戦争用語の時代

 夜八時からだった夜間外出禁止令が夜六時からに繰り上げられた。スーパーやパン屋のような食料品店も夜六時に閉店する。仕事で六時以降に帰らなければならない人はどうするんだろうと思う。必要な措置とはいえ、この国のストレスがまた増加しそうな気がする。


 夜間外出禁止のことをフランス語ではクーヴル・フ(Couvre-Feu)という。直訳すれば「火を覆う」という意味である。


 もともとは中世に夜の消灯時間を教会の鐘やなんかで知らせたのが始まりで、暖炉やろうそくをつけっぱなしにすることで火災が起こるのを防ぐためだったという。街ぐるみで消灯時間を強制するようなものだ。

 それが戦争用語になったのは普仏戦争の頃。プロイセンの侵攻中、おもに女性と子どもに夜間の外出を禁じた。これは第二次大戦のドイツによる支配下でも同じだった。以来、クーヴル・フは火を消すという意味ではなく、身を守るための夜間外出禁止という意味に変わった。


 今コロナ禍で使われているのは戦争用語なのである。


 そういえば最初のロックダウンが始まる時、大統領演説で「我々は戦争下にある」という言葉が何度も繰り返された。そのぐらいの覚悟をしろ、という強い意味が込められていた。しかも相手は人間や国ではなく、目に見えないウィルスという敵である。この頃からフランスは戦禍に入っていたのだと今更のように思う。


 ロックダウンという言葉はフランスでは使われない。都市封鎖のことはコンフィヌマン(Confinement)という。これもちょっと特殊な言葉だ。実はこの措置が取られるまで僕は聞いたことがなかった。


 コンフィネという動詞は「封じ込める、閉じ込める」という意味である。もとはやはり戦争の言葉で、捕虜を閉じ込めるという意味だった。それが転じて後からは感染症の患者を隔離することを意味するようになる。

 でも今回のコンフィヌマンは感染していない者も含めての「封じ込め」だった。強制隔離という意味を持つこの言葉はどきりとする不気味なニュアンスがある。三月に初めてロックダウン政策が発表された時、大統領が一度もこの単語を発することなく演説を終えたのは、コンフィヌマンという響きが国民に与える精神的なショックを推し量っての工夫だったのだろう。(そのあとの首相の会見でははっきりとこの単語が使われていたけど。)


 「クーヴル・フ」に話を戻すと、戦時下の夜間外出禁止は夜の八時から朝の六時までが一般的だったようだ。これも現在の時間帯と重なる。戦争中にひっそりとをひそめる庶民の姿は、そのまま今の自分たちの姿だと思う。しかしさすがに夜の六時からと聞けば昔の人たちでさえ「それはちょっと……」と思ったのではないだろうか。今の見えない敵がいかに強いかを感じさせられる。

 二時間早まったことでどれほどの効果があるか分からないし、近いうちに三度目の都市封鎖の噂もある。いったい今どの政策が取られているのかごちゃごちゃになって分からなくなったりする。 


 都市封鎖、夜間外出禁止。どちらにせよこれまでの日常生活では耳にすることのなかったこういう物々しい単語が、今ではまるで日々の天気予報みたいに人々の口から出る。慣れとは怖いものだ。慣れは脱力感を生み、失望につながり、あきらめで終わる。ひとりひとりの慣れが社会全体の空気を作る。戦うのはもはやウィルス相手ではなく、自分の心を相手にすることになる。感染者数やワクチンの話で持ち切りになるニュースに隠れて、飲食店の経営者や学生が自殺する現実の方が、社会の本当のムードを表しているように思う。


 戦争を知らない現代っ子たちばかりの国が、この見えない敵との戦争にどれぐらい踏ん張れるのか。戦争用語の裏側で自分たちの本来の力が試されている気がする。

 それはウィルスに勝つ力や経済を取り戻す力よりもっと根源的な、生命力という、現代っ子の一番の弱点なのではないだろうか。



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