「月面」編

スカラー量

統一暦499年9月15日午前8時

「あと二時間ですよ。」

 エルネスタが言った。

「……うん。」

 恵吏えりは上の空というふうに応える。

「まさか、ここまで来て迷ってるなんて言うんじゃないですよね?」

「……。」

 恵吏は沈黙した。

「改めて言いますが、私とあなたの最終目的は違います。最後には、あなたを切り捨てなければいけません。私の好意で今があることを忘れないでください。」

 それだけ言って、エルネスタは去ってしまう。


統一暦499年9月15日午前8時30分

 恵吏、紅音あかね、そして「機関」の100代目総統の小鳥遊たかなし栖佳羅すからはサンフランシスコ湾に浮かぶ人工島の発射場で積み荷に隠れてロケットに潜入する。そして補給物資と一緒に月へ、という具合だ。

「あなたみたいな権力がある人がこんな危険なことして大丈夫なんですか?」

 恵吏が聞く。

「危険だからこそ、です。『機関』は超常現象について研究する組織です。信じてもらえるかわかりませんが、この世界にはごくまれに物理法則を超越した能力を持った人間が生まれるんです。『機関』はそんな存在を公にならないように保護してきました。そんな『機関』の歴代トップは何かしらの能力者だったわけです。……わかりますか?」

「……?」

 栖佳羅は軽くため息をついて言う。

「信じていないでしょう?何を突然おかしなことをとか思ってるんでしょう?神を作って世界を作り替えるなんてのを大真面目に言ってるくせに……。私の『能力』は、スカラー量を操る能力です。例えば……そうですね、このペンとか。」

 栖佳羅はポケットからペンを取り出すとおもむろにそれを恵吏に向けて投げる。

「ひゃっ!……。」

 しかし、ペンは恵吏にぶつかることはなかった。恵吏は恐る恐る目を開ける。

「うわぁ……。」

 紅音が感嘆の声を上げる。

 ペンは空中で停止していた。

「私から見た相対的な速さを0にしました。……信じてもらえましたか?」

 恵吏は首を縦に振るよりほかなかった。

「戦前は能力者も4桁はいたとか聞くんですけどね。人口の減少に伴って発見される能力者も減ってまともな戦力が私しかいないというのもあるんです。」


統一暦499年午前8時40分

 物資の積み込みが開始されるのは9時から。

「それまでに見つからないように潜入しないといけません。」

 恵吏たちは偽装されたコンテナの一つに入って待機する。

「想定通りならこのまま検査を通り抜けて積み込まれるはずです。」


統一暦499年午前9時12分

「止まれ!貨物番号と中身の照合!」

 検査員の声が聞こえる。

「1001012、嗜好品。」

 貨物を運搬するトラクターの運転手の声だ。

「……よし。通れ。」

「あ、ちょっと待って。それの中身見せてもらえる?」

「……!ガブリエル様?!」

 その名前を聞いて恵吏と紅音は息をのんだ。

「ねえガブリエル、そんなの一つ一つやってたらきりがないって。それに検査員さんの邪魔だろ?」

「ミカエルは黙ってて。やれるだけやってみないと分からないでしょ?抜き打ちで10個くらいは確認する時間をとれるはずよ。……ほら、コンテナを開けて?時間がないでしょ?」

「……はい!」

 1001012コンテナは開けられた。

 2分後、確認を終えたガブリエルは呟いた。

「おかしいわね。このあたりから気配がしたと思ったけど。」

「だからそんなことしたって意味ないって。私たちの仕事はあっちに着いてからでしょ?」

 恵吏たちは1001013コンテナでそんな会話を聞いていた。

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