柊さん、こんにちは😊
一瞬、ある小説の解説をされているのかと錯覚を起こしました。
今まで、モーパッサンの本の解説を読んでいたからでしょうか?
こんな時あなただったらどうする?
と突き付けられたようです。
アコーディオンの青年のあまりにも鮮やかで爽やかな行動!
彼が彼女に向かって力強く親指を立てて見せたってところで、やられた!参りました!って感じです。
カッコよすぎです。
しかし、私だったらきっと見て見ぬふりをするでしょう。
実際に柊さんが遭遇した実話と知り、びっくりしました。
この光景が頭に残っているというのは頷けます。
それほどインパクトがあるシーンでした。
小説に出来そうなシーンですね。
私も色々考えさせられました。
作者からの返信
この美のこさん、こんにちは😊 コメントありがとうございます。
まるで小説みたいですよね。でも実際に目の前で起こった出来事なんですよ。それも電車のひと区間ぐらいの間に起こったことです。車内のひとたちもただ茫然と見ているだけで。僕もそんなひとりでした。
アコーディオン弾きがどんな人なのかは分かりませんが、老女だけを見ているようでもあり、他の乗客に「あなたにこれができるか?」と言っているようでもあり。でも親指を立ててみせたところ、あれは完全に老女一人に対するエールだったと思います。
かっこよさを感じると同時に、何もしない自分にそれが返ってくるようでした。
こんな経験はめったにするものではないので、まだ頭の中に残っています。
編集済
柊圭介様
とても貴重なお話を書いて下さり、ありがとうございます。
すごいシーンですね。日本では到底見ることのない光景です。それどころか、そういうことが起こり得るなど考えも及びません。
19世紀的な老女は明らかに関わってはアカン人なのでしょう。「触らぬ神に祟りなし」です。しかし、
>与えない者の持つ嫉妬心
という俯瞰的な分析は流石だと思います。
柊圭介様の情景描写や心理描写があまりにもリアルで巧み過ぎて、余韻が……というか、あとを引きそうなお話でした。
作者からの返信
こちらこそコメントをありがとうございます。ちょっと読み返してみて、その時のことを思い出しました。メトロの空気感も今と違ったなあとか。まだみんなマスクを着けていて、観光客などは勿論いなくて、メトロに乗る人も仕方なく利用するといった雰囲気が漂ってました。その中で見たこの光景は、辛気臭いムードに波紋を起こすようなものがありました。
俯瞰的、そうですね。冷静に自分の感情を思い返すとそうなんだろうなと思います。
記憶って風化していくので、ここに書き残しておいてよかったです。繊細に感じ取って下さり、とても嬉しいです。
すごい場面でしたね。日常の中に、唐突にこのようなことが起こるなんて……驚きです。
「お金(小銭)を渡す」という行為は、難しいですね。私も渡さない、渡せない人間です。
そのおばあさんが、貰ったお金をその日暮らしに使うのではなく、その先のことも考えて使ってくれていたらいいなと思います。
作者からの返信
悠栞さん、沢山読んでくださりありがとうございます。
こういう場面に遭遇することはめったにないと思います。だから自分の記憶のために書き留めておいたようなところもあります。
恵むという行為をどう捉えるかですよね。慈悲とか自己満足とか優越感とか、いろんな感情が入り混じっているものではないでしょうか。
このおばあさん、今どうしているのでしょうね。
お金もですが、こういう人は誰かがそばにいることが大事ですよね。
アコーディオン弾き!小学校のときにアコーディオンを弾いたことがあるので、反応しちゃいます。いいなぁ。日本の電車にもアコーディオン奏者いて欲しい。でも私電車に乗らないから、どっちみち聴けない(。ŏ﹏ŏ)
タイに行ったとき、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが物乞いをしていたんです。私あげることができなくて、帰国してもずーっと心のしこりとして残りました。それからなるべく寄付するようにしています。
アコーディオン弾きの方、思うところがあったのでしょうね。
老女は憶測でしかないですが、洋服のおかしい人って、心のどこかが壊れてしまった人が多いように思います。老女はたくさんの硬貨をもらったことに感謝したでしょう。でもそれ以上に自分を見てくれたことや、優しさや思いやりが嬉しかったと思います。感動の気持ちから生まれたメルシーは特別でしょうね。
作者からの返信
遊井さんこんにちは、コメントありがとうございます。
アコーディオンのボタン式のやつって特にすごく難しそうですよね。あれをスラスラ弾ける人はかっこいいなと思います。日本の電車って混んでるから厳しいですね。あとあっという間に鉄道警察に捕まりそうです。こっちは緩いので(^^;)
遊井さんは優しいですね。メトロにいる物乞いは何かの組織を感じさせてしまうので、あげる人すごく少ないですよ。あとはやっぱり関わりたくないという空気があります。
アコーディオン弾きは本当に謎の人でした。凛としたものがある人って見ている方が負けた感じしますね。
老女はおそらく仰る通りの人だと思います。お金も嬉しかったでしょうが、自分を見てくれる人がいたことに感動したんでしょうね。今ごろどうしているのか、生きているのかさえ分かりませんが…印象的でした。
もし、日本でもこういうことがあっても、当然私もできない側の人になります。
多分パリにいても当然そうでしょう。
その老婆が何者だったのか、ちょっとわかりませんけど、そのアコーディオン弾きの人は、メトロでアコーディオンを弾くというパフォーマンスができるくらいだからこそ、老婆に対しても大胆に出来たのは間違い無いのでは?
それにしても小銭を全部差し出してしまうとは、ちょっと驚きですね。
ちょっと小銭をあげるくらいなら、分からなくもありませんが。
でもメトロとかで楽器を弾いて小銭をもらう人、ちょっと苦手だなあ、たぶん。
ああいう時はあげるのが常識なのでしょうか?
作者からの返信
こういう大胆な「施し」の場面は初めて見ました。この老婆がどういう人なのかまったく見当もつかないです。想像力を掻き立てるような出で立ちで。
アコーディオン弾きは人目に触れることには慣れてはいるでしょうが、この男は主張を感じる人でした。あまりにも全部が不思議すぎて忘れられないです。
車内で楽器を演奏する人もいればカラオケを持ち込んで歌う人もいますよ。どちらにせよ乗客はほとんど無視してますね。観光客の関心を引くような曲ばっかりだし、だいたい上手くないですし(笑)お金をあげる人はいないですね。物乞いの方がまだあげる人がいるかな、というぐらいです。駅の構内で物乞いをしてる人は多分やらされてるんだと思います。あやしい組織もあるようですし、お金をあげてもきっと吸い取られるのかな、と思います。
あらゆる国に旅をした父から、ありとあらゆる詐欺師の手口をきかされたせいで、芝居がかった老女とアコーディオン弾きがグルなのではと、邪推した身が恥ずかしいです(´・ω・`)
持つものと持たざるもの、施すものと施せないもの。
柊さんの思考はふつうのものより一歩踏み込んできてはっとさせられます(^.^)
作者からの返信
みりあむさん、分かりますよ(^^;) 書いてはいないけど実は僕もグルではないかと思ったんです。でもそれだと目的というか意味が分からないんですよね。ホームでの男の様子を見て、やっぱり赤の他人だったんだと思いました。この光景はかなりインパクト強かったです。色々考えてしまいましたが、みりあむさんにそう言われるとなんだか照れますね。嬉しいです。
狐につままれたような、それとも白昼夢のようなはなしですね。
また、この雰囲気がパリにぴったりです。
作者からの返信
物乞いもアコーディオン弾きも別々にはよく見かけますが、こういう物語のようなひと幕を見せられるとは思いませんでした。実際に目にしたにも関わらず白昼夢のような印象がありました。
パリのメトロもずっと乗っていたら色んな光景があるかもですね。
貴婦人風の老女とアコーディオン弾き。一度見たら忘れられないふたりの忘れられない交流ですね。「施し」って難しい問題です。大多数の人は何処まで関わりを持っていいのか計りかねることでしょう。
ところで柊さん、その後、歯の具合は大丈夫ですか? ご自愛ください。
私は目の療養中でした。この春は少しばかりデジタルと距離を置いて過ごすことになりそうです。
作者からの返信
ひいなさん、コメント下さりありがとうございます。
そうですね、二人のビジュアルと出来事、どちらも本当に忘れられないものです。自分が感じた心地も。慈悲とか施しとか、この国に住むほど考えが捻れる部分もあり......それだけにこの出来事が印象的でした。
ところで歯のこと心配して下さってありがとうございます。来月には治る予定です ^^
ひいなさん、やっぱり目と神経を酷使されていたんでしょうね。ゆっくりご自分のペースでお過ごしください。ここに居られるだけで安心感があります。どうかお大事に。
余韻の漂うお話です。
我々が見て見ぬふりをしてしまうのは、この世の歪みのような、禍々しさというようなものを浮浪者から感じてしまうからなんですかね。見なかったことにしたい、存在を認めたくない。
しかし、与える人は、しっかりと現実を受けとめているんですね。目の前に、社会からこぼれ落ちそうになっている人がいることを、目をそらさずに見ている。だから、自分が出来うる範囲のことをしてみせる。根本的解決だとか、理不尽で刹那的だとかいった言葉で誤魔化さずに、自分と彼女との問題として、すべきだと思うことをやってみせる。爽快です。
その姿を見せつけられた者は些か辛いものがありますが、しかし。・・もしかしたら彼も、傍観して辛い想いをしたのかもしれず。そして、次こそはとチャンスを待っていたのかもしれず。
素敵なお話でした。
私の番がきたら。行動できるだろうか?
作者からの返信
呪文堂さん、コメントありがとうございます。核心をついて全部まとめていただいたような気持ちです。
「この世の歪みのような、禍々しさというようなものを浮浪者から感じてしまう」
まさにそういう感覚だと思います。だから冷たいというよりは微妙な空気が流れてしまうのでしょう。
「自分と彼女との問題として、すべきだと思うことをやってみせる。」
そうですね…。本質は非常にシンプルなことなのに、なぜこうも難しいことに思えるのでしょう。きっと与えない言い訳を作るほうが簡単なんですね。嫉妬心を覚えるぐらいならなぜ行動に移せないかと思います。
筆者の小ささを表すような話でしたが、深い考察に感謝です!
印象的なシーンです。私も聞こえないふりをしますが、他の人がごく自然に寄付しているのを見ると自己嫌悪に陥ってしまいます。その男性は本当にかっこいい……と言うと変かも知れませんが、颯爽としていて憧れます!
19世紀風のドレス、ちょっと幻想的でもありますね。
作者からの返信
橋本さん、コメントありがとうございます。
あの老女の衣装が非現実感を出していました。舞台から抜け出したみたいな…。
お金を求める人はメトロには必ずと言っていいほどいますね。僕もですが小銭をあげる人少ないです。だからあのアコーディオン弾きは本当に印象に残っています。そのときは素直な気持ちで見ていなかったなと思います。颯爽とかっこよかったんですよね、確かに。
日常の中で、いきなり自分という人間を問うお題を突きつけられたような感覚ですね。
私も間違いなくその他大勢として沈黙してしまうと思います。
だからこそ、たとえ驕りだったとしても、あえて一歩を踏み出し注目を浴びる人には羨望の眼差しを向けてしまいます。
人前でアコーディオンを弾いてるくらいだし、きっと自分というものをしっかりと持った、粋な人生を送っている人なんでしょうね^^
作者からの返信
黒須さん、ありがとうございます ^^
「自分という人間を問うお題」そう、そういう感じですね。しかもいきなり。
多分、偽善だとかおごりだとか言っているのも、何もできないことに対する言い訳なんだろうと思います。できる人は勇気を出さなくても自然にできるのですからね。
粋な人生ってかっこいい言葉ですね。アコーディオン弾きは内面が服装にも出ていたのかなと今思いました。粋でした。全部。
「与える者」に対する嫉妬、すごく気持ちが良く分かります。
わたしも住居近くの駅で、浮浪者の老女によく千円札を渡す女性を何度も見ていて、その度に同じ気持ちになったりします。
そういう時に感じるのは「波長」です。わたしの気持ちと「与えられる者」との波長が合ったとき、きっとわたしも「与える者」になるときがあるのじゃないかと。
そのアコーディオンの男性、わたしも素顔を見てみたい衝動にかられました。^-^
作者からの返信
サクヤさん、コメントありがとうございます!
嫉妬、ですね。自分の気持ちを掘り下げたらこういうことなんだろうと思います。彼の行為が自己満足でなく本心からのものだと見えたときは、恥ずかしいような、何とも複雑な気持ちでした。
優しさか偽善か自分でも分からないところですが、「波長」という言葉で、なんか腑に落ちました。理屈ではないんですね。そうか…少し心が軽くなりました。音楽をされる方ならではのご意見ですね。ありがとうございます ^^
小説のような話に引き込まれてしまいました。
聖書の「やもめの寄付」のようなお話。
「受けるより与える方が幸福です」この言葉も思い出します。
私、きっとその場にいたら、ただ見る人だったと思います。
一人のホームレスに大金(日本円で百万円)をあげて、彼がどうするのかを追う
ドキュメント動画を見た事があります。
彼は、独り占めしないで、ホームレス仲間にお金を配っていました。
好奇心で見始めた自分の汚さを思い知らされました。( ; ; )
作者からの返信
ハナスさん、コメントありがとうございます ^^
小説のような本当の話です。ずっと頭に残っていて、どこかに記しておきたくて。
「やもめの寄付」の話をちょこっと見てみました。物理的な量じゃなくて気持ちの量、ということでしょうか。
アコーディオン弾きの出した硬貨は彼の気持ち全部だったでしょうね。
ほんと、僕はただ見る人でした。
何かを見せつけられたというか。
ドキュメント動画、ちょっと意地悪っぽい。でも好奇心で観てしまうのは分かります。こちらもやられた、という感覚がしそうですね。
色々全部自分に返ってくるんですね。
貴婦人は実はリアルじゃなくて、希薄になっていくこの世の中へ神が送り込んだスパイみたいなものだったのでは、と思っちゃいました。心を暴き、顧みる試験、と言うと大袈裟かもしれませんが…。
こういうの、とても考えてしまいますよね。施しを受ける側は今度はそれだけで生きていける様になるから有り難みを覚えず働かずに怠惰に生きる様になったり。でもあげた人を見たら、自分はなんてケチなんだとか周りは思ったり。
浮浪者達もこのコロナでどうしてるのだろうと思いました。人通りがなければお金は貰えませんよね。政府は最低限の生活を保証してくれてますから、どうにもならなければ日本では生活保護を受けることが出来るけど…僕も色々考えさせられました
作者からの返信
りくさんありがとうございます。
おお、そんな風に読んで頂けると掌編っぽさが増しますね。
あの白人の老女の衣装と、黒人(多分)のお洒落な格好にもシニカルなものを感じたのです。暗黙のヒエラルキーが逆転しているような。
実際メトロでお金をあげる人はほとんどいないです。フランスは弱者に比較的優しいと思いますけど、これも時代なのか、どんどんシビアになってくるような気がします。
あとホームレスのためのシェルターがあって寝たり食べたりできるんですが、いつもいっぱいだそうで…。
助けになることなのか、ただのその場しのぎなのか、これは施しを受ける側にかかっていますね。
あの老女もどうしただろうと思います。
与えない者の嫉妬。
余韻の残る物語ですね。
作者からの返信
おお、アメリッシュさん、目は大丈夫ですか? 読んで下さってありがとうございます!
余韻が残ると言ってもらえて嬉しいです。
あ、でも目はお大事になさってくださいね!
編集済
メトロの中のアコーディオン弾きと物乞い。どちらも日本では馴染みのないものですが。
昔一度だけパリを旅行した日の記憶を思い出すと、あのメトロのひんやり薄暗い空気の中に確かにありそうな光景として浮かびました。
>彼は自分が食うに困ってもポケットを空にする人なのではないか。
この一文が印象的ですね。
マスクで顔が隠れていたのも、なんだか象徴的です。本当にそんな人が実在したのか、いろんな点で証明しづらいというか。
夢のような現実のような、自分には真似できない、決して手が届かない、ちょっと不思議な出来事。
短い文章の中で描き出された空気感が見事です!
作者からの返信
陽澄さん、コメントありがとうございます!
パリに住んでいて自分が経験した中でもこれは特別な出来事でした。ここではアコーディオン弾きも物乞いも珍しいものではないですが、その二人が関わるところを見たのは初めてで。どちらも普通は求める側の人なので、アコーディオン弾きがお金をあげるなんてことも想像できなくて。なんか色んな意味でやられました。
二人の人種や出で立ちの違いも含めて、現実から遠いことが目の前で起きているような感覚でした。
この空気感、伝わるかなと思っていたので、感じ取ってもらえて嬉しいです!
柊さん、こんにちは。
今、「ジュールおじさん」を読んだばかり、そこには、「僕」が物乞いには100スーをあげるという理由が書いてありました。
このアコーディオン弾きには、どんな物語があるのでしょうかと思いました。
日本では見たことがないですが、私が住んでいるところではの電車の楽器弾きはよくいます。でも、たいていはバイォリン弾きで、アコーディオン弾きには出会ったことがありません。
アコーディオンといえば、シャンソンが似合いますよね。
パリにはアコーディオン弾きはメトロではよく見かける光景だと書いてありますね。でも、この彼はそういう施しを求めてやっているのではないのですよね。サングラスにハンチング帽、こういうおしゃれな三十代前半、なにか、酒場でアコーディオンを演奏している人のニオイがします。
ここカリフォルニアでは物乞いには人々はよくお金をあげますし、また身近なで、過分のチップをあげる人を知っています。
どうしてそんなにあげるのかと訊いたことがあります。彼は「貧乏な学生時代にレストランで働いていて、その時、たくさんチップをくれる人がいて、うれしかったから」と答えました。ここにも「ジュールおじさん」の「僕」がいました。
このアコーディオン奏者のストーリーはどんなのでしょうか。
でも、この男性のほうはわりと想像がしやすいですが、わからないのが黒いレースのひらひら貴婦人風のドレスを着た老女。こんな格好をしていたら、パリの名物物乞いおばさんになっているはずですが、そうではないようなので、いったい何者なのでしょうか。元女優ですか。
あの若者はこの女性の活躍していた頃を知っているのでしょうか。だから、「がんばって」と親指を立てたのでしょうか。
柊さん、
酒場のアコーディオン弾きと、元コメディ・フランセーズの女優の話、これを短篇にしてくださいませんか。このままにしておくのは惜しい素材です。
作者からの返信
こちらも読んで下さってありがとうございます。
地下鉄にいるアコーディオン弾きって、観光客向けに「バラ色の人生」とか「ベサメムーチョ」とかばっかり弾いてるんですが、この男は何を弾いていたか、思い出せません。まだみんなマスクをしている頃で、今とは違って乗客も陰気に内に籠った雰囲気でした。だから余計男の施しが鮮やかに見えました。なんだか舞台のワンシーンのように見えました。男があんなにポケットに小銭を貯めてるのも不自然で、この二人はグルではないかと一瞬思ったぐらいです。
チップをはずむお友達や、「ジュールおじさん」の主人公ではないですが、この男にも何か昔思うことがあったのかも知れません。
老女に関してはなんとも……でも女優のように感じられたのは僕も同じです。
自分はこの場面に遭遇しただけですが、なんというか、この場面だけですべてが完結しているようにも見えて……。もしも書くのなら一度この二人をまっさらにする必要がありそうです。