「深淵の鍵」編

再び動き始める世界

 500周年記念式典の会場には多くのマスコミが集まっていた。また、彼らによって式典はリアルタイムで中継されていた。そのため、会場の舞台上に突然落ちてきた二人の少女、そして頭部が破裂した数百人の映像はリアルタイムで世界中に配信されてしまった。もちろん、AIの判断により中継は停止されたおかげで血まみれの画面が世界に晒され続けるという事態は避けられたのだが、舞台上に落ちた恵吏えりあかりの姿は世界配信されていた。

 この事件により大統領であるエルネスタ・アインシュタインは死亡した。また、その場にいた副大統領などの閣僚たちも同じく頭部破裂により即死である。しかし、新大統領の決定自体は大きな混乱が生じることはなかった。エルネスタは自分に不測の事態が起きたときの代理大統領を任せる相手を指名済みだったのだ。このことはエルネスタの死により起動した不測の事態のためのプログラムにより判明した。エルネスタの遺書とも言えるそのプログラムにより指名されたのは、赤坂聡兎そうとである。

 一番驚いていたのは聡兎本人であった。聡兎は政治とは全くもってかけ離れた場所の人間であり、大統領なんてものを任されるのは畑違いが過ぎることは本人が一番理解していた。しかし、生前のエルネスタと近しい関係だった人間の中で唯一の生存者ということもあり、そんな周りの圧力から聡兎は嫌々ながら大統領の椅子に座ることにしたのだった。

 以上が事件の直後に起きた動きで表立っていた部分である。ただ、あの場で死んだ重要人物は表立っている組織の人間だけではなかった。政府直属の組織であり、最高機密でもある機密組織「機関」の総統、小鳥遊たかなし栖佳羅すから。巨大組織「機関」はトップを失ったのである。エルネスタと違い、特に後任を決めていたわけでもない。しかし、すぐに栖佳羅の後任――第101代総統は決まることになった。

 「機関」第101代総統に就任したのはルキフェリウス・ウェストファリス・メルトリリスだった。実のところ、「機関」内部ではリーダーになり得る人材が不足しているのもあり、地位やカリスマ性を見ても彼が一番妥当であることは自他ともに認めるところがあった。

 式典の事件から2週間ほど、新たな面々のもとで世界は動き始めていた。


統一暦500年1月15日午後3時25分

「……ぐっすり寝ちゃったわね。」

 ベッドの上で寝ている白髪の少女は朝倉灯。彼女を寝かしつけてくれたのはガブリエルである。傍から見ていると高校生くらいの灯を寝かしつける14歳くらいの少女のガブリエル、という奇妙な状況である。

 ただ、ガブリエルはただの14歳ではない。「機関」が持ち合わせる技術の粋を集めて作られた人造の天使、人工天使である。長い白髪の少女であるその身には人の力を遥かに凌駕する魔術の力がある。預言天使という立場もあって彼女は人工天使の中ではかなり大人びている方である。

「ほら、あなたは起きて。」

 ガブリエルは近くの床で寝転んでいる赤い髪の少女を揺すり起こす。中世の騎士の甲冑のような奇妙な服装をしている。

「んぁ……?」

 目を開けると彼女の赤い瞳が見える。

 彼女はミカエル。火を司る天使であり、ガブリエルと同じく人工天使の一人である。

「最近は安定してきたみたいだな。」

「そうね。それに、精神面もこの短期間でかなり成長してる気がするわ。やっぱりネットワークで善意も悪意も有象無象見てしまうのが大きいのかしら。」

 統一500年記念式典で朝倉灯は暴走し数百人の人間を殺めることとなってしまった。警察組織たちが動く前にその現場から灯と恵吏を連れ出したのが彼女たち人工天使である。

 現在、恵吏は灯とともに聡兎が大統領権限でなんとか用意してくれたこの施設に居る。

 部屋の扉が開き、入ってきたのは恵吏。灯が寝ているのを見て言う。

「ごめん。なんか……灯のこと任せっきりで。」

「いいのよ。むしろずっと一人でやってきたんだからもっと他人に甘えたっていいと思うわ。それに、この子と会う時間が取れなくて辛いのはあなたでしょう?」

 恵吏は少し黙り込んでから言う。

「分からないの。私は本当に灯と会いたかったのか。私はあのアカリのことが好きになっちゃってたんじゃないかって。」

 しかし、そんな恵吏にガブリエルは言う。

「あなたはこの子が嫌い?」

「……ッ、そんなわけ……!」

「そういうことでいいんじゃないの?」

「……。」

「この子はいい加減安定してきたわ。暴走する兆候ももう見えない。私たちが付いてなくても良さそう。……だから、始めようと思うの。今月中には。」

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