縺オの人のバグルーム

縁代まと

縺オの人のバグルーム

 バグっていうものはゲームに付き物だと思う。


 古今東西色んなゲームをやってきたけれど、どんなゲームでも大なり小なり何かしらのバグがあった。

 自分でゲームを自作した時にしこたまバグが出て大変な目に遭ったから、べつにバグが残ってること自体は責める気はない。

 むしろいつも楽しいゲームの整備をありがとうプログラマーさん! と声を大にして伝えたいくらいだ。


 いや伝えよう、ありがとうプログラマーさん!


 で、助けてほしいんですプログラマーさん。

 俺が今遊んでいるのはヘッドギアを装着し、意識ごとゲーム世界に転送するフルダイブ型ネットゲームだ。

 この後SNSにこのゲームで大変な目に遭ったとこっそりと呟くつもりなのでタイトルは伏せておこう。責める気はしないけど呟く気はするので。

 それほどあまりにも稀有な体験だった。



 その日俺は普通にゲーム内の街中を歩いていたんだ。

 次に大型の戦闘イベントが控えてたから愛用してる装備は一式鍛冶屋に預けて整備を頼んだ帰り。代替装備は少し前まで使ってたお古で、なんだか懐かしい気持ちになりながら闊歩してた。

 そしたら突然目の前に馬車が現れたんだよ!

 馬車が走ってるマップもあるけど、この街にはいないはずで、完全に油断していた俺は馬車に吹っ飛ばされて……民家の壁に埋まってしまった。

 馬車の当たり判定って広くて、よく過去にも吹っ飛ばされたことはあるけど埋まったのは初めてだった。


 なぜかログアウトもホーム帰還も効かないから、もがいてもがいて微妙に移動して、そうして抜け出たのがこの質素なワンルーム。

 本来は入れない場所だが製作者のこだわりなのか何なのか、簡単ながらファンタジー系の木造小屋といった体裁がとられていた。

 といってもテクスチャはガタガタで花瓶なんて下の暖炉のレンガテクスチャがそのまま被さってるが。

 そこで丸一日過ごしている。

 いや、時計もないから体感なんだけど。確実にこれは一日経ってるわ、腹がすげー減ってるもん。もう逆に空腹すぎて吐きそうなくらいだ。

 このゲームはリアリティを追求するために時計はゲーム内に置かれているものでしか確認できない反面、過去に別のフルダイブ型ネットゲームに没入するあまり餓死したプレイヤーがいたためか、空腹や痛みなどはリアル世界と連動するようになっていた。

 でももちろんゲーム世界で何か食べれば一時的に腹は膨れる。

 空腹に耐えかねた俺は決意した。

 出る方法ばかり探っていたが、今は食べ物を探そう!



 キッチンはあったがそこに食べ物はなかった。

 戸棚はすべて開けられる仕様だったが、入っていたのはなぜかエロ本を模したジョークアイテムだけ。

 いやいやこれは悪ノリが過ぎるよプログラマーさん。去年クレームが出て廃止されたアイテムだけどもったいなくてここに置いたわけ?

 そう思いながらも手に取ってみると――ひ、開く! ページが開くぞこのエロ本!

 ジョークアイテムとしてのこの本は解像度のやたらと粗い表紙と裏表紙しか拝めない代物だったはずだ。

 えっ、まさかここにひっそりと保管しておくに際してわざわざ中身を作ったのか……?

 俺は呼吸を整えながら表紙をつまむ。

 これは、そう、ここから抜け出すための調査の一環。

 決してやましい気持ちはない。

 プログラマーがそこまで愛着を持ってたエロ本ってどんなだろ? という好奇心からでもない。


 俺は純真無垢! これは必要な行動である!


 ――と表紙をめくると『本来そこにないはず』のページを表示させる際に歪んだ空間に巻き込まれて右手だけ吹き飛んだ。

 えっ!? 右手だけ吹き飛んだ!?

 エロ本の表紙をつまんでる形のまま吹き飛んだ!?

 パニックになりつつ飛んでいった先を見ると、俺の右手は例の花瓶にホールインワンしていた。もちろんエロ本の表紙をつまんでる形のまま。

 いやいやいや、いや、いやー! これはいやー!! 前衛的な生け花みたいになってる! スクショが捗るけどこれはSNSに流したくない!!

 こんな親に見せられない生け花はいやだ! と引っこ抜こうとするがびくともしない。

 なんで一体化してるわけ!?

 花瓶を割りたくてもこの空間ではダメージ判定が入らないのか不動の構えだし、今の俺にとってはゲームのラスボスよりラスボスだ。


 出れないと知った時より困った……。

 黒歴史的羞恥心を喚起する悪魔のような装置になり果てた俺の右手を視界に入れないようにしつつ、ドットの塊っぽいイスに腰を下ろして悩む。

 ちなみに、うん、エロ本の中身はモザイクでした。1ページにつきグレー系の四角が36個。せめて肌色にしろばか。ばかばか。

 食べ物も結局見つからず、空腹も羞恥心もMAXだ。

 普通は食糧庫くらいあるもんじゃないだろうか。まあ普通じゃない空間にそんなこと言っても仕方ないんだけど。

 食糧庫らしき部屋はないし、なんならトイレもない。リアルのほうでトイレはどうなってるんだって? 聞かないでくれ。

 こういうスペースの少ない住居なら、例えば床下収納とかに何かあるもんじゃ――

 ある! 床に引っ張るところがある!

 慌てて立ち上がった俺は床のへこみに指をかけた。利き手ではないので少し力を入れにくいが、そんなのどうということはない。

 ぎいい、と軋む音をさせて床下収納へのふたが開いた。

 俺はわくわくした顔で中を覗く。

 こんな顔をしたのは小学生の頃に親にクリスマスプレゼントを選ばせてもらった時以来かもしれない。

 床下収納の中にはエロ本が山ほどあった。


 いや怖いわ。

 怖いわ……素でびっくりしたわ……。


 なんなの? もしかして廃止された時に全キャラが所持してたエロ本をここにひっそりと隠してたの?

 どれだけ思い入れがあるんだよプログラマーさん。悩みがあるなら酒でも奢って話を聞きたいわ。


 総毛立ちながらふたを閉めると大量のバグったエロ本がプレイヤーに視認され描写されたからだろうか、気づけば部屋のテクスチャが部分的に数字や文字化けに置き換わっていた。

 自分は? おかしなところはないか?

 左手はまだちゃんと付いている。

 足も動くし懐かしき中ボス戦用装備のまま。

 玄関のほうにある姿見で見ると顔も変化はなし。

 俺は心を決める。

 さっきから目には入っていた。視界の端に捉えるだけで何かおかしいと思わせるものがあった。でも直視したくなかったんだ。

 しかし男にはやらねばならない時がある。

 再び深呼吸して呼吸を整え、俺は下を向いた。さっき確認した足より少し上。下腹部より下。

 そう、俺の股間に何か付いているのがさっきからチラチラと見え――


 縺オ


 えっ、ええええっえっ待っええええええっ!!

 よく文字化けで見るやつが俺の股間に!

 むしろ俺の股間が縺オに!

 俺の股間が縺オに!? なにこのパワーワード!? やめて!?


 さっきから俺はなんで精神攻撃ばっかり受けてるんだろう、なんだか悲しくなってきた。

 悲しくても俺の股間は完全に縺オで、しかも明朝体だった。

 スクショにすら撮りたくない……いやでも後からバグ報告する時に必要かな……撮るか……。



 縺オになった俺の股間をJPEGで保管した後、俺は再び重い腰を上げてワンルームの中を探索し始めた。

 バグで変わったのはテクスチャだけかもしれないが、もしかすると何か変化があったかもしれない。

 しかし探しても探しても何もなく、暖炉の中の薪が一本縺オになっているのを見つけて妙な親近感を抱いただけで終わった。

 こいつは俺の兄弟だ、記念に頂いておこう。

 そう薪を手に取ったのは寂しさからか自分への慰めからか。

 しかしあれだけ痛い目に遭ったのに軽率な行動だった。

 薪を手に取った瞬間、縺オが縺ヲになり瞬く間に様々な数字に変化。高速で振動し始めなぜか初期フィールドマップのBGMがノイズ混じりに流れ始める。

 振動により手に持っていられなくなった薪は落下し、よりにもよって俺の股間に直撃した。

 縺オになったとはいえ、俺の股間まで右手のように吹っ飛ぶのではないかと血の気が引く。


 カッ! と光が溢れたかと思うと薪は消え失せ――股間の縺オは明朝体から創英角ポップ体になっていた。


 うーん。

 反応に困る。

 表情は驚愕の表情のまま固まってるけど脳内は冷静だ。

 現実逃避ともいうが。

 だって股間が創英角ポップ体の縺オになったことなんてないんだもん。俺のリアクションに文句言っていいのは一度でも股間が創英角ポップ体の縺オになったことがある奴だけだ。居たら友達になろう。

 なんとも言えない気分になりながらソッと左手で股間を隠す。

 触り心地まで縺オだった。



 この俺の股間の悲劇、もとい新しいバグにより室内は更なる変化を見せていた。

 壁のテクスチャが人間の顔面の開き!

 しかも壁いっぱいに引き伸ばされてて下手なホラーゲームより怖い! 怖いわこれ! 純粋に怖い!

 この顔はプレイヤーが最初に訪れる街の宿屋の娘さんNPCジュリアちゃんだろう。おい、このNPC俺の初恋なんだぞ、どうしてくれるんだ。

 いや、見ようによっては初恋のNPCとワンルームで同棲してる的なサムシングかこれ?

 ……そうだそうだ、嫌なことばかり起こってる時にこそ前向きに考えよう。ポジティブであることは大切だ。この涙は嬉し涙。

 そうなったらジュリアちゃんにも少しでも楽しんでもらわないと。生け花になった俺の右手とか見る? その辺の夜景よりよっぽど記憶に残るよ?

 そう思い暖炉の方を向くと、壁に掛かっていた鹿の剥製がジジジッと音を立てているのに気がついた。

 また何かバグだろうか、もう勘弁してほしい。

 すると鹿の剥製の形が変わり、ジュリアちゃんの首から下に変化した。いやあ! ジュリアちゃんの剥製!!


 しかし俺は数々のバグに見舞われてきた男。

 もうびっくりするのは3秒……4……ご、5秒くらいで、俺はとあることに気がついていた。

 ジュリアちゃん……おっぱいが大きい……!

 初期はウブすぎて近距離で見ることは叶わなかった。というかそんなことをしていたら他のプレイヤーから笑いながらスクショを撮られて晒される。

 しかし! 今ここにいるのは俺だけ!

 俺だけ!!!

 これだけ嫌な目に遭ったんだ、ひとつくらい幸運が訪れてもいいじゃないか。

 ちなみにこのゲームのNPCはモブの場合簡易AIなので現実の女性とは似て非なるものです。女性のテクスチャを被ったファミコンくらいに思っておいてください。


 いざ! いざヴァルハラへ!

 俺の股間が縺オの触り心地になっていたように、鹿の剥製もジュリアちゃんの触り心地に変化しているはず!

 俺は爪先立ちで左手を伸ばし、それをがしっと掴んだ。

 左手はジュリアちゃんのおっぱいを突き抜け、明らかに長いものを掴む。短い毛が生えてて温かく、ちょっと、こう、生物的なぬめっとした感じがした。

 ふふ、固い。

 ……。


 なんで生きた鹿の角なわけ!?

 そのこだわりは何!?

 剥製って死んでるんだからせめて加工した角の触り心地にしてくれない!?

 叫ぶかと思った。こらえた俺は偉い。


 しかし、うん、なるほど。

 テクスチャが変化しても形ごと変わってるものばかりじゃないのか。これは大発見。大発見ということにしておこう、何か収穫がなけりゃやってられない。

 俺は頭を抱えて部屋の隅にうずくまる。

 素数でも数えようと思ったが最初の数字が2だったことくらいしか覚えていなかった。念仏も似たり寄ったり。偏った知識でクトゥルフ召喚の呪文だけは空で言えるが、ただでさえSAN値を削る部屋の中でそれはないだろう。

 それとも目には目を歯には歯を、か?

 まあこれは本来は報復律のことだから同じことでやり返すってことじゃないが――


 ……!

 そうだ、目には目を歯には歯を、バグにはバグを!

 前に密かに流行った壁抜けバグというものがある。その時は通常マップから通常マップにしか抜けられなかったが、この部屋の中で使える可能性はある。

 たしか修正されたという話も聞いていない。

 リアルの俺は一人暮らしのため、あまり長引くと社会的死だけでなく命の危険もあった。そろそろシリアスになって脱出を図ろうじゃないか。


 俺は早速自分がこの部屋に抜け出た時の方向を計算し、そちらに街の大通りがあることを祈ってすり抜けバグの準備をし始めた。

 まず簡易チェアアイテムを出す。この時背もたれのないデザインのものを使わなくてはならない。丁度持っててよかった。

 壁際でそれに座り、座ったまま高速で出し入れを繰り返して少しずつ斜めに移動する。この時はたから見るとかなりシュールな図になるため、一時期それを収めた動画が流行った。

 プレイヤーの肩まで壁に埋まったらすかさず爆発ポーションを足元に落とし、その爆風で壁をすり抜けるといった寸法だ。

 戦闘イベント前だったので爆発ポーションの手持ちはそこそこある。よし、運が向いてきたぞ!


 今だ、テイクオフ!


 左手で爆発ポーションを足元に落とした瞬間、爆風に巻き込まれた俺はHPをやや削りつつ弾き飛ばされた。

 あまりにも激しい視界のブレに思わず目を瞑ってしまう。いてぇ! 色んなところをぶつけてる! 今頭に当たったのはなんだ!?

 いや、でも壁抜け中はこんなものだ。狭い空間を四方八方に飛ばされてバウンドしているような感覚。かべのなかにいる、っていうのはこんなにもキツいのだ。

 ……。

 ……でもこれ、普通に狭い室内を跳ね回ってる感じでは?


 目を開けると案の定俺はワンルームの中を縦横無尽に跳ね回るバウンドクリーチャーと化していた。

 ジュリアちゃんのおっぱいにぶつかったが、それは鹿の角。いてぇ! もうやめてぇ!

 叫んでいると俺の軌道は床下収納のある位置に向き、ふたが目前に迫った。あまりにもジャストミートだったのかふたを突き抜けて頭から中に入り込む。こっちで!? こっちで成功!?

 もちろん抜け出た先には大量のエロ本。

 地獄。

 絶叫。

 救助要請。

 応答無。

 こわい。

 エロ。

 閃光。

 阿鼻叫喚。



 ――……。


 気がつくと俺は正常なワンルームの玄関にいた。

 どうやら大量のバグエロ本に突っ込んだ結果、テクスチャバグの直った部屋に強制ワープしたらしい。

 ふらふらと起き上がり、酷い目に遭ったと嘆く。もうちょっとやそっとじゃ驚かない自信があるぞ。


 そうだ! もしかしたらテクスチャが正常に戻った部屋ならすり抜けバグが効くかも。

 俺は自分を奮い立たせ、そしてあることに気がついた。

 こ、股間が!

 股間が元に戻ってる!

 わああああん! おかえり俺の股間!! 何もないけど今日は俺の股間おかえりパーティーをしよう!!!

 本当におかえり、と股間を労っていると力が湧いてきた。

 そうだ、ポジティブは大事!

 そうにこにこしながら玄関の姿見を見る。

 俺の顔が縺オだった。

 しかも無駄に虹色で左右に揺れている。その動きを目で――いや、縺の氵の点々で追いながら俺はにっこりと笑う。


 そっ!!!

 ちっ!!!!

 かよっ!!!!!




 なお、その後爆発ポーションの死に戻りで脱出し、スクショをSNSに上げた俺は『縺オの人』として一週間くらいバズって透過PNGのフリー素材になったのだった。

 



END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

縺オの人のバグルーム 縁代まと @enishiromato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説