久しぶり

中村ハル

第1話

徹夜続きで重い肩を揉みながら、夜道を歩いていた。

 今日は久しぶりに早く帰れる。といっても、終電の1本前だ。改札口から一緒に吐き出された人の数は、それでも意外と多かった。

「あれ?田村?」

 きょとんとした声に振り向くと、疲れた社会人たちの中で、人の良さそうな顔が、ぱあっと明るく咲いた。

「やっぱり、田村じゃん!久しぶりー、元気だった?」

 ぱしん、と掌が俺の左肩の後ろを叩く。

「やあー、いつぶりだろ、中学卒業してからご無沙汰だよな」

 両手でこちらの肩から腕を確認するようにぺたぺたと触るコイツは、

「……誰だっけ……?」

 にこやかな顔がそのまま固まって、やや引きつった口元で俺を見上げる。目が怖い……。

「ご、ごめん、でも」

「ひーどいなあ、田村。ほら、山本だよ。岸田さんの後ろの席の」

 ほら思い出せと、また俺の肩をばしばしと叩く。重い肩に刺激が心地よい。

「岸田……岸本?」

「そうそう、岸本さん。やーもう、昔過ぎて名前も曖昧だよね」

 岸本の後ろの席、ということは、中学で同じクラスだったのか。いや、そもそも席順なんて覚えてないし。岸本とは2回同じクラスになっている。どっちだ、山本という名に心当たりがあるようなないような。メジャーな名前すぎて、学年に1人はいただろう。

「ほら、社会の渡邊がさ、メガネ触る癖があって、カウントしたよな」

「あー、そうそう、そうだった」

「あいつさ、触りそうで触んないんだよ」

「はいはいはいはい。何回触るか気になって数えてるのに」

「『触んないのかいっ!』てさあ」

「あった!そういうこと、あったわ」

 2年の時だ、間違いない。

「てことは、あの山本か?」

「他にどの山本がいるんだよ」

 けたけたと声を上げて笑う山本は、俺と同い年に見えないほど、若々しい。疲れとはまるで無縁そうだ。記憶の中の山本は少し暗くて、当時はあまり話したことがないので、正直印象が薄かった。

「お前、そんな顔だったっけ?」

「田村くんさ、先からヒドクない?」

 相変わらず笑いを絶やさぬままに、俺を覗き込む目は心底嬉しそうで、ついつられて口元が緩んだ。

「確かさ、一重、じゃなかったか?あ……」

 口にしてから思い当たる。職場の同僚が目元を整形したとか。日本ではそれほど開けっ広げではないが、男性が顔を好みに整えることも、最近では少なくはないと言っていた。

「あ、て何よ。前からこの顔だから」

「いや、うん、いいんだ。だよな」

「あー、何なに、田村。ひょっとして疑ってる?」

「いやいや」

「どーせ、僕のこと、暗くてあんまり覚えてないんだろ」

 にやりと悪戯っぽく細めた顔には、卑屈さも邪気もない。こちらが戸惑うのを、ただ、揶揄っているようだった。

 こんなに明るいやつだったなら、もう少し話しかけてみればよかったと、今更ながら腹の底がもやついた。

「なあ、田村、せっかくここで再開したのも何かの縁だしさ」

「うん?」

「今度、メシでもいかない?」

「……えっと」

 躊躇ったのは、ふと思い出したのだ。同窓会で宗教の勧誘に遭った、とぼやいていた友人を。だから俺の学年は、同窓会を取りやめている。

 そんな俺の困惑を読み取ったように、山本が少し真面目な顔で手を振る。

「違う違う。宗教、ネズミ講、健康食品、一切関係なしだから。店も場所も田村が決めていいし。それに無理強いはしない」

 約束するよ、と告げる口調に、俺は自分を恥じた。

「や、違う、山本、ごめん。行こう、メシ。いつにする?」

 しどろもどろになった俺はスマホを取り出し、山本に差し出した。

「LINEやってるだろ?」

「もちろん」

 山本が素早くスマホを操作して、互いの連絡先を登録した。

「田村くん、登録ー」

 左手のスマホをひらりひらりと閃かせて、山本が唇を捻じ曲げた。

「僕はいつでも空いてるから、田村の都合のいい日でいいよ」

「え、お前、仕事は?」

「仕事。してないよ」

 くるり、と俺の背後に回り、両肩を掴む。

「さっき憑いてた女は落とした。ここは僕の居場所でいいよね」

 先ほどから入念に叩いていた俺の肩に両手をかけて、背後から山本がにゅう、と顔を突き出した。

「岸本さんの後ろさ、席なんてなかったじゃん。忘れてた?」

 俺の記憶がぐらりと揺らぐ。そうだ、岸本は一番後ろの席だった。開けたカーテンを束ねて垂らしてある、窓際の角、何故だかそこだけいつも暗くて。

「山本って」

「僕の名前さ。もう一人の山本君とは赤の他人。僕と君とは同じクラスにいた。もちろん、会ったことなんてないけどね。だって僕は」

 死んでるんだから。

 冷たい息が頬にかかり、ずしん、と両肩が重たくなった。振り返った視界の先には、地べたに女が落ちている。髪を振り乱し、ぎりぎりと、アスファルトに爪を立てて呻いている。

「大丈夫さ、君と僕とはクラスメイトだ。これから上手くやっていけるよ」

 そうか。俺の卒業校は、この春、廃校になったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

久しぶり 中村ハル @halnakamura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ