赤坂家の一族
統一暦499年8月15日午前10時3分
東京郊外の大きな邸宅には老若男女多くの人間が集まっていた。
「
と言っても、普段この本家に住んでいるのは赤坂家当主の赤坂
しかし、今日は一族が揃ってこの屋敷に集まっている。今はお盆で、お盆休みだからだ。
赤坂紅音はたくさんの親戚たちの中から1人の男を探していた。
「ねえゆかりん、
紅音が声をかけたのはいとこの赤坂
「あー、聡兎ならもうすぐ来るはずよ。……って言ってたらほら来た。」
騒音をかき鳴らし、真っ黒な煙を吐き出しながら、数百年ほど前の型のバイクがやってくる。かなりの速度を維持したまま赤坂家の門をくぐると、派手にターンを決めてバイクを停車させた。バイクから降りてきたのはゴツゴツとした派手な見た目のヘルメットだけを被った全裸で貧乳の15、6歳くらいの見た目の女の子だった。
彼女はヘルメットを外すと赤坂家に集合した親戚たち全員に聞こえるような大声でこう言い放った。
「赤坂聡兎21歳、おかしな薬を飲んで女の子になっちゃったぜェ!」
直後、全裸の女の子のホログラムを自分の体に投影していた銀髪メガネ、赤坂聡兎に妹・赤坂夕香理が投げた庭の小石が直撃した。
統一暦499年8月15日午前10時8分
「痛え〜。夕香理は少しくらい兄ちゃんに優しくできないのか。」
「はいはい、貧乳大好きでロリコンな兄を持って私は幸せですー。」
「そうだぞ。貧乳は至高、貧乳は崇高、貧乳は最高!」
そんな会話をしている聡兎に紅音はおそるおそる声をかける。
「聡兎……さん?」
声をかけられた聡兎はゆっくり紅音の方に顔を向ける。
「おお、愛しの紅音ちゃんじゃあないか。はるばるカリフォルニアから会いに来て良かったわー。……金髪赤メッシュ……?まあいいや、どんなにイメチェンしても俺は紅音ちゃんを見分けられる自信があるぞ。また一段と可愛くなったなー。脚も白くて細くて……。」
紅音の脚を触ろうとした聡兎の左手が夕香理に蹴られる。
断末魔のような悲鳴を上げ、赤くなった手を押さえてうずくまる聡兎。それを見て高笑いする夕香理。
「紅音、そいつの前で油断しちゃダメよ?ちょっとでも隙を見せたらすぐそうだから。」
紅音は苦笑いした。
統一暦499年8月15日午前11時32分
紅音の曽祖父にあたる赤坂祐輔を筆頭に、祐輔の子供たちが8人、さらにその下も数えると4世代で三十人を優に超える赤坂一族が全員集まった光景はかなりの壮観である。
祐輔は8人の子供たちにそれぞれ
「紅音ちゃんは今日も可愛いなあ。おじさんからお盆玉だよ。」
「うわー、こんなに!ありがと!」
「紅音ちゃんが喜ぶなら本望だよ。」
赤坂家には俗に「成功者」と呼ばれる人間が多い。例えば、今さっき紅音にお盆玉を渡していた赤坂業斗はアダルト業界で世界一の売り上げを誇る会社の社長である。しかし、本人はそういうことは長いことご無沙汰らしいし、独身で子供もいない。
そんな親戚たちから「かわいい」と評される紅音は、ことあるごとに多額の電子マネーを貢いでもらえるのでお金に関しては困ったことがない。
今回も大伯父たちから馬鹿げた金額を受け取って懐が温まったところであった。
聡兎もいつも紅音に貢いでいる1人である。
「いやー、今回はそんなに渡せないよ。かたじけない。」
そう言いながら桁違いの金を貢ぐ聡兎ではある。
「そうそう、紅音と話したいことがあるから後で屋敷の地下まで来てくれるかな。」
「……?わかった。」
その時、聡兎に抱きついた美しい金髪の女性がいた。赤坂アイラ、アメリカ出身の聡兎の母親である。
「聡兎ちゃん、久しぶりー!ママったら100年ぶりに会うくらいの感覚だよー。」
「母さん、いきなり抱きつくなよ。紅音が驚くだろ。」
「愛してる人に抱きつくのが悪いことなの⁈」
「愛してるって……。」
そこにくたびれたワイシャツを着た男性が歩いてくる。
「ママ、愛しの人はこっちだろ?」
聡兎の父親、赤坂
「だってくっさ〜いオッサンより若くてイケメンの聡兎くんの方がいいんだもん。」
「聡兎も人妻には興味ないだろ?」
「違う。俺が母さんに手を出さない理由はそこじゃない。俺だって母さんが貧乳なら手を出してたさ。」
「ええー。ママ、胸の脂肪吸引してもらおっかなー。」
そんなやり取りを傍から見ていた紅音にも声をかけてきた夫婦がいた。赤坂
「今年はいくらくらい貢いでもらったのかしら。この腹黒女。」
柔和な表情に似合わず紅音に向かってそんなことを言うのは燐御だ。
「アカネは腹黒じゃないもん!」
「まあまあ、喧嘩はやめろ。」
索覧が仲裁に入る。
「索覧は息子に嫁を盗られる心配がなくていいよな。」
泣き顔で言ったのは海兎だ。索覧は海兎の弟で、2人は祐輔の次男、思索の息子である。
「ははは、兄さんの家庭は仲が良くていいじゃないか。」
そんなところで、祐輔が宣誓した。
「さあ、みんな集まったな?宴の始まりだ!」
統一暦499年午前11時58分
赤坂家の大宴会が始まった。
各界の要人が数多く集まるこの宴は、市井の一家族のお盆休みとはかけ離れたものである。一説には、地球統括政府大統領が一か月過ごすのにかかるのに匹敵する額の警護費用が掛かっていると言われているだけで桁外れである。しかし、祐輔の主義で要人の周りを取り囲むタイプの警護はない。「家族の集まりに余所者は入れたくない」ということだ。しかし、敷地の外にはそれをカバーするだけの厳重な警備網が張り巡らされている。本当は「警備なんてせんでいい」とか言いたかった祐輔だったが、周りがそれを許してくれなかったらしい。赤坂家は、建物自体も莫大な価値があるらしいし、敷地内の蔵や、地下の宝物室には数多くの歴史的文献が残されているため、歴史家たちの圧力もあったということだ。ちなみに、盆と正月、合わせて二回のこの出費は全て祐輔が――会長を務めている赤坂財閥が――負担する。
紅音はそんな大仰なイベントなんてことは関係なく、ただおいしいご飯が食べられて、おじさんたちからお小遣いがもらえる、その程度のものではあった。
そう、おいしいご飯。ここで出てくるごちそうは、祐輔が毎年特注する超がつくほど高級なオードブルセットである。その中身は、A5ランクの高級牛肉やキャビアフォアグラトリュフ、大トロなど、合成食材の不使用に拘った超高級食材のオンパレードである。それを50人分注文するのだ。値段はなんとなく想像できるだろう。
紅音は、そんな高級食材をじっくり味わうでもなく口に放り込む。
紅音は、数日前に分かれたきりだった恵吏のことを考えていた。8月1日に彼女とともに、とある研究機関からACARIに使用されている魂である朝倉灯の肉体を盗み出し、それにネットワーク上のACARIの魂を植え付けるという重大な計画を遂行したのだった。
しかし、朝倉灯の人格は戻らなかった。ネットワーク上にあったACARIのコアとされている魂は、もとの朝倉灯の人格情報を消去されたものだった(と恵吏が言っていたが、紅音はタマシイやらジンカクジョウホウやらを理解できていなかった。)。目を覚ました灯は、朝倉灯としての記憶を持っていなかった。そこに居たのは、朝倉灯ではなく、ACARIだった。
「私がどういう状況に置かれているのか、説明していただけますか?」
目を覚ましたACARIの最初の一言で、恵吏は全て悟った。恵吏は、落胆したような、最初からすべて分かっていたような、そんな表情をしていた。
恵吏は、それでもそのACARIを見捨てはしなかった。ACARIと肉体の保護を条件に秘密を守るという約束をした恵吏は、ACARIを誰にも見つからないよう保護し続けたのだった。
しかし、数日前――8月8日あたりから、恵吏も灯も、どこかに消えてしまった。端末からACARIに接続しても、定型どおりの反応を返すだけで、まったく足取りが掴めない。完全に行方不明になったのだった。
二人が居なくなってからもう1週間も経つ。心配でこんなところではしゃいでいる場合ではない、というのが紅音の本心だった。
統一暦499年8月15日午後3時12分
紅音は屋敷の地下で1人、聡兎が来るのを待っていた。
「お待たせー、紅音。」
聡兎が手を振りながら階段を下りてきた。
「……聡兎さんの話したいことって何?」
「うーん、……
「なっ……、なんで聡兎さんがそのことを!」
「紅音には俺がやってることは言ってなかったっけ。」
「大学でネットワーク理論の研究してるんじゃないの?」
「違うな。俺がやってるのはACARIについての研究だ。ネットワーク理論なんて人の役に立つための研究なんかしてない。それに大学は去年退学した。」
「退学⁈そんなの知らなかったんだけど!……で、聡兎さんは、何がしたいの?」
「俺に灯を調べさせてほしい。」
「あかりんにおかしなことをするようだったら聡兎さんでも許さないよ。」
「ハッハー、それに関しては安心してくれ。女の子にそんなひどいことをするような人間に見えるか?そんな表情じゃせっかくの綺麗な顔が台無しだ。……紅音は南極文書を知ってるか?」
「南極文書って……統一の時の?」
「そうだ。よく覚えてたなー、偉いぞ〜。」
聡兎が紅音の頭を撫でた。聡兎は続ける。
「南極文書では統一後の世界の運営に関したこととが取り決められたわけだが、それと同時に別の文書が作られていたんだ。統一と同時に開始する予定が決まっていたネットワークについての文書が。その名もG文書だ。」
「……なにそれ。教科書には載ってなかったよ?」
聡兎はさも当然という風に答える。
「そうだな。まあネットワークで全人類を繋ぐことで莫大な並列演算能力を得て、科学的に神を作る、なんてことは教科書には載せられないよな。」
「神……?」
「そう。G文書の正式名称は"Documents about God"。ネットワークを利用して科学的に神を作るための方法が記された文書だ。」
紅音は、混乱していた。まずは、赤坂聡兎という人間が灯について知っていることに。そして、彼の口からすらすらと語られる「神」という単語に。
「ちょ……ちょっと待って!アカネ、全然聡兎さんの話についていけないんだけど。」
聡兎は、ああ、うっかりしていた、という表情になる。
「これを見せるのが先だったな。」
そう言って聡兎がポケットから無造作に取り出したのは、一枚の紙切れだった。わざわざ紙媒体で扱うということは、相当重要なものだ。それを、薄暗い地下室の明かりの元にかざして聡兎は言った。
「俺は、地球統括政府大統領直属の調査員だ。」
その紙には、長い英文と、一番上にはそれらしき単語が書かれていた。ますます意味が分からなくなってきた。
追い打ちをかけるように聡兎は続ける。
「それじゃ、これからG文書を盗み出して大統領に届けるぞ!」
紅音は泣きそうだった。
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