錦札
「
タクシーの運転手さんが言う。感じのいいオジサンだ。
「いや~私らはね、交通安全の祈祷で行くことはあるけど、わざわざ観光で行く人はいないなぁ~!」
本日も晴天、気温も本格的な夏を向かえる準備で上昇中。そんな中、私はまた四国にいる。今回は徳島。
とある気に入ったマンガの聖地巡礼とやらをしてみたかったから。『大麻比古神社』『ドイツ村公園』『うだつの町並み』『水琴窟』などなど。
全部回れる気はしなかったから、『大麻比古神社』『ドイツ村公園』をメインにして、プチ遍路をさせてもらえるようにオジサンにお願いした。
「行けるところを回る、うんうん。いいよ。でも料金が……今計算するね。あぁ、三時間くらい貸しきりにした方がお得だよ!なんとか会社に融通利かせるよ!」
明るく笑うオジサンさんは、優しくて。その場ですぐに会社に電話をして、貸し切りにしてくれた。
大麻比古神社から眼鏡橋にドイツ橋、オジサンは他のタクシー運転手さんとは違って、私が降りるとタクシーで待っているのではなくて、要所要所で一緒に降りては、観光案内のガイドさんのように色々説明をしてくれた。
なんと、オジサンはこんぴらさんすらも観光客と一緒に登ることもあるのだという。あんなとてつもない階段、タクシーで待ってた方が遥かに楽だろうに……観光タクシーでもない、ただのタクシーなのに。すごいバイタリティだな。今まで何回か来ては、タクシーに乗ったけど、降りて一緒に回ったり、まして案内してくれる運転手さんなどいなかった。
マンガの聖地巡礼は意外とあっけなく終わってしまったけど。もっと徳島が好きになったし、次は行けなかったところに行けるように、また徳島に来たらいい。
徳島に来る理由はたくさんあった。私は眉山に登ったことがない。本も映画も見た。それなのに眉山だけには登ったことがないから、行っておかなきゃとは思ってた。マンガにも出てきてたし。
でも、徳島駅前から近い眉山はいつも優先順位が低くて、下から眺めているだけだった。
オジサンさんは、お話上手で『三大暴れ川』の話をしたり、『すだち』や『
もう夕飯は居酒屋で鱧を食べようと決めた。もともと、鱧の湯引きは大好きだけど、東京ではあまり食べれないし、味の割に高価かも。
何より、酢味噌ではなく、すだちをかける食べ方をしてみたかった。
オジサンは、「美味しいお店があるから開いてるか聞いてみるよ!」と電話で確認をしてくれた。どこまでも優しい。
そんなことを思っていたら、霊場についた。私は写経の紙と白い納め札をそれぞれの箱に納めた。読経するのが一番だけど、私は読経独特の音程というものなのか……そういうのがわからないから、お遍路の時は事前に写経しておいてる。
私が神様にご挨拶をしている間、オジサンは何やら懸命に納め札の箱をゴソゴソしている。
お遍路さんが持つ札は、白い札、青い札、赤い札、銀の札、金の札。そして、錦の札がある。
錦の札は滅多にお目にかかれない代物。100回以上お遍路しないともらえない、とっても特別な納め札。
何回か香川や徳島、愛媛で霊場に行ったけど。見たことがあったのは、金の札まで。
それを、タクシーの運転手さんは、なんと納め札の箱から、なんと錦の納め札を見つけたのだった!
綺麗だった。私のペラペラの白い納め札とは全然違う。100回以上……それもすごい。八十八ケ所を100回以上も。
錦の納め札は、いつまでも見ていられる程。
もう、実物が見ることができて満足だった。
タクシーの運転手さんも、私に錦の納め札を見せることができて、嬉しそうにしていた。
私に見せる為だけに、懸命に箱の中を探していたんだ。その優しさに目頭がじわっとする。旅先とは色々と開放的になるせいか、普段から感受性豊かだねと言われる私は、ちょっとした優しさでも涙が出そうになる。
ちょっとした優しさ、それは私にとって『ちょっとした』ものではない。いつも、四国のどこかは優しい。自然も人も。
これは「お遍路さんから貰うべきものだから」オジサンは見せただけで、錦の札は写真を撮ることも控えた方がいいと言うので、すんなりと引き下がることにした。
私は100回も八十八ケ所巡れるとは思わないけど、いつか出会えるかもしれないのだし。錦の納め札を拝めるチャンスはまだあると信じて。また来ればいいだけの話。真面目に仕事をして、ちょっとした休みに、また来たら良いだけ。
そろそろ時間だ。
「オジサン、名刺ちょうだい。また徳島に来たら、オジサンと一緒に回りたい」
「ハハハ!ありがたいんだけどねぇ、名刺は持ってないよ。これも出会いだからね」
タクシーの運転手さんも普通、自分を売り込むんじゃないのかしら。それとも、タクシー運転手さんを指名するのは、東京だけなのかしら。もらえないなら仕方がないし、また私はおとなしく引き下がる。
オジサンとまた会える日は来るんだろうか。
錦の札を拝めるチャンスとオジサンとまた会えることを信じて。美味しい鱧が食べられるお店の前まで送ってもらって、お会計をしてわかれた。
「また来るから、会えたら、その時はまたたくさん案内してね!」
「またおいでー!きっと会えるさ!」
なんだか、青春時代のやり取りみたいで胸が暖かくなる。「また会える?」「きっと会えるよ」なんて、ロマンチックすぎて。しがない会社員とタクシーのオジサンじゃ、格好つかないね。残念。
すだちをかけた鱧を、私は一人で食べた。
湯引きした鱧の淡白な味にさっぱりしたすだち。
──やっぱり、酢味噌の方が好きかも。
一人、カウンターでふふっと笑って。
すると、オジサンの嬉しそうな顔が脳内で鮮明に浮かんで、なんだか一枚の写真のようだった。あ、一緒に写真撮っておけばよかった。タクシー会社をメモなりなんなりしておけば、オジサンとまた会える確率は高くなったはず。けれど、オジサンはそれを望まないだろう。私はちょっと不思議な、恋愛とは違った、片想いした。
次来た時は、オジサンに勧められた『藍染め』をしてみたいな。
私は、全部の鱧に、すだちを絞って食べきった。
だから私は旅に出る まゆし @mayu75
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