天使との邂逅

 銀髪メガネのこの男、赤坂聡兎はカリフォルニア工科大学生だった。聡兎はここでネットワークについて研究していた。

 ネットワークについて研究、と言ってもその研究対象は広い。それはより安全な脳のネットワーク接続方法から記号の山を相手にするプログラミングまでである。

 聡兎はそんな中で、数年前実用化されたばかりの、ネットワークを一律して管理するAIであるACARIについて研究していた。とは言っても、聡兎が送っていた大学生活は実験をするでも資料を集めるでもなく、毎日ゲームをしてアニメを見て、たまに大学に顔を出し友人と遊ぶついでに最低限のレポート等だけをこなすといったものだった。


統一暦498年12月23日午後5時00分

 その日、聡兎は出会った。

 そこは黄昏時のビーチだった。太陽が太平洋の向こうに沈み、残光で海が紫色に照らされている。そんな砂浜でイヤホンから流れる明るい曲調の音楽を聴き流しながら聡兎は歩いていた。

 薄暗いビーチには全くと言っていいほど人影がない。カリフォルニアは温暖な気候で年間を通して気温が氷点下を下回ることはほとんどない。しかし、数日前の爆発事故で気温コントローラが故障したとかで、雪が降るかもしれないとか聞いていた。

 そんな波打ち際に、人が一人立っていた。その人影は一歩ずつ海に向かって歩いていた。

 不審げにその人影を眺めていた聡兎は弾かれたように走り出した。

 人影が完全に海の中に沈んだのだ。

 砂浜に足を取られ、何度も転びかけながら駆け寄り、着の身着のまま海に飛び込んだ。海は冷たかった。末端から感覚がなくなっていく。

 そこは水の上からは見えづらいが一段深くなっていた。人影はそこに足を踏み入れてしまったらしかった。

 聡兎は泳ぎが得意ではない。むしろ水泳などまともにできた試しがない。そんな状態での着衣水泳である。冷たい空気を遮断するために空気をたくさん含むようにできているコートはよく海水を吸った。海水を吸った衣服は手足に纏わりつき、ただでさえ泳ぎに不慣れな聡兎の動きを封印した。

 それでも聡兎はもがいた。その腕を掴み、強引に岸に引きずり上げた。

 その人物は、大きなタブレットを抱えた、年のころは10歳くらいの少女だった。金髪に赤いメッシュの入った、真っ赤な瞳の少女だった。

 聡兎は彼女に目立った外傷がないことを確認すると、

「とりあえず、どこかで暖まろう。風邪を引いちまう。」


統一暦498年12月23日午後5時12分

 ここはマンションの聡兎の部屋だ。

 聡兎は先程、真冬のビーチで海に飛び込む少女を引きずり上げ、そのまま自宅に連れ込みシャワーを使わせている。

 聡兎は忸怩じくじたる思いで床に座り込んでいた。濡れた洋服も脱がずに。

 聡兎はロリコンであった。しかし、欲望を行動に移すこと――今回のように年下の少女を家に連れ込むようなこと――をしたことはなかった。とりあえず流れで連れてきてしまったものの、この後どうすべきか全く考えていなかった。

 はてさて、どうするべきか……

 というところで風呂のドアが開く。中から出てきたのは裸にタオルを軽く巻き付けただけの件の少女だった。

 聡兎は叫ぶように言う。

「あ!ああああああ!服!服を用意してなかったな!今すぐ用意するから!」

 タオルで大事なところは隠されているとは言っても、それだけだ。つまりは、太腿の付け根のなんとか見えないラインと、聡兎の偏った性癖ドストレートの真っ平らな胸がギリギリ隠されている、その程度である。

 なぜか真っ青になりながらも聡兎は洋服を手渡した。

 ようやく少女が男性向けの大きめな服を着て落ち着いたところで、聡兎はこう切り出した。

「じゃあ、名前教えてくれる?」

「……ユウリ」

「ゆうり……ちゃん、か。それじゃ、君は頼れる保護者は居るのかい?」

「……」

「そうか。……じゃあ警察に連絡するからちょっと待って……」

「ダメ!」

 ユウリが聡兎の言葉を遮って叫んだ。ユウリは続ける。

「ダメ……なの。そんなことしたら、見つかっちゃう。」

「見つかるって……何に?」

「……」

 ユウリは俯き、黙ってしまう。マンションの一室は暫しの沈黙に支配された。

 沈黙を破ったのは聡兎だった。

「わかった、俺が暫く面倒見てやる。言っとくが、俺は幼気な少女を追い出すほど心が狭いわけでも、女の子を片っ端から部屋に連れ込んで面倒見るほど心が広いわけでもないだけだからな。」

 これは、赤坂聡兎と一人の少女の、最初の出会いから最初の別れまでの話である。


統一暦498年12月24日午前9時00分

 マンションの一室に備え付けられた目覚まし機能のアラームが家主の赤坂聡兎をたたき起こす。

 寝ぼけ眼の聡兎はぼんやりした頭で昨日の出来事を少しずつ思い出す。

 昨晩はとても大きな事件が起きた。あのロリコン聡兎が年下の少女を拾ってくるなんてことが起きたのだ。この際その少女が世界の行く末に深く関わる超がつくほどの重要人物だということは小さなことである。ロリコン大学生の下に年下の少女、これは漫画や小説でもないと起こるはずがない激レア事件である。正に事実は小説よりも奇なりとでも言うべきか。

 床で寝たせいで節々が痛む聡兎は、まだベッドの中で熟睡している少女の頬を撫でると呟く。

「夢じゃなかったんだな。」

 少女は徐に上半身を起こす。キョロキョロと一通り部屋の中を見回し、机の上に置かれた自前のタブレットを確認し、最後に聡兎と目が合った。刹那、二人はじっと見つめあっていたが、直後、少女のおなかが大きな音を立てた。

「おなかすいた。」


統一暦498年12月24日午前9時15分

 500年ほど前に終結した300年にも渡った第五次世界大戦の戦乱により、戦前には100億人を超えていた世界の総人口は一時的に6億人まで減少したと伝えられている。

 第五次世界大戦は、世界各地の巨大科学文明都市の機能を完全に奪い取るには十分すぎる程であった。しかし、戦争というものはいつも、破壊の後に飛躍的な技術革新をもたらしてきた。それは第五次世界大戦も同じである。

 戦前に停滞期にあった人類の文明は、一度、徹底的に死んだ。そして、統一暦として人類史は生まれ変わったのだ。

 全てを失った人類は、もう一度、全てを手に入れた。

 500年近くの時をかけて進歩した人類の科学技術が可能にしたものは、例えばこんなものだったり――つまり、自動調理装置の「一家に一台」化である。

 その中に材料を放り込み、レシピを設定するだけで、

「できたぞ。」

 早速、出来たてのトーストを頬張ろうとする聡兎に、視線が突き刺さる。聡兎が目を向けた視線の主、ユウリは言う。

「いただきます、は?」

「……いただきます。」

 改めて、トーストにかぶりつく。


統一暦498年12月24日午前9時50分

 そこは、カリフォルニア某所の地下であった。

「全く、私が動かなきゃいけないとかどーゆーことなのよ!」

青白い電灯に照らされた薄暗い通路で、そう愚痴をこぼすのは、14歳くらいの見た目にはそぐわない、中世の騎士が身に着けるような甲冑で身を固めた赤髪の少女だった。

「そう言いつつ、初めての外出で喜びを隠せないミカエルであった。」

「ガブリエルうっさい!」

ガブリエル、と呼ばれた少女は、ミカエルという少女と同じくらいの年頃の少女だった。白いワンピースを着ていて、美しい白髪には白百合の頭飾りが着いている。

「ミカエルちゃんも、ガブリエルちゃんも、喧嘩はやめなよ。」

二人の仲介に入ったのは、魚の形の水筒を抱えた黄色い髪の少女だ。こちらも、先の二人と同じ14歳くらいの女の子の見た目をしている。

「ラファエルの言う通りよ。喧嘩はやめなさい。」

「ガブリエルもラファエルに便乗してんじゃねえよ!お前も言われてただろ!」

「知らないわ。それより、初任務の直前なんだからしゃんとしなさい。」

三人はこれからすることを思い出し、沈黙に包まれる。

 ミカエルが心配そうに呟く。

「ウリエルの……捕獲、なんだよな。」

「ミカエル、作戦対象への過度な感情移入は禁物よ。」

ガブリエルが警告する。

「うっさい、分かってる。あくまでも私たちは使徒。任務を遂行するのが全て。」

「……でも、捕まえた後のウリエルちゃん、どうなっちゃうんだろう。」

「ラファエルは心配性なんだよ。あいつは四大元素に対応させた魔術の研究にどうしても必要。もう一度作るにしても、コストがかかりすぎるからまだ使う意義はある。殺されることはない。多分。」

 ミカエルのその言葉は、ラファエルへ向けたものというより、自分を納得させるための独り言に近いものだろうか。

 やがて、三人の少女は大きな扉をくぐり抜ける。そこには、ウリエルが逃げ出した先である、広い世界があった。

「これが、外……。」

「ミカエル、任務に集中するのよ。」

「ちょっとくらい遊んでも、バレないよね……?」

 逃げ出した人工天使を捕捉するため、主の生誕を祝う街の中に新たな三体の人工天使が解き放たれる。


統一歴12月24日午後2時34分

 「あんたは一般人。私も、あんたを作戦に巻き込むつもりはない。だから、さっさとそこのウリエルをこっちに渡して。」

ユウリを庇うようにして立つ赤坂聡兎は、中世の騎士の着る甲冑のようなものを身に着けた赤髪の少女と対峙していた。

 数分前、聡兎の部屋に押し入ってきたミカエルとか名乗ったこの少女は、入ってくるなり「ウリエルを渡せ。」とか言ってきた。状況がいまいち把握できないまま、ミカエルを怖がって聡兎の陰に隠れたユウリを見て、こいつは多分味方ではない、ということだけはなんとなく理解した聡兎は、こう答える。

「……嫌だ。」

「そう。私もこんなことはしたくなかったんだけどね。」

 それは非科学的な光景だった。ミカエルが開いた両手の中に、それぞれ1メートルほどの炎剣が

 しかし、直後、聡兎はこの現象に対する科学的な説明がついていた。つまり、これは

「ハッハー、ネットワークを通じて相手の脳内に架空の映像を映し出すだけだろ?それくらい分かってn……」

 ミカエルが、炎剣を聡兎の喉もとに突きつける。

「ほんとにそんなちゃちな玩具おもちゃでも使ってると思ってんの?」

 聡兎は、首筋に大粒の冷や汗が浮かぶのを感じる。

「わかった、わかったからっ!話し合いッ!そうだ、話し合いで解決しよう!現代人らしくッ!」

「……やれやれ、最初からそれくらい真面目にしてくれたら良かったんだ。」

 呆れながら、炎剣を手放す。それは少女の小さな手の中から落ちたが、床に落ちる前に空中で消えた。それを確かに確認すると、聡兎はユウリを抱えて部屋の窓から外に飛び出した。

「ちょ、ここ23階だぞ……⁈」

 聡兎はこれでも、世界屈指の名門大学を一日一時間以下の勉強で現役合格を掴み取った天才だった。ミカエルは、この男を何の力もない一般人だと思った時点で間違っていた。

 この天才は、最初にユウリ、いや、ウリエルと出会った時点から、この金髪に赤メッシュの少女は何かしらの実験台であるところまで察しはついていた。この青年は、知っていたのだ。数時間前に、付近の地下研究所で爆発事故があったことを。

 実際のところ、その爆発はウリエルが起こしたものだった。ウリエルは四大元素の「土」を司る天使である。研究所は地下にある。土なんて、壁のすぐ向こう側に溢れていた。材料はいくらでもあった。脱出する方法はいくらでもあった。まあ、ウリエルに対する管理が甘かったという側面もある。元々ウリエルは、四大元素に対応した研究のために急遽作られた存在だった。この研究所には、土を司る天使を安全に管理するだけの設備が整っていなかったのである。

 爆発事故について知っているというだけなら、大きな爆発だったしネット上でもだいぶ話題になったから知っていてもなんらおかしいことはない。しかし、この青年はその先について知っていた。即ち、人工天使計画について。しかし、この計画は極秘のものであった。いくら天才と雖もその計画に携わっていなければ知っているはずがない。そう、その関係者でなければ。赤坂聡兎は関係者であった。一度だけ、大学での研究の関係でその研究所に足を踏み入れたことがあった。だが、それだけだ。しかし、思い出してもみてほしい。この青年は曲がりなりにもネットワークのプロフェッショナルだ。その時、研究所内のローカルネットワークに(悪ふざけのつもりで)侵入したは聡兎は、想像以上の機密に触れてしまった。それが、人工天使計画であった。まあ、本当にヤバいことを察してすぐにそこから離れたせいで「ミカエル」「ガブリエル」「ラファエル」そして少し離れたところに「ウリエル」という文字列があったことしか把握できなかったのだが。

 聡兎は、何の策もなく地上百数十メートルから飛び降りるほど馬鹿ではない。素早くポケットの中の端末を起動した聡兎は、ある自作アプリを起動した。

 聡兎の胸に中のウリエルは、目を丸くしてそれを見ていた。聡兎の背中から、大きな羽が生えたのだ。

「へへーん、空を飛べるもんなら飛んでついてきてみな、天使さんよぉ!」

 開けっ放しの窓から次第に遠ざかっていく二人を眺める人工天使は、独りきりのはずの部屋で、誰かと会話でもしているかのように言う。

「ガブリエル、ラファエル、あとは頼む。……………………そんなこと、自分の手を汚さないで済んで安心してるとか、そんなことないから。」


統一歴498年12月24日午後2時50分

 趣味で自作した飛行可能な人工翼が役に立った。ビルの屋上に無事に着地できたものの、まだ足が震えている。翼を使うのは今回が初めてだったし、一人で飛ぶために設計してあるものだったから小さな少女とは言っても人を一人抱えての飛行だった。すぐに建物の陰に隠れるように飛んだので、実際は500メートルも飛んでいない。

「見つかったらすぐ追いつかれちまうな……」

 そんな聡兎に話しかけてきた少女がいた。

「あの、お怪我はありませんか?」

 ユウリはその少女を見るとすぐに聡兎の陰に隠れる。ユウリの行動を不審に思いながら、目の前の魚の形の水筒を抱えた黄色い髪の少女に尋ねる。

「えっと……君は?」

「あ、申し遅れました。私は三大天使のラファエルです。」

「もしかして、さっきのミカエルとか言う子のお友達?」

「はい、ミカエルは私たちのリーダーです。」

 聡兎は思わず身構えた。さっきと同じように攻撃されたら、今度こそ逃げられない。

「あの、そんなに身構えなくても大丈夫ですよ?私たちが求めているのは、あなたが思っているような恐ろしいことじゃありません。ただ、その子をこちらに渡してほしいだけなんです。そもそも、その子が何者なのか分かっているんですか?」

 聡兎は沈黙した。正直、ユウリについて何も理解していないわけではなかった。なんとなく、分かっていたのだ。この子の正体について。

「分かっているのなら話が早いです。その子をちゃんと保護しておける設備が、私たちにはあります。私たちなら、その子を安全な環境で保護することができるんです。」

 聡兎は、一瞬だけ、揺らいだ。しかし、

「……危ねえ、してやられるとこだったぜ。」

「……?」

「君が求めてるのはつまり、ユウリをそっちに渡せってことだろ?それで、安全に保護できるそっちに渡せって?ダメだな。俺が求めてるのは、ユウリの安全じゃない。あくまでも俺は俺のために動いているんだ。いくらユウリにとって幸せそうな条件を並べ立てられても、俺はユウリを渡さない。俺は決めたんだ、この幼女を手元に置いていたいってな!」

 聡兎はユウリをお姫様抱っこのように抱えると、一目散に走りだす。

 ラファエルという少女は何かを呟いた。聡兎にはそれは聞こえなかったが、こう言っていた。

「私はラファエル、その役は人々への癒し。言うことを聞かない、その哀れな魂を癒

さなければなりませんね。」

 聡兎の脚が止まった。その場から一歩も動けなくなる。

「……ッ、なんだこれ?」

 ラファエルが答える。

「魂を縛りました。あなたはもう動けません。」

 脚の筋肉に精一杯命令を飛ばす。しかし、一ミリたりとも動く様子は見られなかった。

「くっそ、なんでだ、どうしたらこんな芸当ができる?原理は?」

 腕の中のユウリが言った。

「頭の中!ラファエルは頭に情報を送り込んでるの!」

「頭の中?っつーことは、」

 聡兎はポケットから何か手のひらサイズの機械を取り出す。

「これでいいのか⁈」

 その機械を自分の頭に押し付け、スイッチを入れる。

 先に反応したのは、ラファエルのほうだった。

「ひょわっ、変な情報が逆流してきた⁈……な、何してるんですかこの二人は!」

「どうだ!俺のお宝百合エロアニメは!」

「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ラファエルは両手で顔を押さえてしゃがみ込んでしまった。

 機械のスイッチを切った聡兎は呟く。

「まさか誰にもバレずにエロ動画を鑑賞するための装置がこんなとこで役に立つとはな。脳内の余計な情報を追い出すのと、逆流してくれたおかげで相手の足止めと、一石二鳥だぜ。」

 不思議そうな顔のユウリを連れて、聡兎は悠々と歩き去る。


統一歴498年12月24日午後4時15分

 聡兎はユウリと近くにあったカフェに居た。聡兎はコーヒー、ユウリはオレンジジュースをそれぞれ飲んでいる。

「まだあいつが俺の家で張ってたら面倒だからな。どこに逃げるのがいいのやら。あいつらにまた見つかったら今度こそヤバいかもな。」

 そんなことを呟いている時だった。

「あら、うまく巻いたとでも思ってた?まだこうして捕捉しているのだけれど。」

「⁈」

 気づいたら、すぐ近くの席に季節に合わない薄い生地の白いワンピースを着た少女が座っていた。

「なんにしても、大人しく渡してくれるワケないし、こんな人が多いところじゃアレだから、ちょっとついてきてくれる?それとも、ここに居る人全員を殺したっていいとか思ってる?」

「……分かった。行こう。」


統一歴499年12月24日午後4時35分

 ワンピースの少女についていった先は、人気のないビルの屋上だった。

「さて、ここらへんでいいかしら。……私はガブリエル。預言天使よ。」

「……ユウリに、何をする気だ。」

「分からないわ」

「……は?」

 帰ってきた予想外の言葉に一瞬、思考が止まる。

「じゃあ、なんでこの子を追いかけ回す?」

「それが私たちの任務だから。」

「だったら、お前自身はどう思う?実験台にされてたんだか知らねえが、それが嫌でこの子は逃げてきたんだろ⁈人間としてこの子を助けてやろうとは思わないのか!」

「聞いてなかった?私は人間じゃないわ。天使。主の命令を守る忠実なる使徒にして、その役は神の伝令。三大天使が一人、ガブリエルよ。」

「お前はどうしたいのかって聞いてんだ!」

「……ああ、怖い。何もそこまで怒らなくてもいいじゃない。あくまでも私は使徒。任務に対する個人的な意見とか、感想なんてありえないわ。私が思ってるのは、そこの目標をさっさと捕まえて任務を終わらせたいってとこね。」

 攻撃は、突然だった。聡兎の視界が、大きく歪んだ。

 球状の水が聡兎の頭部を包み込み、呼吸を妨害した。

 ガブリエルは水で妨害されることなく、鼓膜を通さずに聡兎に話しかけてくる。

『どう?苦しいでしょ?私が司るのは四大元素の水。ふふふ、早く降参しないと窒息しちゃうわよ?』

 やばい、これは、死ぬ……

 聡兎は、死ななかった。

 高熱だった。

 水を一瞬にして蒸発させるほどの。

「ああ、すっかり忘れてた。あなた神の炎ウリエルだものねえ。」

 ガブリエルの視線は、聡兎の後ろに向かっていた。

 聡兎は、はっきりとそれを見た。

 沈みゆく真っ赤な太陽に照らされた少女の姿を。

 右の手で大きなタブレット端末を抱え、左の手のひらから炎を生み出す少女の姿を。

「私はウリエル。その名は神の炎!」

「ふふふ、面白くなってきたわ。ここは天使対天使の真っ向勝負と行きましょう?まあ、堕天使ごときが私と張り合えるものならねえ!」


統一歴498年12月24日午後4時45分

 ウリエルとは、四大天使の一人である。

 ウリエルという名は「神の炎」を意味する。四大元素では「土」を司り、その象徴は炎と書物である。

 また、この天使は、過熱しすぎた天使信仰を抑えるためにザカリアス教皇により見せしめという理由で堕天使の烙印を押されたという歴史を持っている。

 そう、三大天使の一人、しかもミカエルに次ぐ天使たちの第二位に位置するガブリエルとでは、その強さには大きな差があるのだ。

 人工天使にも、それは当てはまった。

 ウリエルは、かなり追い詰められていた。

「甘い、甘い、甘すぎる!こんな火力じゃ物足りない。もっと私を燃やしなさい!」

 ウリエルは、必死に抵抗する。しかし、炎は届かない。全ての攻撃は一方通行でしかなかった。ガブリエルの放つ正体不明の攻撃がウリエルを嬲る。

 聡兎が叫ぶのと、ほぼ同時だった。

「やめてやれ。殺せとは言われてない。」

 いつの間にか、ミカエルが屋上の扉の前に立っていた。

「……チッ」

 舌打ちをしたガブリエルは、ようやくその攻撃の手を緩める。

「……確かに、少しやりすぎたわ。」

 ミカエルが、後ろからもう一人の少女を呼ぶ。

「ラファエル、頼む。」

「あ、うん!」

 ラファエルと呼ばれた黄色い髪の少女は、抱えていた魚の形の水筒を開け、なかの液体をウリエルにかける。すぐにその効果は現れた。ウリエルの全身の傷が、みるみるうちに癒され、元に戻ったのだ。

「あんたには、今までの記憶を忘れてもらう。すまないが、これはあんたみたいな人間が関わっていいような問題じゃない。」

 ミカエルは、気を失ったままのウリエルをお姫様抱っこのように抱き上げる。そのまま三人の天使は屋上から降りていく。

 去り際に、ミカエルは突っ立ったままの聡兎に向かって言う。

「あと数分もすれば今日のことは全て忘れるはずだ。だから、言っておく。この世界には、もっと深い場所が存在する。あんたが研究しているそれも、私たちより深いところまで根を張っている代物だ。それを知るには大きな危険が伴う。でも、諦めずに辿り続けたら、またこの子と出会えるかもしれない。世界をひっくり返してでもこの子を救いたけりゃ、せいぜい足掻いてみな。」


 ミカエルは屋上の扉を閉める。

「ああいう伝える系って私の役割じゃないかと思うわ。」

 ガブリエルが言う。

「まあ、私の個人的なモンだったからね。」

「……あれで良かったの?」

「ん……、うん。」


統一歴498年12月25日午前2時20分

 日本で、赤坂紅音がモニターの画面を見つめて愕然としていた。

 紅音は、いつもの日課で遅い就寝の前に、カリフォルニアで大学に通う聡兎が朝起きたばかりだろう時間帯に聡兎の部屋のモニターのカメラにハッキングして大好きな人の寝起きを鑑賞するということをしていたのだが、今日のカメラには不審すぎるものが映っていたのだ。

 それは、金髪に赤いメッシュを入れた幼女。

 まさかあの変態、ついにお持ち帰りなんてことしやがったのか通報するぞこの野郎、私だってしてもらったことないのにー、でも私が通報したらハッキングしてたこともバレちゃうどうしよう、とか勝手に考えて一人で悶々としながらその日は徹夜した。


統一歴498年12月25日午前9時41分

 かなり時間がかかったが、聡兎のポケットの中にあると思われる端末へのハッキングに成功した。突然、爆音が聞こえてくる。

 耳が吹き飛ぶかと思うほどの轟音に、急いで音量を下げる。

 しばらくすると、誰かの声が聞こえてくる。

『甘い、甘い、甘すぎる!こんな火力じゃ物足りない。もっと私を燃やしなさい!』

それは、女の声、しかも少女の声だった。

紅音は思わず呟く。

「……どういう状況?」

そのあと、もう一人の少女の声が聞こえてくる。

『やめてやれ。殺せとは言われてない。』

 ポケットの中にあるのか映像は暗いままなので、ヘッドホンを押さえ、決して聞き逃さないよう集中する。

 そして、信じられない言葉が聞こえてくる。

『あんたには、今までの記憶を忘れてもらう。』

 もう、わけが分からなかった。

 声は続くが、紅音はもうその声の意味を理解する余裕すらなかった。

 しばらく、紅音は考えることができなかった。

 ヘッドホンを通して、聡兎が倒れたらしい鈍い音を聞き、我に返る。

 急いで、聡兎に電話をかけた。

 1分ほど、呼び出し音が鳴り続けた。紅音には、それが数時間にも、数十時間にも感じられた。

 聡兎とつながった瞬間、紅音は早口でまくし立てた。

「イェーイハッピーメリークリスマス聡兎さん、いやまだそっちはイヴか?まあいいやそれより大丈夫?いやなんていうかその急に聡兎さんが無事か気になったっていうかそのそうあれだよほら胸騒ぎ?とにかく怪我ない?なんかなくなってない?記憶とかなくなってない?大丈夫?マジ頼むから無事だったら返事してお願い生きてて大丈夫?」

 後半、なんだか涙が出てきて目元とかがぐしゃぐしゃになってしまっていた。

 そして。

『……えっと……まず、メリークリスマス。……んで、目立った怪我は、多分ない。……記憶……。あれ?ここ、どこだ?』

 紅音は、全身から力が抜けるのを感じた。

「ほんとに、記憶が、なくなった?」

 スピーカーの奥から、何も知らない聡兎の声が聞こえてくる。

『なあ紅音、何か知ってんのか?……おい、聞いてる?参ったな、ほんとここどこなんだ?……あ、雪だ。珍しいな。ハハハ……』

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