた。もしも、人間に目なんてものがついてなければ。視力なんてものがなければ、今よりもっと幸せに暮らせたのかもしれない。
チー牛だろうと、イケメンだろうと声でしか判断できなければいじめも起こりようがないじゃないか。
「……だってそうじゃない?川杉はいい声してるもん。きっと楽しく暮らせるよ」
絶対に今よりも幸せなはずだ。
だが、川杉は淡々と諭すように語りかける。
『確かに俺は幸せに暮らせるかもね。でも、声が高かったり、汚かったり、変なヤツはどうなる?』
「それは……」
どうなんだろう?いじめられる?なんとなく、確信はないけれど、いじめられる気がする。
『結局その世界でもチー牛にあたる人間がわりを食うんだ』
あんなに優しかった川杉の声が今は冷えた、見知らぬ他人のように聞こえる。
顔の造形ひとつでこんなにも悩みを抱えるものなのか。理科室で見た人体模型のように、私も川杉も、マドカだって一皮剥けば赤い筋肉と脂肪とよくわからない白いパーツの塊でしかないはずなのに。
その一皮が人生を左右する
川杉の声が耳元から聞こえる。
『俺さ、整形しようと思うんだ』
『顔の形を変えるんだ。そうして別人になれば……』
なにかが変わるかもしれない、と川杉は言った。
「……変わらないかもしれないじゃん」
私の声は部屋のなかでむなしく響いた。
川杉の悩みはもちろん理解できる。口では強がったところで、『チー牛』から変わりたいと思う気持ちは止められないんだろう。
親から貰った体を傷つけるなんて。
整形の費用はどうするの。
失敗するかもしれない。
陳腐な言葉ばかり浮かんでくる。川杉は頭がいいから、そんなことは納得の上で整形しようとしているに違いない。私が言えることはなにもない。
「ごめん……」
『なんで謝るんだ?なにも悪いことしてないのに』
「でも……」
『いいんだよ、もう遅いし切るね』
私はおやすみ、と小さく呟いて通話終了のアイコンをタッチした。
時計の長い針はもう10時をさしていた。
寮のおばちゃんが作ってくれる夕食はもうとっくの昔に片付けられているはずだ。
「お腹すいたな」
誰の返事も返ってこない。
のそのそと上着を羽織り、財布と携帯をジャージのポケットに入れて靴をはいた。
少し痛い出費だが、たまには外で食べるのもいいだろう。
今日は特にそんな気分だった。
3
1人で牛丼屋に入るなんていつぶりだろうか。店内は新商品の宣伝が延々と流れ続けている。その合間をぬって若い男やおじさんたちが味噌汁をすする音が細々と聞こえてくる。
私が頼むものはすでに決まっている。
「すいません、三色チーズ牛丼の特盛に温玉付きをお願いします」
一言一句違わず『あの画像』のセリフと同じ。川杉の顔が脳裏に浮かんでくる。メニューなんて必要なかった。
「かしこまりました」と店員が言う。
若い、大学生くらいの男の人だ。『チー牛』の画像を知らないのだろうか。なんのリアクションも見せないまま、厨房のほうへ引っ込んでしまった。
まあ、仕事だしなと思いつつ、あっさり『チー牛』を頼めてしまってかなり拍子抜けした。
どうやら私たちが気にしているほど、世間の人々は『チー牛』に関心がないらしい。
「お待たせいたしました」
さっきの店員がお盆に『三色チーズ牛丼の特盛に温玉付き』をのせてやってきた。
「……ありがとうございます」
想像をはるかに越えた特盛の多さに絶句した。あわててメニューをひらいて確認すると、並盛、中盛、大盛と段階を経てやっと特盛へと行き着く。
「マジか」
メニューに載った写真と実物を交互に見比べながら、私は小さく呟いた。誰も「マジだよ」とは答えてくれなかった。
川杉なら答えてくれたかも。
しかし、こんな量を彼が食べられるはずがない。川杉はどちらかと言えば少食な男だ。
メニューを眺めていてもう1つ気づいたことがある。正式名称が間違っている。
『三色』ではなく、『三種』だ。
どうして誰も気づかないんだろう。
「ふふっ」
『チー牛』を食べ進めながら、思わず笑いがこぼれる。
みんな知らないんだ。
牛丼屋の店員が『チー牛』を頼む客のことなんて一切興味がないことも。
『チー牛』の量がバカみたいにたくさんあることも。
チーズと牛肉の組み合わせは美味しいけれど、途中で飽きてしまうことも。
タバスコをたくさん振りかけて辛味をつけると美味しくなるということも。
1400キロカロリー以上あることも。
誰も知らない。『チー牛』を私に教えてくれたマドカも。『チー牛』である川杉も。
彼をからかうバカな奴らも。
4
店を出て、ランニングをしながら私は考える。
誰も本当のことを知らないまま言葉だけが1人歩きをしている。
頭の中で川杉の声がリフレインする。
『みんなが一度は目にしたことがあるはずだよ。眼鏡をかけて、垢抜けていない、下膨れの、覇気がない男。いわゆる陰キャってやつ』
それは要するに『ブサイク』に変わる新しい言葉が生まれただけなんだろう。たまたま『チー牛』だっただけで。
しかし、ただ『ブサイク』とからかわれただけなら、川杉は整形しようとまで思い詰めることはなかったんじゃないか、とも思う。
言っている意味は変わらないはずなのに。
言葉とは難しいものだ。
「『言葉』があるから『それ』が存在するのか。『それ』があるから『言葉』が存在するのか」
いつだったか、世界史の先生がそんなことを言っていたのをふと思い出した。
ひんやりとした風がランニングで汗ばんだ体を冷やしてくれる。
肩で息をしながら、垂れてくる汗をよけるように顔を上にあげた。
今日は月もなく、星が空一面に輝いている。
私には綺麗な星空としか認識できないが、わかる人が見れば、あれは『夏の大三角』、そっちは『射手座』、むこうに光っているのは『金星』、と理解できるはずだ。
逆に言えば、名前をつけることによって今私の目の前に広がる綺麗な星空は『夏の大三角』、『射手座』、『金星』という意味のあるものとしか見れなくなる。
言葉の呪い、と言ったら大げさすぎる?
一度知ってしまえば、もう後戻りはできない。そういう力が言葉にはある。
だから、私と私以外の人では同じ星空を見ていてもわかりあうことはできない。
名前をつけることによって、『それ』は世界から切り離される。
たいして賢いわけでもない私がつらつらと考えたところで、なにがわかるわけでもないが。
「川杉だったら……」
私の考えを伝えたらどんなことを考え、語ってくれるのだろう。
なんだか無性にわくわくしてきた。
もしも、『チー牛』に変わる言葉が生み出せたら。川杉の苦しみも少しは別の形となって癒えるのだろうか。
明日になったらまた川杉に電話をしてみよう。どうやって話を切り出そうか。
寮までの道のりはまだ長い。ゆっくり考えよう。
明日、チーズ牛丼を食べに行きましょう コクイさん @kokuisan
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