単純で複雑
奈々星
第1話
「何度目だ!いつもできるというから商談を任せているのに、3回目だぞ!もうお前には任せない!」
ああ、うるさい。
相手の態度が気に入らなかったからちょっと睨んだだけなのに、目が悪くてくせでよく細めるんですよねとか言っとけば流せたのに
このバカ上司。
市川リョウ。27歳。
男として一旗上げたいとは思ってる。
でもなかなか難しいよなー。
今日みたいに嫌なことがあったり機嫌がいい日は決まっていく場所がある。
デパートを兼ね備えた活気のある駅ビル。
そこを人気の少ない南の出口から出ると大衆の賑わいから1段、いや2段くらい落ち着いた小さな小路がある。
そこを真っ直ぐ歩いてほんの数秒。
右手にその場所はある。
月がのぼり始めた頃に開くその場所は日々の鬱憤を溜めた大人たちを温かいマスターがカウンターの前でにこやかに迎え入れてくれる。
そんな場所。
僕は仕事が終わると足早にその店に向かい
マスターへ愚痴をこぼした。
「マスター、いつもの。」
「ええ。」
「聞いてくれよー、今日また例のバカ上司に怒られたんだ。ちょっと舐めたやつが相手だったからさガン飛ばしただけなのによー」
「それは災難でしたね。」
マスターはどんなめちゃくちゃな愚痴も受け止めてくれる。
「俺もう仕事やめちまおうかなー。」
「市川様なら、きっと成功なされますよ。
お世辞ではなく。」
マスターは客に嘘をつかない。
確証なんてないけれどこの店に通うような奴らはみんな分かってる。
「サンキューなマスター。明日からも頑張るわ。」
「ええ、また。待っていますよ。」
終電には間に合うように店を出る。
なんせ俺には家族がいるのだから。
若い頃は沢山やんちゃしたけどもう何年もたってとっくに落ち着いてるし可愛い嫁も可愛い息子も出来た。
仕事もそろそろ安定してくるはずなのに、
なのにバカ上司のせいで全てが狂わされる。
家では絶対に愚痴をこぼさないのが俺の信条だから俺は家の前で小さな石ころを思いっきり蹴っ飛ばして扉を開けた。
「ただいまー」
もうみんな寝ているから静かに挨拶をする。
ふとテーブルに目をやると2歳の息子の書いた絵が置いてあった。
青いクレヨンで輪郭と目、鼻、口が大きさの違う歪んだ丸で表現されている。
息子の初めての絵に感動し、大切にファイルに収めて自室にしまった。
その日はバカ上司にイヤミを言われたけど
マスターや息子のおかげで気が楽になった。
それから数日後、あのバカ上司に1つ商談を頼まれた。行く予定だった奴がインフルエンザで寝込んでいるらしい。
俺はバカ上司を見返してやろうと、4度目の商談に向かう。
そこには年下の、綺麗な女の子がいた。
「初めまして、○○の市川リョウと申します。本日はよろしくお願いいたします。」
「はい、私、玉坂七瀬と申します。
こちらこそよろしくお願いいたします。」
どうやら相手はまだ経験が浅そうだった。
しかし本番に入ると雰囲気がかわり、かなり押され気味になった。しかし経験の差を見せつけ俺は相手に差をつける。
しかし、ここからの相手のファイトスタイル
についていくことが出来なかった。
「ねぇ、市川さん、今夜飲みましょう?」
「ええ、ああ、いやそれは」
「いいのねじゃあ仕事が終わったら連絡するからそこへ来て。」
胸に小さなわだかまりを抱えたまま会社に戻り商談は成功したということを伝えるとバカ上司にとびきりの笑顔と褒め言葉をもらった。そんなもんより俺は彼女のことで頭がいっぱいになっていた。
仕事が終わると俺は呼ばれた駅に
早く用事を済ませようと急いだ。
「ああ、市川さん、こんばんは。」
「ああ、こんばんは。」
「商談も成立した事だし飲みましょ飲みましょ。」
そういって半ば強引に俺は飲み屋につれて行かれた。俺は酒に弱いということも、言い出せず沢山飲まされうっすらとしか記憶が無いが…
妻子を持つ男として超えては行けないラインまで超えてしまったらしい。
それから彼女から逃げるようにホテルから飛び出し俺はBARへ向かった。
とんでもないことをしてしまったことは自覚している。とにかくあのBARで気持ちを整理したかった。
「いらっしゃいませ、市川様。」
「マスター、、、いつもの。」
「今日は何かあったんですか?」
「なんだよマスター知ってるだろいつも嫌なことかいいことが会った時にしか来ないって。」
「今日は嫌なことでしょう?それもとびきり。」
このマスターにはなんでもお見通しらしい。
「俺、やっちゃったんだ。妻帯者として
やってはいけないこと。」
「そうですか。」
「どうすりゃいいかな、罪悪感から逃げられねぇよ。」
「私からは1つしかアドバイス出来ません。
目を瞑って何も見えないまま真っ直ぐ歩くのは難しい。
人は道を踏み外す生き物です。
なぜならの世の中見えていないこと、
分からないことの方が多いでしょう。
人生は複雑のようで単純なのです。
道を踏み外したことに気づかずそのままどんどん道を逸れると人生はたちまち迷路のように複雑になる。
道を踏み外したことに気づき、ほんの少し反対側に足を踏み出すことが出来れば人生は単純なものですよ。」
これが俺たちのマスターだ。
かっこいいだろ?お前たち。___________________________________________
この後俺はマスターの言う通りに妻に愛を何度も伝え、受け取り、それらを息子にも注いだ。それが俺の単純な人生。
単純で複雑 奈々星 @miyamotominesota
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