バゲットの味

 バゲットはフランス語で「棒」という意味だ。魔法使いが持っている杖は「バゲット・マジック」という。それから箸のこともバゲットと呼ぶ。

 すごく古くからあるパンみたいに思えるけど、実は広まったのは二十世紀の初め頃らしい。今じゃこれを取り上げられたら生きて行けないってぐらい暮らしに必要不可欠なパンだ。ちなみにお値段は一本1ユーロぐらい。


 個人的な好みもあるけど、僕はどっちかと言うと外側がよく焼けてるのがいい。きつね色より少し濃いぐらい。パン屋さんに行くと、自分の好みを注文している人がいる。「あまり焼きすぎないものを」とか、「よく焼きを」とか。


 「よく焼き」はかなり外側が硬いので、食べる時気をつけないと口の中に刺さる。これは冗談じゃなくて本当の話。表面に切込みが入って割れているところと底の部分は特に硬いから、口蓋に刺さると本気で痛いのだ。だけど、きつね色の足りないバゲットは生焼けっぽく感じてどうも好きになれない。だから僕は危険を冒して硬いバゲットを食べる。そしてたまに流血する。

 

 たまたま焼きたてに出会うとものすごく得したような気になる。紙袋ごしでも熱くて持てないほどの焼きたてが一番嬉しい。天ぷらは揚げたあと三十秒以内に食べなければならないという話を聞いたことがあるけど(本当かは知らないけど)、それに近い感じがする。一分一秒も冷めるのが惜しいのだ。


 そういう時はどうなるかと言うと、おなじみの光景。

 店を出た途端、バゲットの端っこをちぎって食べる。かぶりついてもいい。


 行儀が悪いかも知れないけど、これはパン屋へお使いに出た者の特権である。こんないい匂いをさせるものを腕に抱えておいて、誘惑に抗えるはずがない。

 カリカリの端っこをちぎると、そこからふわっと湯気が立つ。口の中に香ばしい小麦粉の味が広がる。つまみ食いが一番うまいのはどんな食べ物でもやっぱり同じだ。

 鼻の先をバゲットにくっつけて温かい匂いを嗅ぎながら急ぎ足で家に帰る。冷めてしまう前に、早く。


 パリジャンという名前のサンドイッチは、バゲットにバターを塗ってハムを挟んだだけの一番シンプルなサンドイッチだ。色んな具材が追加されたものよりも、このサンドイッチが材料の美味さを全部引き出すと思う。バターはもちろん塩が入っているやつでお願いします。


 だけど焼きたてのバゲットに関して言えば、もはやハムも要らない。塩入りのバターを塗ればそれだけでご馳走だ。適当な大きさにちぎったバゲットを手で割いて開く。ナイフで薄く切ったバターをまだ温かいパンの上に乗せると勝手にじわっと溶けていく。そうすると小麦粉とバターの匂いが混ざって香ばしさが増す。バゲットとバターはほとんど恋人同士的に相性がいいのだ。


 ちなみに中身のふわふわは、ほじくり出して食べない人もいる。出来のいいバゲットは中身が詰まっておらず空洞が多い。バゲットの醍醐味は外側だからだ。


 じゃあ、そのふわふわの部分はどうするかと言うと……食事の後、口ひげを拭くために使うんだそうだ。


 本当かどうか、残念ながらまだ実例は見たことがない。





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