第3話 この先にある未来
顔なじみの看護師さんが病室にやってきたのは十二時を少し過ぎた頃だった。
いつものようにノートパソコンのキーボードを忙しなく叩いていた僕は、集中していた頭を一度切り替えて、ぱたんとノートパソコンを閉じる。
昼食を載せたトレイを持って現れた顔なじみの看護師――
「最近、沙希ちゃんと仲良いんだって?」
「ええと、まあ、はい」
けれど突然、振られた話題は僕にとって少し意外なものだった。
「知っていたんですね、水嶋さんのこと」
「まあね。これでも、看護師だし」
そういって依子さんは、僕の長机の上に病院食をコトリ、と置く。
僕とこの看護師さんの付き合いは、実はそれなりに長い。
知り合ったのは、僕が小学生で彼女が高校生の頃だったと思う。
僕の家の近所に引っ越してきた、この気さくな女の人はことあるごとに年下の僕をからかい、そして面倒を見てくれた。言うなれば、僕にとっては姉のような存在だ。
ふと、依子さんがどこか複雑な表情を浮かべていることに気が付く。
もしかして、さっきの質問になにか意味でもあったのだろうか。そんなことに思考を巡らせていると……、
「若いって結構、自由なものだよね」
不意に、依子さんはそんなことを言い出した。
「未来のことなんてほとんど考える必要がなくて。毎日を生きることだけに意識を向けられて」
病院の空気に、独り言のような呟きを依子さんは吐き出していく。
その顔はどこか、らしくなかった。なんだか、少し水嶋さんを想い出す。
「……未来のことをほとんど考える必要がないって」
茶化すように僕は言う。
「これでも僕、高校三年ですよ?」
しかも、高校最後の冬。
自転車を走らせているときに猫を避けて車と衝突した、なんて理由で入院している今もクラスメイト達は必至の想いで、未来のために努力をしている。
「推薦決まってるんでしょ? 受験勉強とか関係ないじゃん」と依子さんは言う。
まあ、……受験に関しては僕はそうかもしれないけど。でも、だからといってその若者を敵に回す発言に、若者である僕が納得できるはずもない。
「推薦組じゃない、未来に悩む若者もいますよ?」と反論する。
幸いにもすぐそばに、そんな若い子の代表がいる。
僕のベッドの隣には中学三年生の男の子が療養中で、彼は昼食など目に入らないとばかりにひたむきに問題集と格闘していた。
なんでも、県で一番の難関高校が第一希望なんだとか。
彼の前でする話題じゃないよな、と冷静に僕は思う。
依子さんはそんなひたむきな受験生の姿を横目に、唇を柔らかく開いた。
「まあでも、それでも受験で悩めるのが若さの特権だと思うのよ。若い子はそれくらいのことで悩むべきだと思う」
依子さんはそう言い切ると、これで会話は終わりとばかりに仕事に戻ろうとする。
ん、結局なにが言いたいんだこの人?
「えっと、さっきから言っている意味がよくわからないんですが」
ここから離れて行こうとする依子さんの背中に声をかける。
このまま一方的に会話を終わらせられると、消化不良もいいところだ。
けれど、振り向いて依子さんが口にした言葉は、やはりよくわからないものだった。
「沙希ちゃんのことよろしくね、って言ったのよ。……矛盾しているようだけれどね」
いや、え? なにがどう繋がればそういう話になるのだろう。
今度こそ去っていく大人の姿を見ながら、僕は漠然と疑問を感じていた。
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