巻きずしとジャポニズム
フランスの人は家に招き合って食事するのが好きだ。居酒屋のように気軽に利用できる場所がないからというのもあるけど、家に招待するのは友達の証でもあり、交友の大事なイベントである。
我々は決して友達が多い方ではないが、それでも例にもれずお招きにあずかることがある。そして暗黙の決まりとして、招待されたら次はこっちが招く番になる。
そうすると多くの場合、台所に立つのは僕である。なぜなら僕がいる時点でお客様は半ば当然のように日本食を期待しているからだ。これが厄介だ。もちろん同居人がフランスの料理を作ってもいいのだが、いつも食べているようなものを出されても面白味がないというか、つれない感じがする。
典型的で笑われそうだけど、そういうとき僕は巻きずしを作る。フランスでは「マキ」と呼ばれていて、好きな人は多い。これを出せば十中八九喜ばれる。
もともと作れたわけではない。作り方なんか知らなかった。しかしここに住んでいる間に「日本人なんだからできるよね?」的なプレッシャーを受けることが重なり、その結果無理やり会得したのである。
日本の材料を揃えるのは高いし、恥ずかしながらそもそも何が入っているのかちゃんと把握していない。だから具にはフランスのスーパーで手に入る小エビやスモークサーモンを使う。「スリミ」というカニかまの模造品も便利だし、みんな大好きツナマヨも無難なアイテムだ。すし屋の卵焼きなんて作れないから緩めのスクランブルエッグを焼く。ヨーロッパの巨大キュウリを縦切りにすると海苔とサイズが合う。
これらを適当にすし飯の上に乗せて巻き簾でギュウギュウに巻けば、素人作でも一応それっぽく見えるのである。
初めて客にふるまったとき、「さすが日本人のマキはホンモノだねッ!」と感激された。なんか詐欺を働いているようで気がとがめた。
しかし詐欺も幾度か働いているうちに板についてきて、今では巻き方も(格好だけは)サマになっていると自賛している。訓練というのはバカにできない。「できるよね?」のプレッシャーもある程度効くのかも知れない。
お客様がマキを醤油の海にどっぷりと沈め、ご飯が半分破壊された状態でモグモグと至極ご満悦の顔をしてくれると、完璧ではないにしろ作ってよかったと思う。ついでに普段ご馳走を食べていない同居人が一番ご満悦である。
ジャポニズムというのが昔流行ったように、フランスの人はエキゾチックなものに弱く、他国の人間が作るモノを過剰にリスペクトするところがある。そこはちょっと可愛らしいと思う。
日本ではこういう具材は入れないと思うけど……と注釈を加えても、彼らは僕の作ったものというだけで有難がってくれるのだから、恐縮するぐらいだ。
だが、中にはスーパーで売っているジャポニズムを信じている人もいる。
前に巻きずしを作ったときに「アボカドが入ってない」とほざいた友人がいた。僕はムッとして、悪いね、そこは迎合しないのだよ、と言ってやった。が、今考えれば僕も柔軟さがないというか、意地悪だったと思う。
スーパーで売っているマキには必ずアボカドサーモンが入っている。なんならオニオンフレークや真っ赤なスパイスまで振りかかっている。もうそれは日本の巻きずしじゃないよね、ってところまで進化している。だけど、異国の食べ物なんてその国の味覚に染まっていくものだ。だから迎合したくないなんていう意固地さはあまり意味がない。だいたいスモークサーモンを入れておいてアボカドが駄目という自分の線引きもいい加減である。
とはいえ、アボカドは越えてはいけない一線という気もする。しかしそれでは自分は頑ななまま生涯を終えそうな気もするし。
今のところ客人を呼ぶ予定がないのが残念だが、いつかマキにアボカドを入れてみようか。そうすれば、僕の人間としての器は少しだけ大きくなるのかも知れない。しかしそれは、アイデンティティを放棄する、という話かも知れない。
悩めるジャポニズム。いや、その前に醤油に沈められても破壊されないぐらい、もうちょっと上手く巻けるようになることが優先課題なのだけど……。
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