太陽の街②

 マルセイユはフランスで一番降水量が少ないと聞いたことがある。滞在した間もまったく雨が降らないどころか、太陽が朝から燦燦と照らし続けていた。しかも八月末だったので日が長い。夜の八時ぐらいになってもまだ午後のような明るさだった。だから外にいる間じゅう、肌を焦がすような痛い日差しを感じた。


 この日光のせいか、景色がすべてくっきりと見える。空と海の青はもちろん、建物の白、オレンジの屋根も、すべての色が主張している。中でもあちこちで見かけたブーゲンビリアは何よりも目を引いた。蔓が壁から屋根に這い上がって、白い壁に鮮やかな絵の具を塗り付けたようにボリュームたっぷりに咲いている。この濃いピンクの花は可憐でかつ艶やかで、暑い地方ならではの甘い砂糖菓子のように見えた。

 霞がかったぼんやりとしたものが一切ない、何もかもが陽の下に照らし出されるような景色。日差しが痛いのは肌だけではなく、目も同じ。サングラスをかけないと、この強さに瞳孔を潰されてしまいそうだ。


 人々の肌も灼けている。

 通りかかった道で若い男が上半身裸でペンキを塗っていた。その褐色に色づいた背中は野生の動物を思わせた。

 バス停にはワンピースを着た中年の女が座っていた。肩はそばかすだらけで、むき出しのすねもシミだらけである。日差しで皺の刻まれた顔に、瞳だけがキラキラ光って見える。バスの行き先を尋ねたら、南仏訛りで簡単な答えが返ってきたのみだった。


 南仏のアクセントは横に引き延ばすような発音をする。パリの人のような平坦な喋り方ではなく、トーンに上下があり、色がついている。例えるのは難しいが、パリ訛りが東京だとしたらマルセイユは大阪弁だろうか。かといって明るいわけではない。田舎の人のように人懐こくもない。邪険にはしないがお愛想もしない。バスの中で乗り合わせた人たちの顔には緩みがなく、硬質な感じが眉間から見て取れた。このコミュニティの中に入るのはパリに棲みつくよりも難しそうだと思った。

 

 街のどこかではマルシェが立っていた。商人の多くはアラブ人だった。鋭いまなざしをした浅黒い男たちの間にはアラビア語が飛び交っていた。そのあと通った道にはほとんどアラブ人しかいなかった。肉屋の店先から生肉がぶら下がっていた。観光客と現地民が一目で分かるほど違った。自分がひどく場違いに感じた。


 僕が目にしたのはこの街の一部分でしかない。でも少なくとも南仏という言葉の持つ気の緩んだイメージは皆無だった。それどころか逆にリアルな生活感にあふれていた。当然だろう。ここで暮らしている人は地道に普段の生活をしているだけだ。裕福な人はハイソな界隈に固まっているだろうし、移民はコミュニティを作って自分たちの生活をなんとか守っているのだろうし。


 観光地でありながら、どこか危ない顔を持っている。親しそうに見えて線を引く。色彩に満ちたこの街は灰色の冷たいパリとは全く違う景色だが、ここにも何か油断のならないものが潜んでいる。

 しかし訪れる観光客はそんなことはどうでもよく、きれいな風景だけを写真に収めて地中海を満喫して帰る。

 そういう部分ではもしかしたらパリと似たようなところがあるのかも知れない。


 残念なことに、ここで何を食べたかはほとんど記憶にない。ブイヤベースは高くて予約が必要なので諦めた。覚えているのはマルセイユ産のイワシの唐揚げぐらいだ。皿の上にどさっと盛られたイワシにレモンをぶっかけて食べた。潮の匂いのする入り江で食べた魚は美味しかった。

 あとは、営業しているのかいないのか分からないような小さな店に入った時、その中庭にもブーゲンビリアが咲いていたこと。何を食べたのかは忘れたが、その店の女の子はやたらとこちらを気にかけてくれた。マルセイユで誰かに笑いかけられたのはこの時ぐらいである。ブーゲンビリアの色とともに、その部分だけが柔らかい思い出になっている。


 同じ国なのに異国にいるような感覚をおぼえる街だった。ずいぶん前なので記憶が断片的なのが口惜しい。できればまた夏に行って、自分が通った道をもう一度なぞってみたいと思っている。

 

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