迷路の名残り

 華やかなシャンゼリゼもいいけれど、僕は対照的な古い路地の方が好きだ。


 建物と建物の間の細い通路。

 店の裏の狭い袋小路。


 そういう道には、表通りにはない静けさと佇まいがある。思わず入り込んで眺めたくなる魅力がある。



 パリが今のかたちになったのは十九世紀の後半。

 皇帝ナポレオン三世の命令で、当時の知事だったオスマン男爵がパリの街を一掃し、徹底的に造り変えた。いわゆるパリ改造だ。同じ高さで揃えた石造りの建物がずらっと並ぶ街並みや、一直線に伸びる大通りなんかはこの頃に造られたものである。だから今のパリは比較的「新しい街」と言ってもいいと思う。


 それ以前のパリは迷路のようなつくりだったらしい。でたらめに継ぎ足していった道は複雑に入り組み、いつまでも中世のようだったというから、さぞ暗くてゴチャゴチャしていただろう。そのおかげで革命のたびに民衆が身を隠すことも可能だったし、奇襲もバリケード戦も可能だった。オスマン知事はその迷路を壊すことで、革命を起こせなくしたのだ。


 でもそれまでの街を全部破壊したのかというとそうではなく、改造の区画からこぼれた通りが今でも残っている。それが冒頭に言った路地である。


 そういう道は見た目からして地味だ。気をつけていなければ通りすぎる。


 一年中日当たりが悪いのだろう、湿っぽい匂いがあたりに染みついていて、入ると温度がすうっと下がるように感じる。

 ひびの入った建物の石壁はところどころ削れ、表面は剥げて色がまだらに変わっている。すり減った石畳の道はボコボコとすき間だらけで、石と石の間には苔が生えている。


 道は両側から真ん中に向かって少しだけ傾斜していて、中央を浅い溝が走っている。これは飾りではなく当時の排水路だ。下水道のなかった時代はここへ汚水を流していた。


 昔はきっと強烈な悪臭があたりに漂っていただろう。そばをドブネズミが走り過ぎるのを箒で叩きながら、おかみさんたちが大声で世間話をしている。その周りを粗末な身なりの子どもたちが駆け回る。そんな情景が浮かんでくる。

 窓から汚物を投げ捨てていたというから、朝早くには頭上の窓からゴミが降ってきたかも知れない。街燈の明かりも乏しい時代、夜は泥棒や人殺しがはびこっていただろう。


 こういう道を見ていると、それぞれの時代を生きていた人々の匂いが、まだその地面や壁に染みついているような気がする。暗闇に紛れて恋人に会いに来る者もいただろうし、大喧嘩する夫婦の声が響いただろうし、道端で声を殺して泣いている者もいただろう。革命や疫病のたびに命を失う者もたくさんいただろう。


 今は人通りのほとんどない小さな道にも色んなドラマがあったのだと思うと、この存在感のない路地が渋い老人のように見えてくる。すり減りながら、ひび割れながら、この道はそんな光景を何百年と見守ってきたのだ。


 それはまるで社会の変遷を知っている生き証人のようなものだ。これこそ本当の文化遺産だ、なんて言うと大袈裟だろうか。


 表通りは移ろいやすい。時代の波や流行り廃りに否が応にも影響され、店も人も変わってゆく。シャンゼリゼは百年前のシャンゼリゼではない。

 でもこの路地は何百年と変わらずそこにある。そういうものにどこか安心感を覚える。


 昔の排水路など何の役にも立たない。だけど何でも新しく綺麗にしてしまえばいいとは思わない。この陽の当たらない道は迷路だったパリの大切な名残りだ。


 いかに古くても、この壁のままで、この石畳のままでいて欲しい。そして、これからも街と人々の生活を静かに見守っていて欲しいと思う。





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