何のために

統一暦499年8月29日午前4時17分

 恵吏えりはアカリの手を引っ張って苔むしたビルの中を走っていた。

「なんのつもりですか?こんなの意味のない時間稼ぎじゃないんですか?どっちにしろ掴まるのなら、早く私を渡してしまったほうが……」

「嫌だ!」

 そう言って走っている間にも、建物の外からは大量の水が弾ける音が聞こえる。

「嫌だから……私はまだ、こんなところで諦めるわけにはいかないから!」

「だったら諦めずに済む方法を提示して下さい。」

 アカリは極めて冷静に言う。

「私は人工天使たちから逃げることを諦めます。あなたも諦めてください。これなら、あなたも私も公平です。」

「そんなの……みんな幸せになれないじゃん!」

 直後、ドン、という強い衝撃が建物全体を走り抜けた。その衝撃で、恵吏とアカリは転んでしまう。

「痛つつ……。灯は大丈夫?」

「ええ。大きな外的損傷は確認できません。」

 恵吏は胸をなでおろした。

「……こっち!こっちです!」

 どこからか声が聞こえた。

「こっちで暫く隠れられます!」

 そう言って手を振っていたのは、アパートで別れた三嶋みしま御繰みくるだった。

「なんでここに?」

 恵吏が尋ねる。

「えっと……いや、そんなの今はいいから早くこっちに!」


統一暦499年8月29日午前4時19分

 とても古い地下室だ。カビが生え、植物が壁を覆っている。

「なんで私を助けたの?」

 改めて恵吏は尋ねた。

「助けた……。私はただ自分のために動いただけです。」

 御繰は言った。

「もしかしたら、自分のことは置いといて他人のためにって行動する人間もいるかもしれないけど、大体は誰かのためなんて言って誰かのためになる自分で満足したいだけな自己満足だし。私はあなたのためなんて言う気はないです。あなたが死なないように努力する自分に満足したいだけなんで。」

 恵吏は横に居るアカリに目をやる。ネットワークを通して恵吏が考えていることを察したのか、アカリも恵吏の方を向く。

 恵吏はアカリに言った。

「……だめ、かな。」

 その直後、今までで一番大きい衝撃が建物全体を揺すった。

 数百年の時を生き抜いた建材の地下室は奇跡的に無事だった。しかし、

「ミカエルが次にこのレベルの攻撃をしたら、この部屋の床は抜けます。」

 アカリは冷静に宣告する。

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