とあるスパイの活動報告

U・B~ユービィ~

スパイ

私は某国のスパイだ。

大学卒業と同時にこの世界に入った

もう二十年になる。


そして先日、日本の支局に異動となった。初めての日本だ。


今日はそんな日本での記念すべき初任務、「身辺調査」に臨む。

尾行をするのは、とある対象者の息子。

彼は現在大学三年生。息子を示すコードネームは「同調圧力」だ。


朝八時。「同調圧力」は濃紺のスーツ姿で出掛けた。

個性のない顔に、個性のない髪型、個性のないスーツ。

あれが「リクルートスーツ」ってヤツか?

私は、怪訝な顔をしながら尾行する。


十分ほど歩くと駅のホームに着いた。

「同調圧力」は新宿行の急行電車に乗る。

私も見失わないように同じ車両に乗り込む。

待ち構えていたのは満員の電車。

しまった…これが日本名物「通勤ラッシュ地獄」か。


私は、人込みを縫うようにして、車両の中ほどになんとかたどり着いた。

見渡す限り、濃紺や黒のスーツ姿だらけ。

おまけに全員白いマスクを着けているので、誰が誰だがわからない。


(「同調圧力」はどこにいる…)

探してみるも、みな「同調圧力」に見える。

同じような顔に、同じような髪型、同じようなスーツ。

これが「就活スタイル」というやつか…狂ってる。


(くそ…「同調圧力」はどこだ。本当にわからん)

四方八方から圧迫感がある。首筋を誰かの吐息が撫でる。

(気持ち悪い…)

身体の向きを変えようとしても、全く身動きが取れない。

(た…たすけてぇ)


その時、電車は徐々に速度を落とし始め、やがて駅に停まった。

(助かった…人が降りて、少しはスペースが空くはずだ)

電車のドアが開いた。

降りたのは数人だった。

(なんだと…)

次の瞬間、スーツの波が押し寄せてきた。


(…やめろぉぉぉぉ)

スーツの波に飲み込まれて、意識を失った。



電車同士がすれ違う時に発生する風圧の音で、私は目を覚ました。

腕時計を確認する。二十分ほど意識を失っていたようだ。

周囲をキョロキョロと見渡す。

座席は埋まっているが、立っている乗客はまばらだ。


(どこだ…「同調圧力」はどこだ!!)

視界に入ってくるのは、相変わらず白マスク姿のスーツを着た人間だけ。

「着せ替えマネキン」がスーツを着ているように見える。


正直、どれが「同調圧力」かわからない。

そもそも、この中に「同調圧力」がいるのかもわからない。

見えているようで見えていない、そんなもどかしい気持ちになる。


尾行失敗凡ミス

最悪の事態が頭をよぎる。

(ちくしょう!! )


抜きん出る事を良しとせず、個性は殺せ。

『出る杭を打って打って…打ちまくれっ!!』、つまりそういう事。


(さすが「不思議の国、日本」)

私は、呆れと驚き、恐怖が混ざった称賛の声をあげる。


恐ろしい。二十一世紀になってそれなりの時間が経っているのに、

未だに「個性」をないがしろにしている。恐ろしい。


無個性を大量生産大量消費する時代はとっくに終わっている。

一方的に押し付けられてきた「みんなの生活スタイル」を、

もう誰も求めていない。


「他の誰かになんかなりたくない、自分は自分」

今の時代、みんなが本当に求めているのは「個性」だ。



それなのに、何かの集団に所属したとたん、

人々は「個性」への欲求に目を逸らす。

そして「個性」をあたかも「醜いもの」のように捉え、殺してしまう。

本当に殺すべきなのは、醜い「没個性」なのに。


「みんなと違うのが不安」

そんな考えが頭をよぎったら、

「同調圧力」に支配されるのは時間の問題だ。


脳内は思考停止に陥り、

「罪悪感」や「羞恥心」などの負の感情に蝕まれる。


そのなれの果てが、「みんなと同じだから安心」だ。


「みんなと同じ」

たった一度の人生がそんなので楽しいのか?



我々は一人一人違っているのが当たり前なんだ。

誰かが出来るからといって、あなたも出来るとは限らない。

ただそれだけ。

あなたが出来るからといって、他の誰かが出来るとは限らない。

ただそれだけ。


「個性」に良いも悪いもないんだ。


それなのになぜあなた達はスパイでもないのに個性を殺しているんだ?

私はいつまで自分を殺し続ければいいんだ…




次の駅で私は電車を降りた。

そしてホームに設置されているベンチに腰掛ける。


反面教師とでもいうんだろうか。

今日、私は「個性が瀕死の日本社会」を垣間見て、

自分が密かに抱えていた感情に正面から向き合えた。


「ありのままの自分で生きたい」という願望。

他の誰でもない「自分の人生」を送りたい、

そんな「スパイとして許されざる感情」に気づいてしまった。


スパイの世界では「個性は必要ない」、そう教えられる。


だが、スパイも人間だ。個性を殺し続けるのは正直しんどかった。

(いったい自分は何者なのか…)

夜中に目が覚めては、鏡の中の自分に何度も問いかけてきた。

その度に嘘で塗り固められたもう一人の自分を無理やり重ねた。


深呼吸を何度かする。身体が軽くなった。

私は、ようやく自分の感情を素直に受け入れたようだ。


すぐさま上司に電話を掛けた。

「今日でやめる!!これ以上自分を偽るのは耐えられない!!」




私は、実は教師になりたかった。

本当の自分を取り戻すため、夢だった教師の道を目指そうと思う。

そして生徒たちに「自分らしく生きられる事の素晴らしさ」を伝えるつもりだ。


最後に、あなたが「自分らしく」人生を歩める事を心から願っている。



報告終了

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