500/1/29-1

 統一暦500年1月29日の朝、東京の片隅の小さなアパートの一室。セミロングの白髪と碧眼という身体的特徴が目を引く朝倉あさくら瑞姫みずきは久しぶりに「起床」を経験した。深淵に居たときは睡眠を必要としなかった。否、睡眠ができなかった。

 夢を見る、という現象は、魂が少し深い次元に入ることと関係している。夢の中では物理法則を超越した現象が起こりうるのは物理次元を離れた世界を見ているからである。しかし、深淵に移動した瑞姫の魂はそれ以上の深淵に入ることができなかったため、夢を見ることができなかった。

 瑞姫は久しぶりに夢を見た……はずだが、その内容を覚えていない。そんなものだろう。夢の内容を忘れるなんてよくあることだ。深い理由もない。人間誰しも起こりうることだ。

「……今は何時かな?」

 瑞姫は部屋の隅で携帯ゲームを遊んでいた三嶋みしま御繰みくるに尋ねる。

「えっと……ちょっと待って……ください。あの、今ちょっと……。」

「急がなくてもいい。そのゲームがひと段落してからゆっくりでいい。どう足掻いたって君はこの物語の結末を変えることはできないのだから。」

 なんだよ、そんな言い方はないじゃないか。御繰はそう思ったが、口に出せるほどメンタルが強いわけでもない。小さな反抗のつもりで途中だったゲームをやめて時間を確認する。

「えっと……7時52分……です。」

「なるほど。」

「…………。」

「…………。」

「あの……」

「意味はないよ。」

「……えっと……」

「時間を聞いてみたけど、深い意味なんてないよ。時間を知ったところで私にできることは何もない。強いて言えば……癖、みたいなものかな。」

「……?」

「私はもうこの物語を操作できない。焦ってもどうしようもない。だから、その時が来るまで暇つぶしでもしようと思ったんだ。君と。」

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