引退した宰相閣下は第二の人生を謳歌する

梅之木うめこ

第1話



 おとぎ話の大団円などという結末は、全ての人間による努力の賜物でしかない。


 この世界には『異世界からの転生者』と呼ばれる存在がいる。

 彼らはこの世界の神によって取捨選択され、池に小石を投げるような気軽さで生まれてくる。

 そして、それは私たちにとって試金石だ。

 彼らはこの地にない知識を持ち、この地にない魂の輝きを持ち、私たちへ問いかける。眩しくも疎ましい輝きに対して、どのように反応するのかを神は見ている。

 転生者たちへの感情はさまざまだ。神からの使者として崇める国もあれば、その知識に価値があるとみなし積極的に保護する国もある。この世界に生まれてきたのならよき隣人だと受け入れている国もあり、転生者狩りが行われるほど苛烈に排除する国もある。

 わが国では、突然そらから落ちてくる災厄だと疎んじている国だった。

 歴史を紐解けば、建国以来彼らは騒乱と混乱と波乱を巻き起こし、徒に悲劇を撒き散らす害悪ばかり。必然疎んずる風潮が強くなった。


 今はとくにその傾向が高いものだ。


 バルコニーから望む領地を感慨深げに眺めながら紅茶に口をつける。

 レンガの温かみのある家々。活気のある大通り。あちこちに植えられた草花の道。はためく洗濯物のカーテン。

 ほんの十数年前まで、ここら一帯が焦土であったなどと誰が思うだろう。


 私が生まれるより前の話になる。

 我が父上の父君、つまり祖父は国王として君臨していた。

 幼い頃挨拶をしたお祖父様は、凛々しくも国を背負うにたる素晴らしい君主だ。彼の君には王妃が一人と側妃が二人、子供が王妃胎の王太子と我が父上の二人と、側妃胎の王女二人王子二人がいたという。

 たいそう仲のよい王室一家は私たち国民の誇りだった。

 そこにまた一つ命が宿った。それが全ての元凶となった『異世界からの転生者』である。

 この世界では、子供というものは肉体を両親の胤と胎を用いて作り上げ、生まれる二月前に神に魂を授けられ生まれる。魂の宿っていない状態なら親たちは堕胎を許されるが、魂が宿ってしまえば必ず産まねばならない。


 たとえ胎に宿った魂が転生者と分かっても。


 彼らの魂は特殊で、胎に宿ればすぐにそれと知れる。

 当時の王妃が災厄を孕んだ事は大いなる混乱と不安を生んだらしい。

 最も高貴な男女に、この国で最も嫌われている魂が宿る。なんという皮肉であろうか。

 王も王妃も悩んだという。何度も相談し合い、何度も文献を探ってその命をどう取り扱うかを協議した。

 堕胎は許されない。それは神と人との約定だ。違えれば本人はもちろん国へも神罰が下りかねない。生む事は既定事項だった。その上で、子を生かすのか殺すのか。

 結局子供は王妃が責任をもって養育すると主張し、ながらえることが決まった。

 だが、王妃は王子を産むと産褥により天へと還ってしまい、その養育の是非は宙に浮くこととなる。


 かの王子がどのような幼少期を過ごしたのか、何一つ分からない。王によって、かの王子を後宮ではなく、王族専用の牢獄と称される泉主の塔に入れたと記録だけが残るのみ。

 表に出たときには常識を知らず、不遜極まりなく、そして常に独りであったという。

 そんな王子だが、同母の兄たちとはそれなりに仲がよかった。王太子と我が父上は歳の離れた弟を不憫に思い、時間のある限り世話を焼いたのだ。

 

 それでも王子は、例によって騒乱ををもたらした。


 内乱だった。王位を巡るおぞましく、長い戦。

 対峙したのは王太子と災厄の王子。

 どんなやり取りがあったのかは誰もが黙して語らない。

 幼いころ、我が父上がいつだか、ひどく悲しげな顔をして「せめて、母上がご存命であれば」と酒を煽っていたのを覚えている。

 当時、父上が王太子と災厄の王子の仲裁を行っており、争いを早期に終わらせようと迅速に動いていた。両者とも早々に臣下に下り真面目で優しい父上を大切に思っていたようだから、和解は近いと思われた。


 父上が暗殺されなければ。


 その死を告げられたとき、私は九歳の子供だった。

 私は重苦しく痛むような葬儀の後、唯一の後継として異例の速さで家督を継いだ。同時に、六つ年上の先妻と政略結婚を結び、内乱の火蓋が切って落とされた王国の渦中へ投げ入れられる。

 めまぐるしい日々だった。誰が敵で、誰が味方か。誰にどんな弱みがあるのか、強みはどこか。己の陣営の過不足を呻吟し、穴を塞ぎ、時に苛烈なまでに排除した。

 幼いままではいられない時代。いつしか私の手はドス黒く汚れて、それを平然と受け入れることができるほど壊れていった。

 王太子と災厄の王子の争いはあらゆる場所に飛び火し、貴族たちは家を残すためにどちらかに組しなくてはならなくなっていく。婚約者の家が敵となり、共に学び遊んだ学友たちが真剣で対峙し、親しかった味方が自分を陥れてのし上がっていく。

 貴族の崇高な矜持は汚泥にまみれ、屈辱に膝を折る毎日。

 その刃は必然民へと等しく降り注ぎ、いくつもの村が、街が戦火に滅んだ。


 聖典にある、『黒きよどみの奥底』とはあの当時のわが国そのものであったろう。

 いつ終わるとも知れない暗き日々の中で、王族が一人、また一人と数を減らしていく。気づけは王と災厄の王子と王太子のみしかいなくなっていたのだから、その壮絶さは察して余りある。

 私自身、いつ殺されるかもしれない身。精通をしてからは、周囲が跡継ぎを欲しているのが肌で感じていた。

 十五になり念願の第一子が誕生した。待望の嫡男で、家中が安堵した空気に満ち、先妻など涙を流すほどに重圧からの解放を喜んでいた。ちょうどその頃、王宮では召し上げられた一人の少女が産気づいていた。

 私の母上の姉の子である少女は、十五の身ぞらで御歳五十歳を迎えた王の妃となり救国の王女を産んだ。それは折りしも、わが子と一日違いの誕生であった。

 この時生まれた王女こそが、先代国王陛下である。

 将来国母として歴史に記される王妃は、幼い身での出産によりしばらくの後帰らぬ人となった。気高く、愛らしく、明朗で、私が知る女性の中でも上位に入るほど素晴らしいひとであったのに。

 戦乱の世でなければ、父が亡くならなければ、もしかしたら私の妻となったかもしれないひと。

 私は彼女が命をかけて生んだ王女を国王とすることに決めた。


 我が君を煩わせる有象無象を退け、栄光の道を整え、よりよき王となれるよう教育を施す。

 同い年の我が子より、熱心に王女の下へ通い続けた。

 彼女はすくすくと育ち、賢く王族としての役目を十分理解して分別ある行いをした。

 誰もが幼い王女殿下に期待をかけて、災厄の王子を排し頂点への道を歩く事を強要し、それが当然のことだと疑いもしない。長い戦乱に疲弊する人々は彼女の姿に希望を見出してすらいたのだ。

 いつの間にか王太子と災厄の王子との内乱から、王女と王子たちの戦いへと変化していき趨勢は大きく傾き始める。

 熱狂のように沸く王女側に押される様にして王太子は陥落し、災厄の王子もまた戦場で討ち取られた。内乱の終結である。私が二十八歳、王女殿下は十三歳であった。

 私は若くして宰相の地位に上り詰め、王となった彼女を影に日向にと守護し支えた。

 もはや老齢の先王と女王しか王室にはおらず、王族を増やす事は急務であったから彼女に見劣りしない素晴らしい王配を宛がい、落ち込んだ経済復興のきっかけとして盛大な結婚式を催した。

 そうして生まれたのが今上陛下である。女王陛下はまだ十五歳。己の時と同じく、たいへん難産ではあったが此度は母子共に健やかに納まった。

 先王陛下はその後、王子を一人王女を一人お生みになり、喜びに満ちた日々を送っていた。

 けれど、神は我々に再びの問いかけを行う。


 女王の胎に『異世界からの転生者』が宿ったのは、二十歳になった日の夜だった。


 幸い宿った瞬間は後宮にある女王個人の私室であったため、あの時のように国中に知られることはなかった。彼女がとくに信頼している女官長と侍従長、そして王配のみが知り、即座に緘口令が敷かれ、後宮に私が呼ばれた。

 悪夢の再来に私たちは胃の腑が凍える思いだった。

 殺しましょう。誰もがそう言いたくて、けれど口ごもる。

 まだ戦乱の爪あとは色濃く、転生者に対する憎悪は過剰な排斥になるほど高まっている時。あまりにも時勢が悪い。私たちは女王が決意するのを黙して待った。


「殺さないわ、絶対に」


 決然とした言葉。

 彼女の母君と同じ、深い森のように静謐な緑色の瞳が、燃え上がるように睥睨する。


「生んで育てる。今度こそ、わたくしが」


 二十年の生涯において、初めての我がままだった。

 傷つき悲嘆にくれる私達の救いの光として全てを受け入れ、血と執着に塗れた玉座に座らされた少女の最初で最後の我儘を私たちは拒絶できなかった。

 結局私たちは女王の今回の出産が母体に対して危険になる可能性が高いとして、公務から離れさせ王配と宰相とで国の運営を行うこととする噂を流す。そうやって彼女と胎の子供を世間から隔離した。

 万が一にも転生者の存在を気取られてはならない。

 王宮の女官長と医療長と侍従長の懸命な働きにより、情報が漏れることなく転生者の出産は終わった。

 玉のように愛らしい王女だ。かつての災厄の王子とは似てもにつかず、女王とその母君の特徴を兼ね備えた類稀なる王女殿下。

 けれどやはり、その魂はこの世界において異質なほどの輝きがあり、衆目から隠し通すことは難しい。

 公に、王は難産の上体調を崩したと発表され療養のために王宮を去ると通達される。その間に人知れず王都を離れ、魔術師によって整備された遠い辺境の領地にある屋敷に移っていった。


 生まれた王女をどう育てるか。それが課題であり、難題である。

 既に王子王女は在り、資質にも問題が無い。もう少し成長せねばはっきりとはしないが、今の所特別に廃する予定もない。

 ならばかつての王子のように王位に興味を持たせぬようにしなくてはならない。かつての王子のように不遜であってはならない。かつての王子のように粗暴であってはならない。かつての王子のように知恵があってはならない。かつての王子のように、それは決してあってはならない。

 人の心をただびとが制御する事はおおよそ難しい。出来なくはないが、当時の女王にその資質はなかった。ただびとに難しいならば、ただびとではない者に任せればいい。そうして国一番の赤銅色の髪をした魔術師が呼ばれた。


「ははぁ。なるほど、なるほど。人の心を支配したいとな? なんとまあ傲慢な事で。いえいえ、非難なんぞ致しませぬよ。今の時勢には無理ならぬことです。そうですねぇ、ある程度自我のある人間なら難しいでしょうが、赤子である時分ならば可能でしょう。彼らにはまだ自我の目覚めはなく、胎の外の世界に順応することが急務ですから内面の成長は後回しなのです。そうですねぇ、その赤子に名は? まだない? 重畳、重畳。名前というものは大切ですよぉ、自分が何者であるかの証明で在り自我の切っ掛けとなる呪ですから。では、名を起点に魔術を作りましょう。転生者の自我と赤子の自我を分離し隔離しましょう。転生者としての自我に対し術が発動して、転生者自身が興味のあるもの関心があるものを赤子の意識からそらせましょう。自ら学ぶ意欲を転生者の自我に宿った術が抑え、関心をそぎ落とし、あなた方が望むままに教育されるように施しましょう。名前を起点にするだけだと足りないので、屋敷に陣を敷いておきたいですねぇ。その屋敷内から出ないうちは術式は完璧に作用するように。よろしいですか、決して名前を呼んではなりませぬよ。もちろん成長によりけりですが、まあおおよそ成人までにはあなた方の望む性質の人間に育つでしょう。よろしいですね」


 王女には術が仕掛けられた。

 兄姉に関心を持たぬように。権力に関心を持たぬように。暴力に関心を持たぬように。知識に関心を持たぬように。

 私たちにとって都合の良い思考をする人形となるように。

 こうしてひっそりと王女は女王と共に幼少期を過ごした。

 彼女は転生者である自覚はあるようだが、まるで絵本を読んでいるような感覚でしかないようで意識しなければ特別に関心を抱くことはなかった。

 歴代の転生者が一番に興味を持つ魔術すら目を止めず、詩集や絵本の世界に耽溺する。その姿はどこにでもいる普通の令嬢のようで、おおよそ私たちが想像する災厄とは程遠い。

 魔術師曰く、術が王女の主人格になるはずの転生者の自我を根城としているため隔離されており、かわりに別の人格が術の影響を強く受けながら成長しているためだろうと。転生者の知識は興味と関心をもって知ろうとしなければ閲覧できず、現在は彼女自身かつての自分に関心がないから膨大な興味の源泉は死蔵されている状態なのだ。

 全くもって、わが国が誇る魔術師殿は優秀だった。


 王宮では女王の長い不在を王配が支えていたが、とうとう体調に不安のある女王ではなく王子に王位をと求める声が無視できなくなっていた。幼い王を傀儡として扱いたいと思っているのがあからさま過ぎる。

 それでも、その案は悪いものではない。国の当主が姿を見せないのは民にとっても他国にとっても不安を煽るし、幼くともかの王子は聡明で主事主張をはっきり伝えることが出来る方だ。経験の不足と知識の不足は宰相である私と王佐が補ってゆけばよい。

 そうして若干十歳の国王が誕生した。

 王配は不要な不和を招きかねないためと、王宮を去り先王の元へ下がっていった。

 残された王宮は十歳の王と、九歳の王弟、七歳の王妹だけ。彼らの養育は先王が信頼していた女官長と侍従長に委ねられる。


 仕事に忙殺されていた頃、後継として領地を任せていた嫡男から内密に相談事があると連絡が来た。朴訥として無駄を嫌う息子からの要請になんとか調整し領地へ向かう。

 そうして私は父上を見た。

 いや、父上に瓜二つの少年だ。

 己の薄い金髪と違う濃い金の髪に、アイスブルーの瞳。優しげで端麗な面。ほんの少し下がった目尻。少しだけ厚みのある耳たぶ。まあるい爪の艶やかさ。まるで幼い父上がいるかのようで、知らず呼びかけをしたほどだ。

 もちろん少年は不思議そうに首を傾げるだけで、我が父上ではなかったとも。

 我に返った私は妻とそっくりの長男へ視線を投げる。常に無表情の息子は動揺した素振りもなく、淡々と事の次第を語った。


 彼を見つけたのは次男で、娼館からの帰りだったという。

 馬車に乗ろうとしていたところ、路地裏で残飯漁りをする金色が見えた。それがあまりに眩しい金の色だったため、興味本位で顔を覗いた所己の父親そっくりだった。すぐさま従者を呼びつけて少年を保護したという。

 息子はじっと私の顔を見つめる。口数が少なく、滅多に声を荒げることのない長男はその分眼差しが雄弁で、時に辟易するほど長い間見つめられることがあった。

 私は疲れとも、安堵とも取れないため息を零し首を振った。


「私ではないよ。おそらく、父の胤だ」


 僅かに驚きに見開かれるアンバーの瞳から逸らし、私も詳しくは知らないがと前置きをする。

 父には母以前に情を交わした娘がいたらしい。結ばれることはないと知りながらも、若かりし情熱の前に理性は無力で子を宿したという。二人は別れ、それでも父はその母子のために少なくない養育費を支払い続けていた。

 だが父が亡くなり国も混乱した状況で件の親子の消息は途絶えてしまったのだ。

 おそらく生きてはいまいと思っていた。しかし、どうやらあの者たちはどのような手段であれ生きていたようだ。

 優しく、気高く、敬愛する我が父上。幼き日に失った父上。その父の子の血の結晶がここにはある。

 なんという幸運であろうか。私は一族の当主として、数少ない王族の血に連なるものとしてその少年を引き取る事を決めた。

 養育は見つけた次男に任せる。子がいない夫婦だったのでちょうど良かろう。それに、今上陛下と年回りが近いようだから上手く教育できれば側近に配してもよい。

 私は物言いたげな長男に指示し、全ての差配を任せると王宮へと戻った。あの子が王宮に来るなら、それなりに掃除をしておかねばならない。私は久しぶりにわくわくしていた。


 次男の子となった少年は物覚えがよく、瞬く間に立派な貴公子として王宮に上がった。

 王家の血筋を色濃く示す彼は王にすぐさま気に入られ、側近として働き始める。同時に国一番の魔術師の末子が魔術師ではなく騎士となった事が話題を呼んだが、その優れた能力と真面目な気質ですぐに馴染んだという。

 魔術師の一族の血を継ぎながら、才能が欠片もない青年は周囲の揶揄を聞き流し、実に淡々と王に仕えその優秀さを認められて側近の一人に選ばれたそうだ。

 赤銅色の髪の騎士と金色の髪の文官が、若き王の両脇に控える姿は新しい時代の幕開けを連想させ、己の老いを如実に感じさせた。


 気づけば二十年近く文官たちの頂点として働いている。そろそろ、若い者たちに席を譲ってもいい頃合かもしれない。

 そんなことを考え始めた時、一報が入った。


 ――先王陛下、死去。


 それは一つの時代の終焉。激動を駆け抜けた若き日々の落陽。汚泥の中でさえ、気丈に歩み続けた女傑の最期。

 彼女に見送られる側だと思っていたのに、つくづく私は生き汚い。

 葬儀はひっそりとかの領地で行われ、清々しいほどの青空の中、誰もがその日をしめやかに敬虔に、愛おしきかつての光へ冥福を祈った。


 今上陛下は己が参列できない代わりに、側近二人を遣わせたらしい。

 それは止まっていた時間がゆるやかに動き出す合図となる。

 側近たちは王女殿下の暮らす領地へ何度も通っているようだ。並行して、あの屋敷で家令として働く老齢の密偵より、少女が活発に動くようになったことを知らされ私は内密に魔術師を呼ぶ。

 男が施した魔術は強力で、たかだか青年貴族と交流したからといって綻ぶようなものではない。だが、はるか遠くの王女は今までの無気力さが幻であったかのように溌剌として、ときに悪戯を仕掛けることもあるらしい。

 その話を聞いて随分と興味を抱いたらしく、独自に調査すると申し出たので任せた。私自身、あまりこの件だけに関わってはいられないのでありがたかった。既に今上陛下には宰相を辞する旨は伝えており、すぐに後任を選定し引継ぎを行わなければならないのだ。


 調査結果がもたらされたのはようやく粗方の引継ぎを終え、退官の時を待つばかりといった時分だ。

 魔術師はめったに動かさない表情を恍惚に緩め、興奮したように詰め寄ってきた。

 結論からいって、魔術がいたるところで機能不全を起こしていたそうだ。そのため王女への感情と自我への抑制が働かず、情動に対して揺れが生じているらしい。

 原因を語るときが最も早口で、濁流のような専門用語に辟易したが何とか理解した所によると、男の末子は特殊体質であった。

 現在近衛騎士として陛下の側に侍るかの青年は、魔術師一門の頂点の直系男児でありながら魔術が全く行使できなかった。魔力はある。一門にふさわしく立派な量を所持しながらも、どうしてだか風一つ水の一滴さえ生み出せない。それは彼と周囲との間に深い軋轢を生んだ。

 幸いおおらかな気質と割り切りの良い思考を持っていた青年は早々に魔術に見切りを付け、剣を取った。魔術と違いぐんぐんと上達する武術に、己の天命はここにあるのだとより熱心に腕を磨いたという。その結果が現在の彼を築いたのだから悪いことではなかった。

 だが今になって、魔力を持ちながら魔術を行使できない理由が判明した。

 青年の父である国一番の魔術師は、良くも悪くも魔術以外に関心が無い。妻も子も一族の趨勢だとて瑣末ごとだったのだ。ゆえに魔術を行使できない末の子になどより無関心であったという。それを悔いる日がこようとは、運命とはままならぬもの。

 青年は魔術を無力化し無効化する体質の持ち主だった。

 あらゆる魔術、魔術陣が彼の側では無意味になる。触れずとも、ただそこに立っているだけで地に築かれた陣は綻ぶ。

 彼にはあらゆる魔術が効かないし、周囲の人間すらも守る。まさに騎士の中の騎士であった。


 つまるところ、かの王女のために敷かれた屋敷の陣は、彼が一歩足を踏み入れたために無効化され、無力化されて制御が効かなくなった。けれど彼女自身に刻まれた、名と転生者の自我を楔にした術は名を呼ばれることがなかったためにかろうじて存続し、中途半端のまま少女に作用している。

 私の孫になった青年に恋情を抱いたものの彼自身を知ろうとしないことも、聞かされた己の出自を疑いながらも受け入れることも、夢を想いながらも何一つ動こうとしないことも全て。

 綻んだ術の隙間に生じた自我を、関心を消すことは出来ない。なかったことには戻せない。

 原因が分かったいま、例の騎士をこれ以上あの領地に派遣することは出来ない。そして、それは孫の訪問も終わるという事だ。それは別段問題ではない、問題なのは王女殿下がこれからも中途半端の自我を生じさせたままであることのみ。

 壊れた術がどのように作用するかは余人には判断できない。あまりにも虫食い的に無力化されていて、魔術師にもその制御如何を把握できないのだ。

 それはあの少女をあの狭い領地に囲っているだけでは安心できなくなったという事。


 少女は恋を知った。心を知った。他者を知った。ならば、どうしてこれ以上心が成長しないといえようか。心が育てば欲が生まれる。もっと知りたい。もっと見たい。もっと言葉を交わしたい。欲求は強くなり、外へと興味は向くだろう。

 そんな当然の成長を私たちは彼女から奪った。そして縛り付けていた。あの狭く静かな世界に閉じ込めた。

 結局の所、王女の処遇如何は今上陛下の判断次第。私はすでに退官する身、どのようになろうとももはや手出しは出来ない。

 けれど、そう。わが国の王家は本来あまりにも情が深く、身内への愛情があまりある一族だった。ゆえに、彼女は時を待って解放されるのだろう。そういう方だから。


 ふと、幼い頃に父上に読み聞かされた絵本を思い出した。誰もが知っている囚われの姫の物語。

 悪い魔法使いに囚われた姫を救うのは、いつだって国一番の騎士。そしてその後、姫は素敵な王子と結ばれる。大団円の予定調和の物語。

 ともすれば王女殿下は騎士たるかの側近に救い出された、と見えなくもないと柄にもなく思い至り自嘲した。



 今上陛下から王女殿下の降嫁を持ちかけられたのは、退官し悠々自適な隠居生活を満喫している最中。

 完全に手を引いたわけではなく、まだまだ若い君主たちの相談役としてたびたび王宮に呼ばれていたのだが、その時おもむろに切り出された。

 はじめ利が無いと断ったのだが、私の反応は予測していたのだろう淡々と現在の問題を語り始めた。


 わが国は長い戦乱の最中にあり、諸外国との国交がほぼ絶えて久しい。記憶にある限り、祖父王の正妃が隣国の王女殿下であったのが交流の最後だった。

 しかし国が治まり、平和な時代へと歩みをはじめた昨今、近隣諸国から外交という名の縁談が持ち込まれているという。ちなみに王室にいる年頃の若者は、王弟殿下一人と王妹殿下一人。どちらとも未婚だ。

 内容としては吟味する必要はあれど縁談を断ることはないと思われる。選ばれるのは男女一人ずつ、その一人を巡って熾烈な外交合戦が繰り広げられていた。だが、ある国が余計なことを思い出してくれた。そう、女王陛下が退位した原因となった胎児の生死である。その国にとってはどちらかの枠が一人分増えてくれれば獲得できる可能性がある程度の軽い口出しであったのだろうが、冗談ではない。せっかく国民も、貴族たちも忘れていた存在を今更になって蒸し返されたのだから。

 王はその問いをうまく交わしたが、他の外交官にも聞かれていたのだ次回からは同じように聞かれることは目に見えている。

 国としては王女を外に出すことはしたくはない。出せばあの時の子供が転生者であると誰もが知ってしまう。せっかく安定してきた治世に彼女の存在は劇薬だった。

 だから彼女を王妹ではなく何処かの貴族の娘として、事情を知る者に嫁がせてしまいたいのだ。わが王家に王女はただの一人のみ、そういう体裁を実をもってして証明しておきたい。

 身分は隠されるとしても、彼女は真実王家の娘。嫁がせるなら正室でしかありえないし、下手な所には嫁がせられない。さらに事情を把握しているものたちはとっくに鬼籍に入っているか、正室が存命かのどちらかだ。正室を降格させてまで迎え入れたとなれば、その理由に関心をもたれ注目を浴びてしまうだろう。流石に側室としてもしくは妾としてはあの血筋を渡すわけにも行かず、そうして十数年前に妻と死に別れた私に白羽の矢が立ったという事だった。


 私はちらりと孫を見た。

 彼はまだ未婚だったはずだ。婚約者はいるが、所詮婚約でしかない。相手には相応の相手と慰謝料を渡せばいい。なにより王女殿下の相手として最もふさわしい男だと私は知っていた。

 それを奏上すれば、王は僅かばかりに目を細める。孫は微動だにしない。


「それは私も知っている。だが、彼の婚約は、彼が私の側近として仕える条件の一つだったのだ。彼女との結婚の手助けをすることを求められ、私は承諾した。私は王だ。王は言葉を違えてはならない。だからこそ、真っ先に彼を候補から外したのだ。その決定にいささかの変更はない」


 断言する王の頼もしさに目を細めた。

 ああ、良い王になられた。かの君なれば、きっとよい国となるだろう。

 王はおおせになられる。


 ――あなたならば、王家の血も彼女の特殊性も悪用はしないと信じられる。


 王は、国を常に考える。その平安を繁栄を第一に考える。情はあっても最優先事項の前には全てが塵芥に等しい。

 王は決して娘の幸福を求めない。けれど騒乱を望んではいない。

 内心でどう思っていようと決して表には出さず、淡々と王として告げるのだ。


「対外的には一人で暮らす幼少から世話になったあなたに、私が世話を焼いて後妻を娶らせたという事にする。アレの身分は伯爵あたりが妥当か、ならば魔術師の養女として登録する。王室には問題のある王女を密かに養女にさせ嫁がせ隔離する慣習があってな。王家の記録としてはそのように記そう。決してアレの真実は記さぬ。あなたもそのように心得てくれ」


 私は深々と臣下として頭を垂れた。



 こうして内々に決定していた降嫁は、王女の初潮により早まった。

 一年の婚約期間が設けられ、各々準備にあわただしくも取り掛かった。

 まず一族に、陛下から後妻をすすめられ了承したことを伝えた。と同時に領主としての地位を息子に譲り渡し、自分はかねてから終の棲家として用意していた領地の一角に移住する。突然の展開に息子たちは驚いていたが、いずれ王女殿下を会わせればこの忙しさの意味を理解するだろう。

 密偵によれば王女は孫に婚約者がいることを知って落ち込んでいたそうだが、今は突然の婚姻に戸惑っているらしい。逃亡したり自害したりする様子はないのは、かろうじて発動している名による術によるものらしい。中途半端に作用しているため、転生者の自意識や記憶が強くなり、彼女が教えられている情報と異世界の常識との差異に混乱している様でもあるとか。

 歴代の転生者も、現実と過去との差異に混乱したのだろうか。

 村々で伝統や風習が違ったりすることもあり、国同士でもままある。外国から嫁いできたり、外交官として派遣された者たちの苦労話はよく聞くものだ。

 わが国にも、一歩間違えば決闘騒ぎになりかねない風習があったりする。今はもう廃れてしまったが、建国当時はごく当たり前であったものが。そういったことを教えてくれるのは家族や教育係ではあるのだが、さて、この国において転生者にそういったことを教え伝えたものはいただろうか。

 どうしてだか不意に、父上の言葉を思い出した。




 相見えた王女は、かつて隣にと望んだ彼女とよく似ていた。


 色彩は先王陛下から受け継いだ王家の色だが、姿かたちはまさしく祖父に嫁いだかの令嬢と瓜二つ。

 まるで、あの頃の再現をしているのではないかと疑うほどに。

 戸惑いながらも、きちんと礼儀正しく話に耳を傾ける少女の瞳には知性と理性が宿っている。あの屋敷を離れたことと、初めて目にする街並みの数々に術の大半が解けてしまっているのだろう。

 完全に己を自覚するまでに、婚姻を結んでおかねばならない。誓約を交わしておけば、よほどのことがなければ破棄は出来ないし、させない。彼女はこのうつくしき白亜の城から逃げられなのだから。

 既に彼女に対する逃亡防止の魔術陣は敷かれて、私の許可なく城を出ることは叶わないし人とも会えない。少女を一目見れば王家の血筋だと分かってしまう、そして転生者であることも知られるだろう。人の噂というのは侮れないものがある。油断すれば千里を駆け抜け、ありもしない作り話ばかりが広がっていくのだから。

 その点、この屋敷にいるのは一族に忠誠を誓った者ばかりで、訪れる者ですら不用意なことはしない賢明なものたちだ。私の勘気を損ねれば文字通り首が飛ぶのだ、口の一つ堅くなろうというもの。


 自分の名前すら知らない娘があのひととそっくりのかんばせで、あのひととは違う綴りで夫婦の誓いを立てる。

 ペンを滑らせるたびに彼女の術が崩壊していく。砕けて、壊れて、跡形もなく楔は消えた。そして新たな鎖が私と彼女との間を強く繋いでいく。

 それは死が訪れるまで破られることのない古典的で陳腐なまじない。


 病めるときも。

 健やかなる時も。

 苦しき時も。

 楽しき時も。

 貧しき時も。

 富める時も。

 死に別れるその時まで、共に、夫婦であることを誓い、ここに神への証明を奉ずる者である。


 その誓約書に署名し、教会に提出することで対外的に夫婦と認められる。

 だが、これは古の呪いのひとつであり、たかだか紙を納めるだけで発動したりはしない。新妻の初夜の血と、夫の体液の付いたシーツを共に奉じて初めて約定は結ばれる。

 ほとんど忘れ去られているが、古い家には代々伝わっている。特に王家はその伝統を正しく継承する家の一つだ。



 家政婦長に頼んだとおり、これから妻となる少女はきちんと起きて夫婦の寝室で私を待っていた。

 初夜にふさわしい上品でいながらも愛らしく、解けやすい寝巻き姿の新妻は睡魔と闘っている。ようやく訪れた私を認めると、これ幸いとばかりに敷布の中へ潜り込もうとするので、なるべく穏やかな口調で止めた。

 きょとんと見上げる少女はやはりまだ幼い。さりげなく抱いた腰は頼りなく未成熟な身体をよく現していた。

 これから成されることを滔々と説明し顔色が悪くなる彼女を見おろしながら、先々代国王と彼女の婚姻と私たちは同じ歳周りなのを思った。

 祖父もこうして彼女の腰を抱いたのだろうか。

 今更逃げようとする弱弱しい抵抗に苦笑が零れた。


「無理ですっ」

――彼女なら静かに、差し伸ばされる手を受け入れただろう。

「できないっ」

――彼女なら気丈にも微笑んでみせただろう。

「いやだっ」

――彼女なら震えながらも寝台に身を任せたであろう。

「……こわい、の」

――彼女なら王の望むままに触れたであろう。

「痛いっ、いたいよぉ……っ!」

――彼女なら、運命を受け入れて身体を差し出したであろう。


 彼女なら。彼女なら。彼女なら。

 当時の彼女と同じ顔の少女を沈めながら、ずっと頭の中には彼女のことが駆け巡っていた。

 初恋だった。唯一の人だと思った。運命だと、そう信じて。

 けれど彼女は別の男の元に嫁ぎ、そして二度と私の前には現れなかった。

 長い時の中で、風化してしまったと思っていたのにどうやら勘違いだったようだ。今も彼女と同じ顔、同じ歳の娘を組み敷きながら貴女のことばかりを想う。



 転生者が憎かった。

 私から父上を奪った。私から幼少期を奪った。私から恋を奪った。

 すべて、全て私の大切なものを奪っていった元凶。

 憎くて、悔しくて、悲しくて。

 でも。それでも。


 泣きつかれ眠る少女の髪に触れる。

 彼女が命がけで生んだ娘の、子供。かの人の孫娘。それが忌々しくも憎らしい転生者だなんて。

 神はいつも地上を見ておられる。

 その問いかけはいつも難解で、ただびとの私たちにはその問いを噛み砕くことすら時間がかかってしまう。

 娘の存在そのものが神からの問いかけだというのなら、私はなんと返せばよいのだろう。

 憎しみを。悲しみを。苦しみを。悲劇を捧げれば、答えになるのか。それとも。


「――囚われの姫は、国一番の騎士に救い出された先で、素敵な王子に出会いました。王子は一目、姫を見るとまたたくまに跪き心を請います。ああ、姫。麗しき姫よ。どうか私と結婚してください。姫は驚きながらも、頬を薔薇のように染めて愛らしく受け入れました」


 大団円の物語は全ての登場人物の努力の結晶でしかない。騎士が訓練しなければ国一番の実力を発揮して姫を救い出せなかった。姫も恐怖に挫けず助けを待ち続けなければ王子と結婚できなかった。王子も見知らぬ娘に跪くほどの誠意を見せなければ姫の心は得られなかった。

 誰もが諦めなかったことこそ、この物語はハッピーエンドで終われたのだ。


 私たちは諦めてしまった。いつからか、どこからか。諦めて、流されて、そうした結果が今なのだ。

 恋しいと想ったならば、どれほどにみっともなくても跪いて愛を請うべきだった。あの王子のように。



「けれど、この結末こそが臆病で意気地のない軟弱な私にはふさわしいやもしれぬな」



 私は勇者ではなく、清廉な王子でもない。

 冷酷で非情な王家の血筋に連なる末端の王子で、そして彼女はそんな悪い大人に再び囚われてしまった憐れな姫君。

 私の初恋は終わり、夢は当に叶わないことを実感した。

 ならば、残りの人生をこの娘と過ごしてみよう。何も知らず、何も与えられなかった空っぽの器に私を注いで、どのように変化するのか見てみたい気がした。


 所詮老い先短い人生、この壊れゆく娘を愛してみるのも一興だ。


 私はそう嗤って、彼女を清めさせるため侍女を呼んだ。

 ああ、全く、明日を焦がれる日がこようとは。

 口元が歪に弧を描きそうになるのを必死で耐えながら、娘の髪をただ玩び続けた。



――嗚呼! まったく、人生は悦びに満ちている!




-----------------------


元宰相閣下

ファザコンと初恋をこじらせたどうしようもない男。

父に親愛と敬愛と尊崇を全部捧げたので、己の妻子には何一つ情を差し出したことはない。

初恋の君の娘をとても大切に想っていたが、王妹殿下のことは転生者という理由で愛憎が相殺されている。

最近幼妻を開発研究する愉しみに目覚めた。


王妹殿下

あらゆるすべてをあきらめている。


金髪の青年

元宰相閣下の孫(異母姉の娘の子供で次男の家に養子になった)。

一番父に似ているのでお気に入り。元宰相閣下が孫と呼ぶのは彼だけ。

婚約者が世界の中心。


赤銅色の髪の青年

超一流の魔術師を父に持ちながら魔術師になれなかった近衛騎士。

一族とスッパリ縁を切っていたのに、今回特殊体質が発覚。実父に初めて関心を寄せられ迷惑している。

既婚者。


国王陛下

色々苦悩しているおうさま。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

引退した宰相閣下は第二の人生を謳歌する 梅之木うめこ @umekoume

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る