応援コメント

燃え落ちるものと焼け残るもの」への応援コメント

  • ノートルダムが焼けたニュースはすごく衝撃的でした。
    >世の中は壊れものでしかできていない。
    まさにそう感じます。
    今、精力的に修復作業が行われていますね。
    焼けたことは悲しいですが、自分たちのシンボルを復活させるんだという、フランスの人々の誇りを見せてもらっているようで、修復後はより力強く美しい建物になるのではないかと思っています。

    作者からの返信

    この中継は思い出しても胸が詰まりますね。起こってしまったことは仕方がない、と思ってもやっぱり悲しかったです。壊れないものなんてないんだと思い知らされました。
    ノートルダムは物理的にも精神的にもパリの中心ですよね。時間がかかってもいいからしっかりと建て直して欲しいなと思います。

  • ノートルダム大聖堂の火災は、ニュースで見ました。
    かけがえのないものが炎に包まれて失われていくことの恐怖を感じました。
    実際に見たこともなく日本でニュースで知った私でさえショックでした。
    世界中の多くの人達が衝撃を受けたことでしょう。
    柊さんにとっては、まさに日常の景色の一部であるほど、身近なノートルダム大聖堂だったんですね。
    しかし、あれだけの大火災でしたが聖母がイエスを抱く像も、その後ろに立つ金色の十字架も残っていたんですね。
    そこが、何とも不思議で凄いことですね。
    修復作業は今も続いているのでしょうか?
    しっかり再建されることを祈ります。

    作者からの返信

    仰るとおりノートルダムのある風景は日常の一部であり、存在感の大きなもの、揺るぎないと思っていたものでした。それがこうして焼けていくのを生放送で見せられるというのは本当に残酷で、あの夜は悲しいというよりも、大聖堂が崩れ落ちてしまうんじゃないかと本気で怖くなったものです。
    この世に壊れないものなんてないとまざまざと見せつけられるようでした。
    十字架は廃墟の中に生き残った神聖なもの、強さの象徴みたいに見えました。
    今もずっと修復中で中には入れません。どれぐらいかかるか分かりませんが、時間はかかってもしっかりと再現してほしいですね。

  • 以前住んでいた家の裏が火事になった時のことを思い出しました。
    火の手、とはこのことかと初めて知りました。

    聖なるものって、なぜか傷つくことはないと思ってしまっていることがあります。
    でも、傷つかない保証など、この世の全てにないわけで。
    確かに、十字架だけ残ったと知ったら、信仰心のない人でも、何かを信じてしまいそうに思います。

    作者からの返信

    月花さん、コメントありがとうございます。
    家の裏とはおそろしく近いですね。実際の炎を目にしたら強烈に刻まれそうです。
    数ある教会でもこの大聖堂はやっぱり特別で、絶対に揺るぎないみたいな思い込みがありました。だからそれが覆されるのは余計ショックが大きかったです。でも同時に、残った十字架には理屈とは違うなにかがあるように感じました。聖域ってそういうものなんでしょうかね。

    お読みいただき、たくさんの星も頂戴してとても光栄です。励みになりました。ありがとうございますm(__)m

  • 柊圭介様

     ノートルダム大聖堂の火災は、やはりショックでした。自分が訪れたところでもあり、深い信仰や街の人々に愛されているから、そんな悲劇は起きないと無意識に思い込んでいたのですよね。でも、おっしゃる通り確かな物などこの世には無いのでしょうね。
     私の中で教会は、『繋げていく思い』と言うイメージが強くて。ノートルダム大聖堂に限らず、多くの人が関わって長い年月をかけて建てて維持してきたと思うんです。だから今回のようなことも、過去にたくさん起こっていて、でも人はあきらめずに再建する。その繰り返しなんだろうなと。
     炎が美しいのは再生を促すモノでもあるからかななんてことも思ってしまいました。例えば焼き畑の意味は新たな芽を芽吹かせるためですものね。今はだんだん危険な行為になってしまって、山火事の原因になってしまっていますが(;´・ω・)
     すみません。とりとめもなく思いついたことを書いてしまいました。
     

  • ノートルダムの大火事はショッキングでしたね。日本に住んでいるどこの馬の骨ともわからない私でさえ軽くショックを受けたのですから、パリ市民たちにとってはどれだけ衝撃的だったかと推察します。

    十字架だけが無傷で残ったという話も、科学者が「奇跡でも何でもない」としたり顔で語っていましたが、私は何かしら見えないモノの力が働いた部分もあったのではないかと思っています。

    作者からの返信

    そうですね、どうしようもない火災を生中継で見せられるって、残酷ですよね…
    自分もキリスト教じゃないですが、十字架のことはグッときました。理屈で説明されても、どこかそうでないものの力が働いたように感じてしまいます。ノートルダムはそういう場所なんだと思わされますね。

  • あの時いらっしゃったのですね。
    絶望的な美しさ、私がそれを最初に感じたのは阪神大震災の時でした(歳がバレる)。

    作者からの返信

    阪神大震災の時は僕も日本にいました。ニュースでしか見ていませんが、凄まじかったですね。焼けるって、恐ろしさの中に美しさがあって不思議です。とはいえ、起きないにこしたことはないですが…。

  • 印象的で心がひりつくニュースでした。
    「世の中は壊れものでしかできていない」ってほんとそのように思ってしまいますが、焼け残ったのがより象徴的なものだったからこそ、余計に神秘的ですね。
    柊さんが夜空に見た赤も、もしかしたら想いの猛りのような、何かの象徴だったのだろうか、などと感じてしまいました。

    作者からの返信

    このニュースは本当にショックでした。
    火災の生中継なんて見るものじゃないですね。信じたくない気持ちと同時に、壊れないものなどないと思い知らされました。
    だから十字架が残っていたのはとても象徴的に感じました。
    個人的には宗教というより、あの建物が単純に好きだったので、時間がかかっても元の姿にして欲しいですね。

  • もうすぐあれから2年になるのですね。衝撃的なニュースでした。そして、十字架とマリア像が残ったことも違う意味で衝撃でした。神の存在が普段は見えないのに見えた瞬間というか・・・。
    では、それならば、火事で他の部分が焼け落ちた意味は、どこにあるのか。神のなさる技は時に難しい。

    2年近くなり再建は進んでいるのでしょうか?

    作者からの返信

    そうですね、初稿が一年ほど前ですから、もう二年近くになるんですね…。十字架の写真には本当に象徴的なものを感じました。わざとじゃないかというぐらいきれいに残っていて。だとしたら焼けた意味は何だったんでしょうね。
    今も工事中です。もろい建物だから作業も神経を使うようですね。ゆっくりでも着実に元の姿になってくれたらと思います。

  • はじめまして、日本でも最近では首里城正殿、古くは金閣寺や法隆寺の文化財が燃えてます。

    それらは、すべて再建されました。首里城正殿も再建に動き出しています。

    建物はなくなっても、その建物に対する信仰心、もしくは誇りこそが、不滅であるのかもしれません。
    焼け残った法隆寺金堂壁画の前で、手を合わせている僧侶の写真があるのですが、目にみえないはずの信仰を見たような気がしました。

    作者からの返信

    澄田さんはじめまして。お読み下さり、コメントをありがとうございます。
    そうですか、日本は特に木造建築がほとんどですよね。火災は天敵だと思います。元通りの姿になったのかしら。首里城も早く修復されて欲しいですね。
    僕は全くカトリックではないのですが、ノートルダムという建物は信仰を越えた存在だったと思います。街のシンボルというか、母というか。なので誰しもがショックを受けたんじゃないでしょうか。
    形のあるものは焼けてしまいますが、仰る通り心の中のものはちゃんと残ってくれますね。一番大事なのはきっとそこでしょうね。

  • 焼けてしまう前にいちど訪れてみたかったです。
    が、過ぎたことを嘆いても仕方ないので、コロナが収束したらぜひ訪れたいですね。

    作者からの返信

    そうなんですよね、起こってしまったことは悔やんでも仕方ないです。
    時間がかかりそうですが、いつか元通りになってお目見えして欲しいですね。

  • 信仰心のまるでない私ですが、あのステンドグラスを見上げたときは、ほう、と声をあげてしまったものです。
    宗教とはなかなか難しいものですが。あの建造物に関しては、再建されるといいなと感じます。

    作者からの返信

    呪文堂さんコメントありがとうございます。
    あの建物は訪れる人を感動させると思います。それは宗教とはまた別の、創作物に対する感動なんでしょうね。
    今は工事現場状態ですが、いつかまた中に入れる日が来るといいですね。

  • ノートルダム大聖堂の火災、あの事件はショックでした。
    大きな歴史の一部分が消え去ったような消失感に襲われ……声楽の先生と二人で涙しました。
    あのとき、歌われていた聖歌アヴェ・マリア、今も耳に蘇ります。
    再建されるとのこと、新しい時代の幕開けとそう心に刻みます。^-^

    作者からの返信

    あのテレビ中継のことは思い出しても胸が痛くなります。
    よりによってノートルダムが…と言いようのない気持ちになりました。みんな泣いていましたね。
    少しずつですが再建中です。今はファサードも見られます。時間がかかってもいいからしっかりと治してあげて欲しいですね。


  • 編集済

    私もですが日本人はパリが好きですからね、テレビで何度も流されていました
    涙した人も多いと思います

    私はあの映像で宗教の時代の終焉の始まりだと感じてしまいました
    大変不謹慎ですいませんが、これからは個人の信仰の時代だと

    コロナウィルスで宗教とは現世には役に立たず、医療関係者や科学的根拠だけが人類を今までも救ってきたし、これからも救うと証明された気がします
    来世にご利益を得られると嘘ぶくことで金集めをしているようにしか見えない宗教に未来はあるやなしや、です

    ちなみに現ローマ法王様のお言葉はとても暖かくて好きです


    カナリヤ


    追伸
    実は法王の名言ツイッターがありまして、一時期それを熱心に読んでいました
    とてもフランクで温かい、相手を受け止めるようなお人柄の印象を受け、勝手に感銘を受けております
    一番好きな言葉は、↓

    『信頼できる友人は堅固なシェルター(避難所)である。見つけた人は宝を見つけたようなものである』

    です
    神ではなく信頼できる友人の方がこの現世で心身ともに健康に生きるには大事だと暗に伝えている気がします

    作者からの返信

    自分は宗教のことは詳しくありませんが、建物の存在自体がパリの住民にとっては母のようなものだったと思います。だからこそ、それが焼ける光景がものすごい喪失感でした。尖塔が崩れる瞬間はちょっとトラウマになります。

    再建のために寄付を募ったところかなりの金額になったようですね。
    それに対しての批判もあったり。
    でも僕は単純に建築物として元の姿に戻してあげて欲しいと思ってしまいます。

    フランソワ法王はどんな方なんでしょう。今の時代に法王を務めるのは簡単なことではなさそうですね。

  • あの火事は本当に衝撃で日本で映像をみていても、世紀末のような気分になったものです。

    それから、こちらから申し訳ございません。

    すばらしいレビューを明智に書いていただいて、本当に嬉しく、もうびっくりいたしました。この素晴らしいエッセイを書かれる方だからこそ、うれしくて。

    実は昨日、エッセイを書いておりまして、今日、公開する予定ですが、そちらに、このエッセイの紹介文を書いております。あとになって申し訳ございません。
    もし、ご不快でしたらお伝えください。そうそうに消しますので。

    作者からの返信

    アメリッシュさん、コメントありがとうございます。世紀末のような気分、確かにそうですね。教会というのが特に。

    レビュー受け取ってくださりこちらこそありがとうございます。本当に面白かったです。続編も楽しみに読ませて頂きます。
    それからこのエッセイをご紹介いただけるなんて嬉しい!不快なんてとんでもないですよ。光栄です!
    のちほどまた伺いますね。いつもお付き合い下さって、本当にありがとうございます。

  • こんにちは。
    ノートルダム大聖堂の火災は、いたましい事件でしたね。
    数年前に家族で訪れて蝋燭に火を灯したのが、夢のように感じます。
    「この世は失われるものばかりだ」
    だからこそ人は永遠に憧れるのかもしれませんね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ご家族で旅行されたんですね。実物は焼けても、思い出は残りますね。
    壊れないものなどないと目の前で改めて見せつけられたような感じでした。
    モノだけでなく、人も、何でもそうですね。だから永遠に憧れるんでしょうか。ないものねだりとそれでも信じたいという希望の両方が混ざってる気がします。

  • このニュース、私も強く印象に残っています。大学の卒業旅行でパリに行って、なんて美しく立派な大聖堂だろうと感銘を受けたものです。
    それを焼く炎の「絶望的な美しさ」。分かる気がします。何かが失われていく時の感情の波とも相まって、記憶に焼き付いてしまいますよね。
    残った十字架が象徴的に思えます。そこに希望を見出す心こそが、未来に進む力を生むような気もします。

    作者からの返信

    陽澄さん、コメントありがとうございます。
    衝撃でしたね。実物を御覧になったことがあると余計にリアルに感じられたのではないでしょうか。
    絶対的だと思っていたものが壊れていく様は何とも言えない気持ちになりますね。その光景が美しいとなおさら、残酷に見えるのかも知れません。
    十字架は最後に残った希望の象徴ですね。時間はかかるでしょうが、ゆっくり建ち直ってほしいと思います。