第3話

▼津軽 外ヶ浜 鰊御殿(白土家)


【前のお話の続きから、早いものでもう一年が経った頃のお話。季節も前回と同様、津軽で鰊漁がまさに最盛期の季節。今年もまた一段と豊漁で、豊漁豊漁と囃された去年を上回ろうかというほど。こちらの岸も、蝦夷地の岸も、毎日がお祭り騒ぎという表現では足りないくらいのてんやわんやな様子。そんななか青五郎はと申しますと】


出稼ぎ漁師 「おーい、船が来るぞー。人は揃ったかー?」

青五郎   「おうよ、はい、はい、網の引き手はもうじゅうぶんだ。すぐに揚がるんだから、モッコ衆に早く来いって言っといてよ」

番頭    「はいよー」

青五郎   「そこの丁稚。あのヤン衆について行って、きちんと漁獲を書き留めておけよ」

丁稚    「へい、わっかりました」

青五郎   「おいおい、言ったそばから。書くには筆と紙がなきゃ」

丁稚    「へへへ、これは失礼」

青五郎   「調子のいいとこぁ、お前の長所だ」

丁稚    「行ってきまーす」

青五郎   「きちんと頼むぜ」

老爺    「おうおう、やっとるだに」

出稼ぎ漁師 「去年あいつが来てから、いや助かるのなんの。この豊漁でこの忙しさ、青五郎がいなかったらさぞ大変だったろうよ」

お鈴    「ふあぁ」

出稼ぎ漁師 「お、これはこれは大美人のおでましだ」

お鈴    「なによ、それ。そんなことより、青五郎さんは?」

番頭    「今の今までここにいたんだが、どこだろう?鰊の船が着くっていうから、おおかた浜辺のほうまで行ったんだろう」

お鈴    「そうかい。檀那が呼んで来いってさ」

出稼ぎ漁師 「なら俺が伝えてきてやら」

お鈴    「頼んだよ」

番頭    「でも、檀那が?用件は何でしょうな。野暮用なら私にお任せくださればよいものを」

お鈴    「なんだか、新しい商いがどうのって話らしいよ」

番頭    「なんと、それはまぁなんと」


【こうした働きを見るにつけても、ここ一年、青五郎は津軽北国の地で存分の働きぶりをしてきているようで。当の本人も手ごたえがあるのでしょう、あたりへの指示もテキパキ溌溂としております。檀那から譲り受けた上等な蝦夷の羽織にも、檀那の青五郎への賞賛や信頼が垣間見えるようでございます】


お鈴    「檀那様ー。青五郎さんが来られましたよー」

青五郎   「檀那、お待たせ致して。お呼びですかい?」

お大尽   「おう、青五。ちょちょ、こちこちへ」

青五郎   「はい?」

お大尽   「襖を閉めよ」

青五郎   「はい、はい。何ですかね?」

お大尽   「おぬしはここ一年、ほんによくやってくれた」

青五郎   「それはそれは、滅相も」

お大尽   「外仕事に内仕事、どっちもつつがなく、いや期待以上にこなし、わしはつくづく感謝しておる。そこで、だ」

青五郎   「はい?」

お大尽   「そこで、まぁうちに長い者どもを通り越してと思われるとならんのだが。まぁうちにそんな僻み根性の者はおらんとして、だ」

青五郎   「江戸っ子にそんなジメジメした目はきかねぇさ」

お大尽   「そう、その気概も見込んで、だ」

青五郎   「で、なんですかね?」

お大尽   「いや、なんだ、おぬしも、今度うちの家が新しい商いをしようというのは、聞いたことがあろう?」

青五郎   「ええ、まぁ。今が盛りの鰊だけでない、蝦夷の昆布と材木を新たに、って話ですかい?」

お大尽   「そうだ。海の向こう松前に集まる宝の山だ。あれは商いになる」

青五郎   「となると、やはり送り先は江戸ですかい?」

お大尽   「そうだ。都は今や京の都でない。江都だ」

青五郎   「あっしもいたから分かります。江戸のあまたの者どもが昆布を食べ、家やら社やらを建てたら」

お大尽   「どっちもいくらあっても足りやしない」

青五郎   「木が入り用となる江戸の火事はまっぴらごめんですがね」

お大尽   「そこで、だ」

青五郎   「あぁ、わかった。福山、江差まで行って来いと、そうおっしゃるんでしょう?」

お大尽   「そう、そうじゃ」

青五郎   「それなら俺ものぞむところ」


【ちょうどその時、襖から番頭たちの声で「えぇ~」という落胆の声。よほど新参者の青五郎に新しい商機がめぐってきたことが悔しいのでしょう。ただ、そんなことはなんのそので、重ねてもっともっと大きな声が響きます】


お鈴    「ねぇねぇ、檀那様。ちょうどよかったわ」

お大尽   「ん?どうした?お鈴」

お鈴    「あたしも福山に用事があったのよ。ちょうど今朝、福山のおばさまから文があって。江差の知人のところに寄って、大事なお届け物を、と」

お大尽   「ほう、そんなところに係累がおったのか」

お鈴    「青五郎さんなら、ご同道してもよろしいでしょう?」

お大尽   「たしかに。女一人旅は物騒だが、青五となら大丈夫だ」

お鈴    「じゃあ」

お大尽   「行ってくるがよい。向こうにもよろしくな」

お鈴    「ありがとうございます」

お大尽   「青五、出立は早ければ早いほどよい。明日にでも」

青五郎   「はい、かしこまってござ」


【話は風雲急を告げます。期してか、期せずしてか、津軽から海を渡り北の蝦夷地へ、主の信頼を勝ち得た青五郎の商機をつかむための旅と、透き通るような美人の道連れの旅と相成ります】



▼松前 福島村 村はずれの神楽殿


【舞台は変わりまして、津軽からようやく海峡を越えて蝦夷地に渡りました青五郎とお鈴。道中ここ松前福島までは海も凪ぎ、街道も日和が続き、このままゆけば難なく江差まで、というところで、急に春の吹雪に見舞われます。二人は這う這うの体で丘一つ越えた先、ようやく見つけた朽ち果てた神楽殿へと逃げ込みます。凍える二人。誰もいない狭い廃屋。外では吹雪く音か、獣の声か、ゴウゴウと】


お鈴    「きゃぁぁ」

青五郎   「おっと、お待ちなすって。この吹雪も、きっといっときのことでしょう」

お鈴    「このお堂まで急いだは良いものの。足はくじくし、見て、こんなにびしょ濡れになっちまった」

青五郎   「それはそれは。俺の着物を破るから、それを巻いておくんねぇ」

お鈴    「ありがとうねぇ」

青五郎   「いいって、いいって。何の因果か、同道の旅だ。江差に着くのが、ちと遅れたって。にしても、ここは昔の神楽の舞か何かをするとこみてぇだよ」

お鈴    「あら、辻堂かと思ったよ」

青五郎   「まぁどちらにしろ、今は屋根と戸があるだけありがてぇ」

お鈴    「寒いねぇ」

青五郎   「濡れちまったから。もう一枚、羽織るかい?」

お鈴    「お前さんが裸になっちまうよ」

青五郎   「別に大したこたぁねぇ」

お鈴    「っくしゅん」

青五郎   「畜生。火打ち袋も雪でこの通り。使い物にならねぇや」

お鈴    「ありがとう、大丈夫。ただ、外は大丈夫かね。蝦夷には津軽じゃ見ない獣もいるって聞くよ」

青五郎   「化け物みたいな骨のやつか?」

お鈴    「そう、ここじゃあの骨に肉がついて歩き回ってるんだろ?」

青五郎   「この雪じゃ、獣も不自由してるだろうさ」

お鈴    「雪目がきいたらどうすんだい?」

青五郎   「夜目みてぇに」

お鈴    「はぁ、せっかく檀那もいない旅だのに。怖いね、離れちゃ嫌だよ」

青五郎   「ふ、任せとけ」


【この猛吹雪のなかですが、実は青五郎とお鈴の二人、青五郎が鰊御殿で働き出してすぐに良い仲となっておるのでした。ですのでもうかれこれ半年以上、恋仲というわけ。もちろん、お鈴を囲う檀那の目を盗んで燃える、ひそかな恋であります。ちょうどこの蝦夷地の旅も、二人にはとっては人目を忍ぶ良い機会だったのです。そんな青五郎の目の前で二人きり、濡れて震えるお鈴の豊かな体躯。すらりと長い手足に、程よい肉付き。つくづく男好きする体に青五郎も知らず知らずゴクリ】


【その時、真っ白な吹雪の世界に光と音を同時に稲妻が飛び込み、続けて突風が神楽殿を薙ぎます。雷雪に驚き、濡れた女は思わず全身を青五郎の胸板へ預けます。しぶきに混じって青五郎の鼻に触れる色香。密に触れ合う肌と肌】


お鈴    「あぁ、こうしているとあたたかい」

青五郎   「・・・・・・」


【青五郎のゴクリが女にも聞こえる近さ。見上げる女のクリッとしたまなこには、濡れた火打ち袋でも火が付いたよう。すっと通った目鼻立ちの頬に、ほのかににじむ淡い紅。物欲しそうに軽く開く口にのぞいた、滑らかそうな舌】


お鈴    「もっとあたたかくなるには、ねぇ」


【と言ったところで、男青五郎、その手がなめるように女の濡れたはだえを・・・あぁ、雪が染みちまって、ここから先が読めやしません。遺憾ながら今回これにて読み終わりと致します】


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【落語台本】鰊御殿(にしんごてん) 紀瀬川 沙 @Kisegawa

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