[the other side] 君の心 白い月
※エピローグ前、拓海視点のお話です。
僕の隣に腰掛けて、彼女はスケッチブックを開いた。美術の授業だろうか?ちらりと横目で見ると、筆箱の中の鉛筆を探しているようだ。
邪魔はしないでおこう。僕はまたスケッチブックの上に視線を落とした。
なのになぜか、いつもみたいに線がうまく引けない。紙面から僕一人放り出されたみたいで、もうそこに戻れなかった。
右側に視線を向けると、彼女の手は止まって、何やら考え込んでいるようだった。
「美術の授業?」
そっと放った声が、彼女に届いて、彼女は少し驚いたようにこちらを向いた。
「え?あ、うん。そう、なんです。
あなたもですか……?」
やっぱり、急に話しかけるとまずかったかもしれない。同じ学校だというだけで、今会ったばかりなのだから。慌てて首を振った。ふと目についたのは彼女の胸ポケットの緑色のピンで、同学年かと少し安心する。
「僕は、サボり。はは、ここなら誰にも見つからないと思ってたんだけど。同じ学年だよね?2年5組の山本拓海です」
ピンを指差して、笑みを浮かべる。一人になりたくてここに来たのにどうしてか、スケッチにここを選んだ彼女と話してみたかった。焦って余計なことまで言ってしまった気がするが。僕のスケッチブックの名前を見て、彼女が明るい声を上げる。
「あ、同学年……それに、わたしも山本です!2年1組の山本美月って言います。」
こちらに向けられたスケッチブックの名前欄に、角張った字がきっちりと並んでいた。美しい月。
「おー、偶然。よろしく、美月さん」
「こちらこそ!っていうか、一人になりたかった感じ……?お邪魔しちゃったよね」
明るくハキハキと話す彼女の声は、聴き取りやすい。会話をこのまま続けたくて、気を遣ってくれた彼女に首を振る。
「いや、もういいんだ。うーん、まあちょっと疲れちゃって?いつも一人になりたいときは、スケッチするんだ。描いてることに没頭できるから、余計なこと考えなくて済むし。」
「そっか、なんか分かるかも。へへ、スケッチちょっとサボっちゃおう。わたし賑やかな場所が苦手だから、この中庭で描きたかったの。ここってなんか、秘密の庭みたいで、誰も来ないだろうなって思ってたもん」
「秘密の庭か、うまいこと言うね。たしかにここの庭、静かで綺麗だもんな」
僕は眼を細めて庭を見渡す。日差しが雲の隙間から差し、降りゆく糸のような雨と葉の上の水滴が、キラキラと光っている。
「綺麗だよね。ここにいるとすごく癒されるんだ……来たときはすっごく集中して描いてたから、声かけるのちょっと迷ったんだけど。驚かせちゃってごめんね」
たしかに、自分の世界に没頭していて、声をかけられるまで気が付かなかった。でも、話していて心地よいし、距離感の取り方が似ている気がする。美月さんの雰囲気には、明るさもあるのに眩しすぎることがない。
「いや!全然構わないよ!むしろ僕の方が話しかけて邪魔しちゃってるし……でもなんか、ここの中庭に来る人ってあまりいないし、ここを見つけるなんて、やるな?なんて思って、ちょっと話したかった、ってのもある」
「ふふふ、わたしも思ってた!でもわたしの場合はサボりじゃないからね?あ、今はサボってるけど」
イタズラっ子のような笑みを浮かべて応える彼女に、茶化した言い方で応答する。
「たしかに。仲間を見つけちゃったな」
クスクスと笑いを漏らす美月さんは、ふーっと長く息をついて、こう続けた。
「なんかね、拓海くんのこと、会ったばっかりなのにね、親近感湧くんだよ。わたしも、よく一人になりたいときがあるから」
また、光が見える。緩い山なりのカーブの奥、真剣な眼に。
「僕も美月さんがここを好きな理由に賑やかな場所が嫌いだからって言ってたの聞いて、親近感湧いてる。僕が一人になりたいのは、ほんと周りに迷惑かけてばっかりだーって思って、自分が嫌になっちゃってさ。このまま教室にいたら、みんなに嫌味なこと言ってしまいそうな気がして」
途中まで描かれたスケッチが、膝の上で正体を晒している。このまま全て打ち明けてしまいたい。まだ暗くて、見えない気持ちが、出して出してと波を立て、胸に押し寄せる。
右腕にそっと触れた手の感触に顔を上げる。
「聴かせてよ、今ここでさ暴露会しようよ。他人みたいなもんだし、この授業時間中誰も来ないよ。わたしも誰かに聞いてもらったり、吐き出すだけで楽になることもあるし」
僕は細く息を吐くと、ゆっくりと口を開く。僕の暗く、底のない感情の海を、
「そうだね、今なら話せるような気がする。聞いてくれるかな……」
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