小さなチェロが歩く道
僕がたまに通る道のひとつに「音楽の鳴る道」がある。見かけはどうということのない普通の道だが、そこには界隈の一画を全部占めるほどの大きな建物が建っていて、音はそこから響いてくる。
その建物は国立音楽院(コンセルヴァトワール)だ。
といっても、「のだめ」に出てくるようなプロのための高等音楽院ではない。もうひとつ前の段階の、小学生から高校生までが通う、区のコンセルヴァトワールである。だから生徒も地元の子どもたちで、習い事のような感じで学校帰りに通っている。
調べてみたらパリにはこういう区の管理するコンセルヴァトワールが十七校あるという。ということはほとんど全部の区に一校ずつあるということ。やっぱり芸術の国だけあって教育機関も充実している。
コンセルヴァトワールのいいところはレッスン費だ。公立なので個人経営のレッスンを受けるより安い。しかも料金が一律ではなく、各家庭の収入に応じて金額が変わってくる(これは学校の給食費も同じ)。
要するにお金持ちの子どももそうでない子どもも関係なく、皆が一流の音楽教師による指導を受けられるということだ。
まあ、でもこれは表向きで、やはり楽器を買えるかどうか、そもそも音楽を学ばせることに興味があるか、親次第の部分は大きいだろう。それでも公共教育機関として間口が広げられているだけ、いいことだと思う。
道に面した沢山の窓からは、ありとあらゆる音が漏れ聞こえる。ひとつひとつのレッスン室から色とりどりの音が響いてくる。
高い声で鳥がさえずるようなフルートの音。ハスキーな声でリズミカルに話すようなサックスの音。風に乗って響くバイオリンの音はやっぱり華がある。流暢な音色はきっと上級生だろう。もしかしたら先生の模範演奏かも知れない。
そういうことを考えながらちょっとだけ立ち止まるのが楽しい。住宅街の地味な通りなのに、そこを通りかかった途端に道が明るく色づくような感じがする。
建物の前にはレッスンの終わった子どもを迎えに来る大人が待っている。ドアから出てくる生徒たちは、ミュージシャンから子どもに返る時みたいに緊張の解けた顔をしている。
ギターを抱えお父さんと肩を並べて帰って行く兄弟もいれば、フルートのケースを斜め掛けにした女の子が颯爽とキックスケーターで去って行ったり。
そんな中、建物から一人の男の子が元気よく飛び出してきた。小学校の低学年ぐらいに見える小柄なその子は、背中に黒い楽器ケースを背負っている。
大きさからしてチェロだなと分かった。
普通よりひとまわり小さい、子ども用サイズのチェロ。それでも男の子の身長にはまだ大きすぎるぐらいで、頭の後ろから楽器が突き出している。その後ろ姿はまるでチェロに足が生えているみたいでユーモラスだ。
親が迎えに来ていないのか、男の子は振り返りもせずに威勢よく歩きだした。重たそうな楽器を頑張って担ぐ背中は堂々としている。きっと彼は自分のチェロを誇らしく思っているのだろう。見ている方が元気をもらえそうな歩き方だった。
この小柄なチェリストはどんな音を出すのだろう。見た目通りのやんちゃな音だろうか。それとも意外と繊細な演奏をするのだろうか。
小学生とはいえ、れっきとした国立音楽院の生徒だ。この中から将来オペラ座やフィルハーモニーで演奏するミュージシャンが生まれても不思議じゃない。
小さなチェロが歩く道には、色んな音だけでなく、夢とか目標といったエネルギーも溢れているのだろう。窓からこぼれ出る様々な楽器の音がやかましくないのは、前向きに努力する音色が集まっているからかも知れない。
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