最終話

 オールドローズは意識を取り戻すと心臓に突き刺さった杭を抜き取った。


「ふー……あの執事絶対許さん、ぶっ殺してやる。―――あ?」


 オールドローズの聴力は少し離れたパーティ会場のざわめきを聞き取る。銅像と化していた人間たちが元に戻ったのだろう。

 それは今夜の祭りが終わったことを意味していた。


「………………ああ、なんだこれは? 暇つぶしだろう。私にとっては暇つぶしでしかないはずだった、そのはずだ。化け物らしくもないな……コレは」


 オールドローズは、哂えなかった。いつのまにか本気になっていた。

 本気で聡のために勝ちたかった。オールドローズは顔を顰める。

 悔しい。……あまりにも、悔しい。せめて一回くらいは勝利をしたかった。変能相手など関係ない。私も変能なのだから。

 そして彼女の聴覚は彼の足音を捉える。


「よぉ、オールドローズ」


 横たわったオールドローズの傍に近づいてきたのは聡だった。


「すまな」

「ああ、謝るなよ。お前は本気でやってたし、僕だって本気でやってた。謝ることなんて一個もないだろ?」

「………」

「なーんてな! 全部お前のせいだよ! くくくっ」

「はっ、……余計な一言を付け足すな……面白い男だ」

「なぁ、オールドローズ」

「なんだ」

「僕はお前の暇を潰せたか?」

「ああ、充分だ。充分だよ」


 酷い夜だった。オールドローズの八百年の中でも一、二を争うほど何もうまくいかなかった。勝利は掴めず、パーツは奪えず、憎んでいた変能は自分自身であったことを突きつけられて。

 だが、それでも、失うだけだったかというとそうでもない。オールドローズに暇を忘れさせるほどに、絶望を忘れられるほどに愉快な人間と主従となれた。

 充分だ。


「そうか、じゃあ、この関係、継続するか?」

「――――………」


 だから聡のその提案はオールドローズの充分以上だった。


「相手が悪かっただけだ。お前は最強の吸血鬼なんだろ? だったらさ、それを従える僕って最高に恵まれているじゃん? それを捨てるのは惜しくてさぁ……」

「ああ……そうなのか? だが、私を従えるということは人間社会から背を向けるということになる……」

「別にいいよ、どーせろくな人生じゃなかったしね。いや今日もろくな日じゃなかったけどさ、明日があるだろ? お前が最強無敵パワーで明日からずーっと僕を幸せにすれば不幸の元が取れると思うんだけど、どーよ」

「………………いいだろう、我が主。私の暇の全てを捧げよう。なぁにこれでも長い生を生きているんだ。お前を幸せにするくらいわけないさ……」


 そんなことを呟いてオールドローズと鴨野聡は、夜の闇へと消えていった。



 常盤しずねが意識を取り戻した時、周りには誰もいなかった。一人ぼっちで、庭園の奥に倒れていた。

 起き上がる。立ち上がって、周りを見回す。


「式神?」


 しずねが殴り飛ばし、オールドローズに殴り飛ばされた、ひどい怪我を負った式神の姿はどこにもなかった。

 あの状態になってなお、式神は動いたのか?

 しずねは熱に浮かされたようにパーティ会場へと歩いて行った。

 行く途中、庭園を見回すが、やはり式神はどこにもいない。ちょうどしずねが殴り飛ばしたように、木々を数本巻き込んで誰かが突っ込んだような跡が一つあったが、そこにも式神はいなかった。

 ただ一枚の紙が置いてあった。


『この手紙を見つけた方は、ショコラガーデンにいる常盤しずね様へ届けてください。

さて、しずねさん、ご協力感謝いたします。あなたのおかげでわたくしは七月七日、健闘することができました。謝礼として一億円をしずねさんの口座に振り込みましたのでご収査ください。

 あなたが素敵な方になることを、陰ながら応援しています。

 式神彩人より』


「式神……」


恨み言は一言もなかった。


「式、神ィ!」


事務的な文章と、小さなエールがあった。

あれは悪魔のような執事だった。外道で、鬼畜で、サディストで、負けず嫌いで、イカレていて容赦がなく慇懃無礼で……それでも彼は、一生懸命なだけだった。


「あなたは、私に期待してくれるのですか! 期待をしてくれたのですか!」


もしも式神がしずねを本当に、ただの協力者でしかないと本気で思っていたのなら、しずねは折れていただろう。

だが違う。式神は嫌いではないと、しずねに言った。応援していると、しずねに言った。万が一己が傅くお嬢様となってくれれば嬉しいという計算まじりの下心であれど……しずねでも、“お嬢様”になるかもしれないと、式神は考えたのだ。

それが嬉しくてたまらない。


「いいでしょう! 破滅も! 自滅も跳ね返します! 私は、あなたを諦めない!!」


しずねは背筋を伸ばし、勇ましい歩みでホテルの建物へ向かって歩き出した。



 蛍がふと気づくと、目の前には何もいなくなっていた。傷つけてしまった重傷者も、彦星くんの姿もなく、なぜか庭園にポツンと一人で立っていた。


「う……う……」


 また一人になってしまったと、蛍は泣きながらトボトボとホテルへ向かって歩き出す。

 するとなぜかがやがやと人の声がした。


「え?」


 蛍は走ってパーティ会場まで行く。するとそこにはキョロキョロとあたりを見渡してる大人たちがいた。


「元に、戻ってる……?」


 蛍がホールの中に入るとホテル職員が慌ただしく動き回り、パーティ参加者は一か所に集められていた。

 床に転がっている壊れた武器と警察手帳を持った数十人の大人たちを全員をホテル職員は診ていた。

 オーナー自身が焦った様子で電話している。電話している先は病院のようだ。隣にいるもう一人の職員は警察に電話してる様子だった。

 だが蛍にはそんなことは重要ではなかった。


「蛍―! どこだ!」

「蛍ちゃん、どこなの?」

「……パパ! ママ!!」


 蛍は自分の名前を一生懸命呼んでいる二人の男女……親である佐々木夫妻の元に飛び込んだ。


「ああ、よかった!! 無事だったの!」

「うん……うん……!」

「いったい何が起こったか心配で……四時間近くも経っていて……もうわけがわからない。ホテルもボロボロになっているし……」

「あのね、あのね。ホテルがね、ぼわぁー! って動いて、怖い人もいっぱいいて、でも彦星くんが守ってくれて……彦星くん?」

「「彦星くん?」」


 蛍の両親は首を傾げる。だが蛍はそれどころじゃなかった。


「そうだ! 彦星くんはどこ!? 彦星くん!?」


 蛍はパーティ会場を見渡すが彦星くんの姿はなかった。あるのは疲れた様子で壁に寄り掛かる織姫ちゃんだけだった。その織姫ちゃんもホテルの職員に手を引かれてホールの外へと出て行く。


「彦星くん………うう」


 いなくなってしまった着ぐるみに蛍は顔を俯ける。両親は要領を得ない蛍に困惑しかできない。だがそれでも、不安で泣いているのだと思った母は蛍を抱きしめ、父は蛍と母を抱きしめた。

 だがやはり蛍にとってはそれどころではない。


「ちょっと待ってて!」

「あ、蛍、待って! ここにいてくださいってホテルの人が……!」


 母の言葉を後ろにしながら蛍は庭園に戻った。そしてキョロキョロと探すが、やはり着ぐるみの彦星は見当たらない。


「……彦星くん」


 小さな呟き……に応える者があった。


「蛍ちゃん、ミーちゃんを落としちゃダメって言ったでしょ?」

「……え!? どこ、彦星くん!?」


 蛍は声がした方向がどこかわからなかった。


「下だよ、下」

「……え?」


 蛍は地面にしゃがむ。そこには蛍の人形、ミーちゃんを背負った齧歯類の生き物がいた。


「いひゃひゃひゃ」

「彦星くん……ちっちゃくなれるの?」

「なれるなれる。ほら、ミーちゃんとって」

「うん……」


 蛍はダークスターの背に乗ったミーちゃんを手に取って抱えた。


「いやあ、もうだめかと思ったけど。そのミーちゃんが助けてくれたんだよねぇ」

「ホント?」

「ホントホント。床に埋めて危機から隠してくれたのさ、痛い助け方だったよ……じゃ、ぼくはもう行くから! パパとママが無事でよかったね!」

「待って!」

「ん?」

「その……うちにこない?」

「ぼくを? ぼくを飼っちゃうの?」

「うん……だって、かわいいハムスターだし、きっと飼えるよ!」


 そう。ずっとダークスターが変身していた漆黒の齧歯類とはつまり、ハムスターだった。ダークスターは、蛍の言葉に笑った。


「かわいいハムスター? うんうんそーだね! だってぼく、ダーク“ハム”スターだもん!」



 ルカジャンはホテルの門から外に出た。

 後ろから声が掛けられる。


「ルカジャン。それで私はどうすればいいんだ?」

「適当な戸籍でも用意するさ。妹に協力してもらえば容易い」

「しかし、まさか君が勝てないとはねぇ。私が知る中でもっとも応用力が高い変能だったのだが」

「そんなものに価値などない。それに妹も悪くはない……。悪いのは私であり、強かったのは、彼らだった。それだけだろう」

「ルカジャン」

「なんだ」

「なんで私を見ないんだい? もう私になんかかけらも興味ないかい?」

「………16歳と1016歳が重なった状態であるからな。少し扱い辛かっただけだ。安心しろ。妹ではあるのだから、最後まで面倒を見るさ。俺が始めた争奪戦の後始末ぐらいはする……。しかし、ミクロコスモス。お前、人間だったんだな」

「もともと人間で、元究極の人形で、現人間さ。いやぁ、残念だったねぇ、願いがかなえられなくてさ」

「なに……残念ではないさ」


 ルカジャンは知っている。どんな変能もハッピーエンドに辿り着けなかった。誰も彼も大団円と言えず、苦み走った終わりを迎えた。

 それでも、それでも。


「妹も変能おれたちも、今夜が来る前よりかは幸せになってるはずだからな」

「前向きだね」


 ルカジャンは肩を竦めた。


「妹の前で嘆く兄などいるかよ」




 庭園に並んで立っているのはフェリティシア・ルノアールと冬川賢一、そして三日月だった。

 賢一の隣には、いつものように黒い彼女がいた。しかし、その様子がおかしい。なぜか、オロオロしていた。まるで人間のように手を迷わせ、まるで人間のように焦った顔をし、自身の製作者にして主に声を掛けている。


「……あのぉ?ご主人様ぁ? 大丈夫かしらぁ?」

「おごぉ」


 まるでダークスターのように喘いで賢一は下を向いた。フェリティシアは呆れる。


「あのね、賢一、あなたが願ったことでしょーが。唸るなとは言わないけどせめて受け入れなさいよ。―――『ここにいる二人の人間の女の子を生き返らせてください』、って言ったんだからさぁ」

「えげぇ」

「えげぇってなんだよ」


 賢一は人形ミクロコスモスに願いを告げてからずっとこの調子だった。そのせいで、人間として生き返ってしまった三日月はずっと戸惑っていた。


「……ご主人様ぁ? 私、迷惑ですか?」

「うぐぅ……いや、迷惑ではねぇよ。俺はお前を尊重する。三日月、お前は人間だ」

「違うわぁ、私はご主人様のモノよぉ」

「お、おい、三日月? 別に無理する必要はないんだぞ……?」

「無理なんかしてないわ。人間になっても私はあなたの、あなただけの人形よ?」

「う、ううーん? 意思がある人間だからなぁ……ちょい管轄外っつーか……あー……」


 賢一は錯綜する想いを言葉にする。


「意思ってのは尊いものなんだよ。意思があるなら、そりゃ生きてるってことだ。三日月。モノなんて言うな、お前は選べるんだから」

「ご主人様は?」

「あ?」

「ご主人様は、私を選んでくれるぅ?」

「でもまぁ……これもわるくない気がしてきた」

「落ち着け変態。混乱して本願が飛んでるよ」


 フェリティシアはパシンと賢一の頭を叩いた。

 そして二十二時。七夕パーティの終わりを告げる、録音されていたアナウンス音声が流れた。慌ただしくホテル職員が突然のフロアの破砕や気絶している霊対の保護等をしていたせいで、自動消灯とアナウンスを切るのを忘れていたらしい。


『皆さま、明かりを落とさせていただきます。足元に気を付けて、その場から動かないようにお願いいたします。では、消灯します』


 当たりの明かりが消えて真っ暗になる。最後の消灯。ホテルの人間が銅像になることはなかた。ようやく、七夕パーティの人々は暗闇の中で夜空を見上げることが叶った。

 賢一もフェリティシアも三日月も、ダークスターも佐々木蛍も、オールドローズも鴨野聡も、式神彩人も常盤しずねも、ルカジャン・ゲイリーもミクロコスモスも、それぞれの場所で夜空を見上げた。ようやく彦星と織姫を眺めることができた。


「七夕ってのはさぁ」

「ええ」

「願い事を短冊に書き、竹に吊るして願望成就を願う行事でもあるんだぜ。……誰の願いも叶わなかったけどな!!」

「皮肉な話ね」

「俺たちみんな道化だぜ」

「何言ってるのよ……あなたたちみぃんな、ハードボイルドだったよ!」


 固ゆで卵と変な奴らハードボイルド・オリジナル

 人形争奪戦ミクロコスモス・スクランブル

 これにて終幕。


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固ゆで卵と変な奴ら~人形争奪戦~ ディティールノベル @hatamisou

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