八時には窓を開けて

 今フランス全土では外出制限措置が取られている。食料品の買い出し、犬の散歩、体を動かすためのジョギングは認められているが、全て住んでいる界隈に限られる。外出には政府の発行した証明書に記入し、住所や用件まで書き込まなければならない。

 メトロの運行数は今までの半分になっている。しかも乗っていいのは仕事先から発行された公的な証明書を持った人間だけ。

 

 これ以上書き連ねてもしようがないので割愛するが、なかなかに閉塞感のある生活だ。人生でこんな経験をすることもそうはないだろう。


 一人で暮らしている人間は電話やネット以外話し相手がいなくなる。家族で住んでいる人間は喧嘩のないようお互いを気遣わなければならない。いくら話し相手がいるとはいえ、同じ屋根の下に四六時中顔を突き合わせているのはやはりストレスだし、募るだけの苛立ちをぶつける格好の相手になってしまうからだ。それでは悪い方向にしか進まない。長引きそうなこの暮らしで一体どこに心の逃がし場所があるのだろう。


 そんなことを考えていた矢先のことだ。


 ある晩、いきなり近所の窓から雄叫びが聞こえ始めた。それも一軒ではなく、窓という窓から。まるで勝利の歓声のような、歓喜に満ちた叫び声だ。サッカーの試合でもやっててフランスチームが得点でも入れたのかと思ったけど、そんなはずはない。


 理由はすぐに分かった。誰かがネット上で午後八時にみんな窓を開けて叫ぼうと呼びかけたのだ。医療に従事している人たちを応援するため、窓から彼らに向けて声援を送ろうというのだ。

 確かにものすごいスピードで病気が蔓延したため、看護師などの医療関係者は疲弊しているとニュースでも言っている。ベッドも人材も不足している中で働き続けることの、精神的なそして肉体的な負担は、生半可な想像では足りないだろう。


 そのアイデアはあっという間に広がったらしい。

 みな午後八時に窓辺やバルコニーに集まり、盛大な歓声を上げる。ブラボー! という声も聞こえるし、我々は生きている! という声も聞こえる。それは明るくって、力に満ちていて、前向きな怒鳴り声だ。やけくそになって叫ぶのとは違う。


 きっとこれがラテン人の美徳なのかな。こういう状態だとすぐ塞ぎこんでしまいそうなものだけど、彼らはどんな時でも新しい発想を生み出し、行動に移す。ずっと家の中に居ては大きな声を出すこともないだろう。だから、一日に一回だけ、こうやって大声で叫ぶことは、きっと体にもいいに違いない。



 そう言えばイタリアではみんな窓辺で国歌を歌っているらしい。やっぱりラテン人だ。イタリア国歌は愛し合おうとか団結しようとかそういう前向きな歌詞だそうだから、この状況にあってふさわしい歌だ。


 そうなるとフランスはマルセイエーズ…?

 いや、これは歌わないだろうな。

 

 ちなみに僕は…こういうとき恥ずかしくて大声が出せないタイプだ。一度勇気を出して叫んでみたいけど…。


(2020年3月)



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