満天の星

 穏やかな夜の闇の中を、懐かしい旋律がそっとシーラの近くにもやってきて、シーラはそれを注意深く手繰り寄せるように耳を傾けた。けれども聞いているうちに少し恥ずかしい気持ちになってきた。


「あの……」シーラはルチアに言いづらそうに言った。「踊りはともかく、唄はあまり上手くないようですわね。その……歌詞はところどころ間違えてますし、音も多少外れていますし……」


「そうなの? でも、美しいわ」


 ルチアは言った。ルチアの目が気持ちよさそうに細くなり、ユンのつたない唄を楽しんでいるのがわかった。


 ルチアはユンの方を見ながら言った。

「私はずっと竜に憧れていたの。でもお城の中でばかり過ごしていたから、実際に竜に会う機会なんてほとんどなかった。だから、嬉しいの。あなたたちと知り合えて。シーラに、ユンに、それからあなたたちの勇敢なお母さまに」


 夜の風が、一匹と一人の間をそっと通り抜けた。秋の夜で、風はいくぶん冷たかったが、ルチアは気にしていないようだった。


 ルチアは続けた。


「竜って美しいのね。あなたがた三人とも美しい。でもね、シーラ」


 そう言って、ルチアはシーラを見上げた。照れたような表情をして、そっと優しく、シーラにささやいた。


「――でも、あなたが一番、綺麗だわ」




――――




 その後、ルチアといくらか話をした後、ベルが現れた。もう遅くなったので帰りましょう、と言う。そして人間たちに見送られ、ベルとシーラは城を後にした。


 ユンは残していくことにした。帰りたがるそぶりを見せなかったからだ。そこで、ベルとシーラ、二匹で山のすみかを目指して飛んだ。


 頭上には星空が広がっていた。うるさいくらいの多くの星が光っていた。空気はきりりと冷え、澄み渡っていた。その中を、シーラはぼんやりと考え事をしながら飛んだ。


 城内では大人しかったベルが、不満を爆発させている。さっきからひっきりなしにシーラに語りかけていた。


「それにしても、本当にひどい目にあったわね! 人間たちと関わると本当にろくなことがない……。それにやっぱり、竜たちに対して陰謀を企んでいたじゃないの! 思った通りよ。でもユンが無事だったのはよかったけれど。でもユンもひどいものね、酒など飲まされてすっかり酔ってしまっているじゃないの。ああ、恥ずかしい……」


 ベルは顔をしかめた。興奮で尻尾が揺れている。


「人間たちの説明、どう思った? 悪い魔術師がいたみたいだけど、全部その魔術師一人に責任を押し付けようとしているみたいだったわね。まあ人間のやりそうなことですよ。行方不明者が一人出たので、全部彼のせいにしてしまえばよいと思ったのね。かわいそうなことね。私はその悪い魔術師とやらに同情しますよ」


 ベルの声の調子が少ししんみりとする。けれどもまた、強い口ぶりで話し始めた。


「そしてあの影とやらも! 本当に気持ち悪かったわねえ。油断してると噛みつこうとするのよ。まったくいやらしいったらありゃあしない。でも私はちゃんとわかってましたよ。あれが雑魚にすぎない、って。だから雑魚たちをやっつければ黒幕が出てくるんじゃないかと頑張ったのだけど、くたびれるばかりだったわ……」


 二匹の身体の下に広がる森や畑が、みるみると後方へ流れていく。ベルの話はまだ終わらない。


「攻撃するとたちまち隠れてしまうし。と思ったら、変なところから急に現れるし。いっそのこと、城の建物ごと焼いてしまえば楽だったのよ。でもそれはできなかったわね。後々、問題になるかもしれないし、それに――」


 ベルはいったん言葉を切って、ため息をついた。


「それに、私の優しさのせいもあるのだわ。人間に対しての情けというものが邪魔をしたのね。人間に情けなんていらないのにね。でも私の心には良心と博愛というものがあって――これがきっと私の弱点なのよ。……ところでシーラ、ずいぶんと大人しいのね。どうかしたの?」


 シーラははっとした。ベルの言葉はほとんど耳に入っていなかった。シーラは機械的に答えた。


「疲れたのですわ、お母さま」

「そうでしょうね。私も疲れましたよ。それにあなたはかよわいから! あなたには気の毒なことでしたよ。早く帰って、しっかり休みましょうね」


 疲れてはいた。けれどもシーラを心ここにあらずな状態にさせているのは、それだけではなかった。ルチアの言葉がずっと残っているのだ。


 ルチアはその後、竜について詳しく教えてほしいと言った。竜はどんな生き物でどういう生活をしているのか。シーラも人間について教えてほしいと言った。お互いに自分たちのことを語り合うのは楽しい時間で、ベルが来なければ、シーラは一晩でもそうしていたかった。


 心が温かく、何か酔ったように弾んでいた。シーラは叫びたいような、うたいたいような、踊り出したいような、不思議な気分になっていた。ユンのようにくるりと宙返りをしたかった。けれどもそれができないことはよくわかっていた。シーラには何故かできないのだ。ユンもリーもなんなくこなせることなのに。子どもの頃はそれが悲しくもあり、けれども小さな白い竜は飛ぶのが下手だから、仕方ない、とも思った。


 今夜もシーラは宙返りはしなかった。無理だとわかってることはしないのだ。しなかったけれども、ただ、白い小さな竜であることが、それほど嫌なことではなくなっていた。

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