テラスが戻ってきた

 先日ついに飲食店のテラスが営業を再開した。


 秋に営業停止になってからだから、もう半年ぐらいカフェやレストランは閉まっていたことになる。

 その間の街の風景はおおげさでなく寂寥感の漂うものだった。道がすっからかんなのである。

 閉じられたガラス張りの店の中にはテラス用の椅子やテーブルが積み上げられていた。天井に届くかと思うほど積み上げられた籐の椅子がバリケードのように視界を塞ぎ、明かりの消えた店内がさらに陰気に見えた。


 かろうじてテイクアウトだけは許可されていたが、採算が合わないと見込んだ店は完全閉店していた。店の外に「テイクアウトあります」という看板だけは出ていても、中を覗き込むと人気はない。留守番らしき店員が来ない客を待ちながら外を眺めていることもあった。電気節減か、暗い店内の厨房だけにぼんやりと明かりが灯っていることもあった。


 まあ、簡単に言えばなんともわびしい光景だった。


 いつだか有名なカフェの前を通りかかった時、ガラス張りの壁の向こう側に、大量のクマのぬいぐるみがディスプレイされているのを見たことがある。その店では椅子を積み上げたりせず、あたかも営業中のようにテーブルを配置して、巨大なクマのぬいぐるみに客のごとく色んなポーズをさせていた。

 コーヒーカップを前に本を開いているクマ、シャンパングラスを並べて肩を寄せるカップルのクマ、通りを観察しているクマ。それはユーモラスであると同時に、閉鎖中でも決して寂しい光景になどしないぞという店の心意気を感じた。通りかかった人たちはみな嬉しそうに写真を撮っていた。


 フランスでは段階的な手順でのロックダウン解除を始めていて、今回のテラス営業再開もその一環である。同じ日に美術館も映画館も再開した。

 でもまずみんなが行くのはテラスなのだ。


 ちょうど当日に用があって街へ出た。思わず「わあ」と口が開いた。

 舗道にいつもの丸いテーブルが出ていて、いつもの籐の椅子が並んでいる。そしてすでに沢山の人たちがそこに腰かけて、いつものように食事したりコーヒーを飲んだりしている。

 いや、当たり前だろうと思うけれど、この感覚はなんと言ったらいいのか分からない。テラスが戻っただけで、昨日までのまるで喪に服したような空気がすっかり見違えるのである。そして、それは昨日まで何もなかったかのような「いつもの」風景に戻るのである。


 舗道にあふれるテラスは、飲食店だけでなく、その周りも全部含めて雰囲気を明るくする。人がテラスにいるだけで今までの何十倍も活気がよみがえる。この存在感の侮れないことよ!

 

 久々にギャルソンの姿を見た。白いシャツに黒い蝶ネクタイをして黒いベストを身に着け、腰には白いタブリエをぎゅっと巻きつけたギャルソンがびっくりするほどかっこよく見えた。「復活!」という言葉がぴったりだ。目に映る給仕たちはみんなゴキゲンで、踊るような足取りで料理を運んでいた。

 失業保険をもらえても、働いていないという虚しさは別次元のものだ。きっとそれはどんな職業でも同じだ。ギャルソンはこの衣装でテーブルの間を忙しく歩き回ってこそ、生きている意味があるんだと思う。


 再開したからといってお祭りのように浮かれてはいけない、それはみんな分かっているはずだ。それでもテラスが戻るというのは日常から大きく欠けたものが戻るということである。外のテーブルで座ること、食べること、誰かと話をすること、こんな当たり前だったことが改めて幸せだと感じる。こんな時ぐらい純粋に喜んでいいと思う。


 まだ気温は暖かいとは言えないし、風も強くにわか雨もしょっちゅう降る。しかし雨が降ろうが風が吹こうがテラスの価値には代えられない。本当におおげさでなく、パリの風景には欠かしてはいけないものなのである。


 願うのは、後戻りをしないこと。籐椅子がガラスの壁の向こう側に積み上げられた光景はもう見たくない。このまま順調に飲食店が店内も含めて全面再開となり、街の本来の空気が戻るのを祈っている。

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