もう一度立ち向かった青年

統一暦499年8月29日午前4時15分

「かなり厨二臭いと自分でも思うよ。すっげー恥ずかしい。でもな、一回くらいこんなセリフ真面目に言ってみたかったんだよ。……俺を殺してから進め。」

 赤坂あかさか聡兎そうとは目の前の天使に向けてそう言い放った。

 ミカエルの腕の中のガブリエルが大きくため息をついた。

「一度で済まず二度も……。あなたってどうしてそうも不信心なのかしら。」

「ん?……前に会ったことあったっけか。」

「こっちの話よ。」

 ガブリエルはミカエルにしっかり抱き着いて、右手を大きく振りかざした。体がより密着して、ミカエルの顔が少し赤らむ。そんなことは気にせず、ガブリエルは言う。

「我が名はガブリエル、その役は水!」

 明らかに質量保存則、いや、あらゆる保存則を無視していた。ガブリエルが高く掲げた右手の先に、雨粒が集まり始めたのだ。それはやがて球形になり、ガブリエルの頭上には直径10mほどの水の球が完成した。

「殺さない程度に苦しめてあげるから、安心なさい。」

 ガブリエルが軽く手を振ると、その球体は聡兎に向けて飛んでいく。

「聡兎さん!」

 紅音あかねが聡兎に向かって駆け寄るが、それを聡兎は制止する。

「任せろ。」

 聡兎は胸ポケットから掌サイズの四角形の端末を取り出す。そして、それを高く掲げた。

「……⁈」

 ガブリエルは困惑した。

「私の水が……!」

 ガブリエルが聡兎に向けて放った水の球は、聡兎がその端末を掲げた瞬間に形を崩してアスファルトの上に落ちてしまった。飛んでいるミカエルに抱き着いていたガブリエルはいいものの、聡兎はその水の水流に流されそうになってしまう。しかし、近くの舗装を突き破って生えていた木に掴まってなんとか耐える。

 同じく流されそうになっていた紅音を引っ張り上げてから、聡兎は言った。

「これが、俺の切り札だ。」


 この時間から見て凡そ1800年前。常軌を逸した才能を持ち合わせた科学者が存在した。朝倉あさくら麗理華りりか。それが彼女の名前である。名前を見たら想像できる通り、朝倉の家系は時として異常なほどの才能を有する科学者を世に出してきた。彼女はその一人である。

 彼女の天才性は、科学という枠を超えていた。つまりは、魔法の研究に着手していたのだ。科学を越えた――この世の物理法則を越えた、全く異なる法則のもとに広がる世界、魔法。もちろんそんな研究は誰にも見向きもされず、歴史の上からは葬られていた。しかし、彼女は科学を越えた法則に関する多くの成果を残していた。実際、多くの「魔法」は実用段階に漕ぎつけていた。

 彼女が発見した「魔法」について説明しよう。

 まず、彼女は世界の構造から見つめなおした。

「この世界の真実は単純シンプルなはずだ。」

 彼女はよく言っていた。

 この世界は、たくさんの物理法則が互いに調和を取り合って成立している美しいものだ。ただ、それは「表層」でしかないと彼女は主張していた。

「この最高に美しい物理法則たちが支配しているのは世界の表層だけでしかない。」

 であれば、世界の「深層」はなんなのか。彼女が見つけた世界はこうなっていた。

「世界は重なっている。」

 物理法則に支配された表層世界を物理次元とすると、その奥には物理法則を少し離れた次元が存在する。そして、その奥にはもう少し高度……というより、物理法則から離れた次元が存在する。そのように、幾つもの次元が層のように折り重なって存在しており、そのような物理法則を越えた層に「魔法」とか形容される物理法則を越えた力の根源が存在する、と主張した。

「足つぼを知っているかい?私はすごく苦手だ……。それはともかく、足つぼのイメージが重要だ。」

 物理法則を離れた次元に魔法の根源がある。だとすれば、そこに何らかの刺激を与えれば「魔法」は発動するはず。もちろん、この段階では机上の空論に過ぎないし、実験で検証できない限り証明は不可能だ。ひも理論のように。だが、彼女は天才だった。世界の深層に介入する方法を見つけ、本当に魔法を発動してしまったのだ。

「これが、魔法を発動するための足つぼマッサージパッドだ。」

 最終的に、彼女はその仕組みを掌サイズの端末にまでコンパクト化してしまった。理論の構築から証明、実用化まで一人でやってのけたわけだ。


 聡兎は現在のネットワーク以前に存在した旧時代のデジタルネットワークから面白そうなデータを拾い上げる、という作業を趣味でやっていた。その過程で、朝倉麗理華の研究データを見つけたのだった。


統一暦499年8月29日午前4時16分

「まさか……それだけで魔法を発動できるの?」

「……見ての通りだ。」

 ミカエルが呟いた。

「へぇ……やるじゃん。」

 一方、ガブリエルは吐き捨てるように言う。

「……気に入らない。」

 ガブリエルはもう一度水をかき集めた。今度は、それを無数の水弾に変形させてから聡兎に向けて射出する。

「無駄だ。」

 聡兎が端末をかざすと、それらは一気に速度を落として聡兎の足元の落下する。

「俺は女の子を傷つけたくない。あかりちゃんのことは大人しく諦めてくれ。」

「それはできない相談ね。」

 ガブリエルは即答する。

「神が不在のこの世界で、私たちは真に仕えるべき相手を探さなければいけない。だから、私はあきらめるわけにはいかないの。」

 ガブリエルは再度、周囲の水をかき集める。彼女の目に映るのは、冷たい地下水の色か、それとも熱水噴出孔のブラックチムニーか。

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