第2話
▼津軽 外ヶ浜 鰊御殿(白土家)
【あくる日、この日も青五郎は御殿を訪れた朝から何かとつけて頼りにされ、半日は鰊漁の人足に駆り出されます。二日酔いもひどいなか、青五郎にとってはこれはこれで楽しいもので、昨日顔見知りになった漁師たちと今日も馬鹿話をしながら網を引きます。ただ、さすがに今日こそは、紹介された仕事に関してハッキリさせないとならないということで、青五郎は昼下がりから鰊御殿の一間に通されております。同じ間には、番頭と他の店の者どもがおり、あとから主のお大尽もやってくるとのこと】
番頭 「いんや、昨日と今日と、岸のほうで網引きに力を貸してもらって。ありがとうございました」
青五郎 「いいって、いいって。こっちも楽しくやらせてもらったから」
番頭 「その慰労も込めて、まま、まずは一献」
青五郎 「お、そうかい。酒?では、頂きますよ」
番頭 「これは津軽の地のもので、ここらでは銘酒のうちに入るもので」
青五郎 「くぅ、うまい。疲れも吹き飛ぶってもんだ」
番頭 「北前船で都のほうにも運ばれてるんです」
青五郎 「へぇ、江戸に?」
番頭 「いえ、都に」
青五郎 「えっ?」
番頭 「京の都に」
青五郎 「ああ、そうかそうか」
店の者 「あたくし、この番屋で奉加帳を書いている者ですが、以後よろしくお願いします」
青五郎 「よろしく頼みます。俺も奉加帳なら江戸で覚えはあるからね。何でも言ってくれ」
店の者 「はは、ぜひ。そうだ、青五郎さん、お酒のお供にこれ。吊るし干しした鮭です」
青五郎 「これはまた赤身なんだか、何なんだか見慣れない。お、塩っ辛い」
番頭 「その塩っ辛さと酒がまた合う」
青五郎 「合う合う」
店の者 「そうでしょう。いずれ都でも流行るはず」
青五郎 「こんなもてなししてもらって、おそれ入谷の鬼子母神」
番頭 「へ?」
店の者 「ほい?」
青五郎 「いや、なんだ、おそれいる、おそれいる」
番頭 「北の地にはまだまだ珍味佳肴が豊富。ま、追い追い」
青五郎 「そりゃ楽しみなんだが、そろそろ手前の仕事の話を」
店の者 「いや、青五郎殿、もう一献」
番頭 「そうそう、せっかく来て頂いたんだ、ぜひお贈りしたいものもありましてな」
青五郎 「いやいや」
店の者 「まぁまぁまぁ、青五郎殿、こちらを」
【こうして半ば強引に渡されたのは、光沢が目にも鮮やかな毛皮の衣です。青五郎には何の毛皮かまったくわかりませんが、ひとたび受け取って触れると、その毛並の細やかで柔和な触感と、熱を籠らせて逃がさない良質な織込みでとても上等なものと勘付きます。これから奉公するって青五郎に、どうしてこんなもてなしをするのか、まわりの心中が一向に計り知れないでおりますと】
青五郎 「いや、ありがたいんだがね、働き口のことを」
番頭 「それがですな、うちにもよく奉公口を求めていろんな方が来られます。ぶらりと来る者、紹介状を携えてくる者、書状はなく口利きの者、などなどあまた」
青五郎 「そう、俺も江戸時分に働いていた店の口利きだ。それで、昨日からお願いしてる」
番頭 「それはそうなんですが」
青五郎 「なんでえ?」
番頭 「そういう者にはみな、本来周旋された仕事とは違う、まぁ何と言いますか、うちの家業の本業をお願いしてるんですよ」
青五郎 「俺が昨日今日としてきたやつかい?」
番頭 「そういうことなります」
青五郎 「それもはじめの仕事覚えってわけじゃなく?」
番頭 「いえ、むしろ、それだけ」
青五郎 「おいおい、でも何で?来る時と話が違って、これまでの奴らは納得したのかい?」
番頭 「うぅむ、うちの主がまだ来ないんで言いますが、主の気まぐれなんですよ」
青五郎 「気まぐれ?どういうこった?」
番頭 「商売の仕事は、もともとは今の我々だけでじゅうぶん間に合ってるんですが、どうも主が我々に気にくわないことがあると、こうして別の人を計画なしに呼ぶんです」
店の者 「呼ばれたほうも、我々も、どっちも迷惑千万」
番頭 「こら、口を過ぎるでない」
店の者 「へぇ」
番頭 「あの漁場も、この御殿も、商いも、すべて先代が築き上げたもの。今のお大尽は生まれながらのお大尽。お気に召さないことは許せないたちなのでしょう」
青五郎 「ほう、これはまた赤裸々に。事情は相分かった。でも、これまで他の奴らはどうしたんだい?」
番頭 「漁の人足で納得してもらいましたよ」
青五郎 「んなわけ」
番頭 「ああ、こころばかりですが月賦で二十両」
青五郎 「納得だ」
番頭 「では、今回も?」
青五郎 「むむむ、背に腹は代えられ」
【と青五郎が金額に折れかけた、ちょうどその時、奥のほうからぞんざいに板張りの床を踏みつける音が鳴り響きます。こんな御殿の奥座敷で我が物顔の足音。そこからも容易に足音の主が御殿の主と推し量れます。大きな足音に続くぱたぱたとした小さな足音。どうやら近づいてくるのは二人のようで。青五郎らがいる座敷の襖が強い力で開け放たれます。店の者は、その桟がかちあう音に肩から上ずってかしこまります】
お大尽 「おう、客人か。よおく来たのう」
青五郎 「これはこれは、お邪魔しております。お会いできて光栄です」
番頭 「お帰りなさいませ。お早いお帰りで」
お大尽 「番屋の主人連が集まるつどいが、たいそうつまらなくてのう。みんな松前の藩のお偉方の顔色ばかり見よって」
番頭 「それはそれは」
お大尽 「つくづく小さいやつらだて。のう、お鈴?」
お鈴 「ふふふふふ」
お大尽 「だから早々に郭を去ってきた。こうしてお鈴は連れて帰ってきてしまったがの」
お鈴 「うふふ」
お大尽 「で、そこの客人はどなたか?」
番頭 「こちらは江戸の大店・錦屋さんからのご紹介で来られた」
青五郎 「青五郎と申します。昨日、こちらに到着致しまして、昨日今日と鰊の漁をお手伝いさせて頂きました」
お大尽 「おうおう、それはご苦労ご苦労。錦屋さんとは、網引きの人足じゃなく、書き物仕事ができる方を、と相談させてもらっていてな」
青五郎 「承っております。ただ昨日今日は、まずは実地でお家のなりわいを、と思いまして。番頭さんからもおすすめ頂きましたこともあり」
お大尽 「それはいいが、ほんっとに、わしはこいつらのだらしなさに辟易しとるのだ。実地に実地に、とかかこつけて、新参者への当てつけではないだろな?」
番頭 「いいえ、いいえ。滅相もございません」
【動きも物言いも大店の主とは思えない、よく言えば豪快、わるく言えばガサツといった、蝦夷地との交易のたたき上げといった主のありさま。和装ではあるものの、その上には蝦夷の文様華々しい織物を羽織っております。強烈な物言いに、店の者はみな平伏しきり。北国の豪腕豪商といったところでしょうか】
お大尽 「番頭、お前らと長々とはしゃべっていられんのだ。のう、お鈴?」
お鈴 「ふふふ」
お大尽 「いずれにせよ、客人にはきちんとしたもてなしを」
番頭 「はい」
お大尽 「仕事なら、屋敷の書き仕事を何かあてがって差し上げればよいだろ。漁労と書き物、どちらか一方といった決まりはない。どちらも適宜、天秤みいみいじゃ」
青五郎 「ありがとうございます」
お大尽 「そのかわり、働き出したらもう、客人と主人じゃなかろう」
青五郎 「承知でござい」
お大尽 「お鈴、二階へゆくぞ」
【店の者の心中何のその、お大尽のじかの采配で青五郎は鰊御殿での仕事にありつけるようであります。ただ、そのやり取りの最中にも青五郎の心を放さなかったのは、お大尽のわきにまします、郭の遊女か何か。お鈴と呼ばれたその美女は、主にしなだれかかって鰊御殿も我が物顔。ここでくしくも、その顔は、青五郎が江戸時分に手を出して大やけど、結局ここ津軽に流れるまでにつながった、隣の商家の奥さんに瓜二つ。そこから清楚と妖艶を取っかえたかのような女で、青五郎は湿った目線で見送ります。厄介なことにならなければよいのですが、続きは次回のお話にて】
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