干渉、波紋、そして満月

 拓海くんが、話している。彼の声しか、聞こえなかった。ゆっくりと彼の世界がわたしの世界に重なってゆく。



 生まれたときから片耳が軽度の難聴だったこと。


 事故の障害で、両耳に補聴器をつけていること。


 音が歪んで聞こえづらいこと。


 周りのみんなが理解して助けてくれること。


 でもそれに卑屈な気持ちを抱いてしまうこと。



「僕は、自分だけが辛いと思って、いつも周りに支えられているのにそれが見えなくなって、勝手に自滅してるんだよな。」


 彼の辛さは、聞こえすぎるわたしにも、なぜか重なった。自分だけが辛くて、みんなにはわかってもらえないと思って、相談できない。拓海くんは、少し首を傾げ、ふぅと息をついた。わたしは立って段差を下り、彼の前にまわる。


「拓海くんがみんなと関わりたいって思っているから、周りのみんなも助けたくなるんだと思う。」


 誰かとの関わりって、傷つくこともある。相手の何気ない一言が、ずっと気になってしまったり、気持ちの向きが違っていたり。


 拓海くんは、強くて優しい。彼は、周りに笑顔を見せて、自分には厳しい目を向ける。自分が傷つくことよりも、相手を傷つけることを避けている。


「そうかもしれないね、ちょっと気持ちが軽くなったよ。」

「うん、良かった。……」


 言葉を続けられなくて、わたしたちの周りに静けさが落ちた。彼の話を聞きながらじわじわと感じていた焦りが、急激に高まる。自分で、暴露会、なんて言っておきながら、誰かに自分の辛さを吐き出したことなんてなかった。だから、言葉が詰まって出てこない。


「美月さんは?どうして一人になりたかったの?」

 

 わたしを見上げて拓海くんが発した声は、言葉を閉じこめていた喉をふわりと拡げる。そうだ、わたしのことも話さないと、君の想いが分かるよっていう言葉は、上滑りしてしまう。それに、わたしをちゃんと知ってほしい。


 再び隣に腰掛けて、彼の方に向きなおる。


「えっとね、わたしね、賑やかな場所が苦手だって言ったけど、それは聴覚過敏から来てるんだ。いろんな音が、一緒に頭の中に入ってくるの。」


 できるだけ、簡潔に伝えようと思ったけれど、話し始めるといろんな経験が堰を切ったように溢れてくる。聞こえすぎるという悩みは、彼にとって贅沢なものかもしれないと怖かったけれど、拓海くんは、真剣な面持ちで話を聞いてくれた。



 不安や緊張が高まると、周りの音を全て聞き取ってしまうこと。


 無理解からくる言葉に傷ついたこと。


 誰にも分かってもらえないと悩んだこと。


 今でも悩みを心の裡に押し込めてしまうこと。


 普段の生活での不自由に孤独を感じること。



 次々に想いが溢れて、胸が膨らんで膨らんで、破けてしまった風船みたいに空気を吐いていく。


「わたし、誰かに聞いてほしかったんだと思う。一人で抱え込んで、孤独だと思い込んで、当たり前だよね、みんなはそんなふうに聞こえないから。言わないとわからないものだよね。聴くことは世界を認識する方法の一つだけど、それがみんなと違うだけで、どうしてか差ができちゃうっていうのが分かって、悲しかったんだ。」


 拓海くんは、わたしの方をじっと見て目を瞑り、一度頷いた後、視線を合わせて口を開いた。


「うん、聴覚の世界がみんなとは違うって意識したときの怖さとか、寂しさって、なんか分かるかも。聴覚過敏と難聴なんて真逆だと思ったけど、そうでもないのかなって。……会ったばかりでおこがましいけど、理解できる気がする。」


 なんだか鼻先がツンと痛くて、喋ると涙がこぼれそうで、わたしは深くうなだれた。拓海くんの声が、ふわりと辺りを舞っている。


「僕もさ、聞こえづらいんです、ゆっくり話してくれますか?って言わなきゃいけないとか、補聴器をイヤフォンだと勘違いされて注意されるとか、社会で理解されてないんだって思う瞬間が、これまでいっぱいあった。でも、逆に自分がそうでなければきっと知らなかっただろうな、って思うし、なってみなきゃ分からないことが多いってのも理解できる。それって、美月さんも似たようなことを経験してて、僕は聴こえが敏感な世界は分からないけど、そういう人たちが理解されなくて苦しむ気持ちは、分かるよ。」


 わたしは、一度、深く息を吐いた。それから顔を上げて、拓海くんを見る。ありがとう、と言ったけれど声はか細くって、彼には聞こえなかったかもしれない。だけど笑顔で彼は頷いた。


「世界が、重なったね。ほんの少しかもだけど、聴覚過敏と難聴の世界が、別々じゃないって思えたっていうか。」


 わたしは泣き顔だったかもしれないけど、でも心は温かくって、晴々していた。

 聴かせてほしい、拓海くんが聞く世界を、そこで感じることを。この先、何も知らずに過ごしたくない。

 だからわたしは顔をぐっと拭い、ニヤリと笑ってこう言うのだ。


「また、暴露会するのもいいかもね。」

「ははっ、暴露会、やって良かった!」


 雲の隙間から差す柔らかな光が、辺りを満たして、わたしたちは笑い合った。


 

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