第3話

 八幡はちまん神社が総本山、豊後ぶんごの宇佐神宮。

 和の国最大の神社として知られるその地は、いま夥しい血で溢れかえっていた。


 檜扇ひおうぎ忠臣ただおみの持つ刀、その切っ先には僧兵の生首が貫かれていた。彼は僧兵の死顔を憤怒でもって睨めつけた。まるで親の敵を射殺すかの如き鋭い眼光で。 


「この男は余が殺したのではない。世に蔓延はびこる信仰が、この男を殺したのだ」


 忠臣の右腕には妖刀が握られていた。月光の光を浴びて血糊ちのりくらく光らせるは、妖刀「 風翻切かぜひるきり」。京の愛宕あたご山を根城とする大天狗を殺して奪った業物わざものだ。


 そして彼はいま、妖刀に貫かれた僧兵の生首を引き抜きながら、悲痛を堪えるかのように語る。


「ここに至るまでに立ち塞がった僧兵三千人――! 余はそのすべてを殺した! だが真に彼らを殺したのは余ではない、神に仇なす不届きを成敗せんとする、信仰心が彼らを殺したのだ! 八幡の神よ、どうしてそれが分からんか! 貴様の如き神を信ずるが故に、三千人も死んだのだ! 糞の役にも立たん唐変木とうへんぼくを、それでも己が命を賭して守らねばならぬという錯誤を信じ抜いたがために、最後の一人まで臆さず逃げず、余に挑み、そして無残に死んだ! 無謀を無謀と理解出来ぬままに死んだのだ! 神よ! 貴様のような虫けらが! 取るに足らん塵芥が! 人の生を蹂躙する罪深さなど分かるまい! 貴様の妄言がまた尊き命を殺したぞ! 見よ、己が罪を、その腐れた眼をカッと見開いて確かめるがよい!」


 彼の眼からは止めどなく血が溢れ出していた。それは返り血によるものでも、裂傷によるものでもない。ただ己の悲痛が生み出す血河であった。


 やがて忠臣は涙を拭い、眼前に座す本殿の賽銭箱めがけて、生首を投げた。賽銭箱の上には、長身巨躯の男が胡座を搔いて項垂れていた。


「――面白い男だ。実に面白い」


 男は飛翔する生首を寸でのところ避けた。ちょうど、己の首を九十度に傾ける格好で。

 僧兵の生首は本殿へ激突すると同時に、血と脳漿をぶちまけた。血飛沫に染まった本殿を、月光が冷たく照らしだした。


 男は、にこりと笑って忠心を見た。まるで試すかのように――否、実際彼は試していた。


 たったの一人で、三千人の僧兵を殺し尽くした男を。

 楽しそうに、興味深そうに――その閉じられた両目の奥で、観察していた。


「人が死んだな。大勢死んだ。それで? それは、それだけのことだ――いつの時代にも、当たり前に起こりうること。つまりは些事である。そんな些事に、お主は何を憤っておる?」


「些事だと? 三千人死んだのだぞ」


「そうさな。お主が殺した」


「否。信仰が彼らを殺したのだ」


「面白い」


 男は賽銭箱から億劫そうに腰を上げると、忠臣の前に聳え立つ。大きい――ざっと六尺六寸はあるだろう。


「俺はよこしま断左衛門だんざえもんという。この宇佐神宮で僧兵長をやっている。まったく、不本意なことだが」


「余は檜扇忠臣。この世の神仏を屠殺し、新たなる信仰として君臨する者だ」


「知ってるよ。有名だからな。全国の仏閣や神社を手当たり次第にぶっ潰して回る謎の武神――神仏と懇ろな武将の連中も手あたり次第ぶっ殺してると聞く」


「彼らもまた神仏を信仰するが故に、余に挑むという無謀を犯し、死んだ。それだけのことだ」


「それだけのことで、戦国の世はめちゃくちゃだよ。織田の魔王も、武田の虎も、豊臣の猿も、徳川の旦那も、みんなお主に殺されちまった」


「そんな連中など知らん」


「たまげたな、まったく。お主のせいで一体どれだけの人間が拠り所を失ったと思っている? 拠り所を失った人間というのはな、お主が思っているよりもずっと虚無だぞ」


「確かにそうかもしれぬ。しかし、それも神仏がこの世から消え去るまでのこと。連中が去った後に生じた空席に、余が君臨する。そうなれば、みなが余を信仰することになるだろう。よいか、余が求めるのは、弱きものが神仏に巣喰われず、人として生きられる世だけだ。それ以外はどうでもいい」


「そうか。で――俺のことも殺すかい?」


「それは貴様次第だ。今この時点で神への信仰を捨て、余を信仰するというなら――赦して遣わす」


「ははは、まいったね、どうも……ちなみにお主を信仰すると、なにかいいことがあるのかね?」


「己が信念だけを貫いて死ねる生涯を約束しよう。神仏に巣食われることのない人生を約束しよう。余は、余を信仰する者どもに、人として生きる意味を与えよう」


「どうも残酷なやつだな、お主は」


 断左衛門は、深く腰を落とした。さらに右手を天に向け、拳を堅く握りしめる。


「それがお主の言う「弱きもの」にとって、どれだけ残酷な世界か分からぬものかな。いや分からないだろうな。お主は強い。強いからこそ、真に弱いものの気持ちなんて一生かけたって分からねぇよ――自分の人生の責任を、自分だけで負うということが、どれだけ残酷か。お主のような強い奴には死んでも分からんだろう」


「……そうか。残念だ」


 檜扇忠臣もまた、刀の切っ先を断左衛門に向けた。それが構えだとでもいうかのように。これが天下無双の構えだとでもいうように。


「断左衛門。死ぬ前に一つ、貴様の見解を聞こう。余は八百万やおよろずを殺すと決めてから、全国を放浪しあらゆる仏閣を破壊してきた。あらゆる神社を燃やしてきた。あらゆる仏僧を殺し、また武将を殺してきた。にも関わらず、民は誰一人として余に従おうとはしなかった。それは何故だ?」


「簡単な話だ。お主のことが嫌いだったのさ」


「嫌われるのは一向に構わん。しかし、誰か一人でも余の行いを正しいと思う人間はいなかったのか?」


「いなかっただろうな。お主はどうせ人の話を聞かなかっただろうから」


「それが一体どうしたというのだ? 余は正しいことをしている」


「人間関係は鏡を映すようなもの――ってことさ。お主が人の話を聞かなかったから、誰もお主の話を聞かなかった。だから従うとか、正しいと思うとか――多分、それ以前の問題だったんじゃねぇのかな」


「そうか。では、次からは皆の話も聞くこととしよう」


 それは、忠臣にとって「さらば」と同義の言葉であった。自らが喋る終えると同時に、妖刀「風翻切」のもたらす無慈悲な一閃が、巨躯の男を真っ二つに切り伏せている。そのはずだった。


 しかし――現実は動かぬ。

 剣先は――微動だにせぬ。

 肉体は――ぴたりとも動かぬ。


「断左衛門……貴様、何をした? まさか、神通力の使い手か?」


「そうじゃない。そうじゃないよ、檜扇忠臣。確かにお前が今までに戦ってきた連中の中には神通力に精通した僧兵もいただろう。しかし俺はそんなに大したものじゃない。こうしてお主と相対し、構えちゃいるが武道の心得は一切ない。俺が使えるのは――否、遣えるのは、だけさ」


 でも、

 と、邪断左衛門は言った。


「言葉? 言葉だと? それで貴様は、余を封じているつもりでいるのか?」


「つもり、っていうか、事実その通りなんだよ。お主はもう、とっくに理解しているはずだぜ」


「なんだと……?」


「まぁ、俺の話を聞いてくれよ。なぁ、俺はどういうわけか、昔から説法が得意だったんだ。。どれだけ支離滅裂な話だろうと、みんな納得してしまう。だから俺はこの才能を、誤謬嵐ごびゅうあらしと名付けたよ」


「誰だろうと納得させてしまう力……だと?」


 忠臣の眼は、驚きに開かれ――動揺にわなないた。


 それは。それは。それは。それは。それは。

 剣の才能なんかよりも――もっと。

 もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。


 己が求めて止まない才能だったのではないか―――と。


 檜扇忠臣は、そう思ってしまった。

 本心から。


「そう。お主は本心で、そう思ってしまったんだよ。納得しちまったんだよ。人を説き伏せるっていうのは、こういう風にするんだってな。そして自分が一生、俺のように人を納得させることはできないって――理解してしまったんだ。お主は自分のやり方が間違っているって気が付いてしまったんだ。というか、遅すぎるくらいだぜ。お主、今までに何人殺してきたと思っているんだ? どうしてもっと早く気が付けなかった?」


「そんな馬鹿なことがあるか……余は正しい……余を信仰することこそが、弱きものにとって……」


?」


 檜扇忠臣の眼が、カッと見開かれた。そして、がたがたと震え始めた。


「望んでないよな――そうだよな。さぁ、気が付いてしまったらもう引き返せないぜ。ここが潮時だよ、分かるだろ? 今まで自分の犯してきた罪が、殺してきた人の命が、お主に乗っかっているってこと――自分でも気が付いているんだろ? ――分かるかい?」


「これが……これが……弱きものの心だというのか……?」


 そうして断左衛門はゆっくりと忠臣の元に歩みより、脇差を抜き、彼の喉に突き付けた。それでも忠臣は抵抗することもできず、ただ、がたがたと身体を震わせることしかできなかった。


「なにか言い残すことはあるかな、天下無双」


「……余は」


 檜扇忠臣は、血涙を流していた。それだけではない。体中の穴という穴から、血を垂れ流しているのだった。


「余は……余は……母の遺言ひとつ守れぬ、余の無能が悔やまれてならぬ……」


「この邪断左衛門、しかと聞き届けた」


 それが、二人の交わした最後の言葉となった。

 


 和の国にその名を轟かせた天下無双は、

 ――静かに、その生涯を閉じた。

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