塔にあったもの

「ユン、俺は塔に行きたいんだ」


 また真面目な顔に戻って、ゲオルクが言った。


「グレンが――昨日、家を訪ねただろう? あの魔術師のところに再び行って、今度は会えたんだ。でも――」


 ゲオルクは言葉を切った。何かをためらっているようだ。言うべきことを探しているように見える。けれどもゲオルクは多くを説明しないことを選んだようだった。


「――ともかく、グレンが塔に行け、と言ったんだ。城内の、あの古い塔へ。だから俺は行かなければならない」

「俺も行くよ!」


 ユンが言った。ゲオルクが嬉しそうな笑みになり、


「そうか、では一緒に行こう」


 一匹と一人はたちまち行動を開始し、塔へと向かった。ところどころで、影を退治している騎士や兵士たちが見える。グレンという魔術師は、何故そんなことを言ったのだろう、とユンは不思議に思った。ゲオルクが言わなかった箇所にその答えがあるのだろうか。何故、ゲオルクは言葉を濁したのだろう。聞きたいことは山ほどあったが、後にしたほうがよいのかもしれない、とユンは思い、ただ黙って空を飛んだ。


 しかし、塔に近づくにつれて、ユンは身体の不調を感じ始めた。うろこの上を何かが這っているようだ。ちりちりとした感触があり、ユンは、以前のことを思い出した。塔に近づいて、竜の姿が保っていられなくなり、城内に落ちたときのことだ。あのときと同じ感触がする。


 ユンは止まった。これ以上近づくのは無理だった。確実に竜の姿でいられなくなる。ゲオルクも止まった。


「どうしたんだ、ユン」

「ゲオルク……近づけないよ。これ以上近づくと、人間の姿になる」

「そうか……。おそらく、塔のせいだな」


 ゲオルクは塔を見やった。そしてユンに視線を戻すと、言った。


「おまえはここで待っていろ。俺一人が行く」

「でも!」

「大丈夫だ! 心配するなよ!」


 ユンが何かを言い出す前に、ゲオルクは駆けだした。ユンはどうすればよいかわからず、ただ上空に留まるばかりだった。




――――




 ゲオルクは駆けた。塔まではそう遠くない。扉に手をかけると幸いなことに鍵はかかっていなかった。ゲオルクは乱暴に扉を開けた。


 湿った空気と暗さが、たちまちゲオルクを包んだ。ゲオルクは猛然と階段を上っていった。前に来たときはあまり気にしていなかったが、この塔は古いわりには蜘蛛の巣などが少ない。やはり誰かが使っていたのだ、とゲオルクは思った。誰か。グレンと――その仲間が。


 らせん階段をひたすら上っていく。その先に何があるんだ、とちらりとゲオルクは思った。グレンは何故塔に行けと言ったのだろう。そこで――何が待っているのだろう。


 罠か? という思いが、ゲオルクの胸中に湧き上がった。グレンが俺を罠にかけようとしているのだろうか。でも本当にそうだろうか。この考えは何故かゲオルクの腑に落ちなかった。確かに一度、俺はグレンの罠にかかっている。けれどもあれは俺を想定したものではなく、あのような事態になったのは不慮の事故のようなものだ。グレンが俺を、積極的に罠にかけるだろうか。


 俺はグレンを信用しているのだろうか。俺は人がいいのだろうか。でもそうではなくて――ただ、俺の中の何かが違うと言っているのだ。グレンが俺を罠にはめるようなことは、しない、と。


 部屋にたどり着いた。小さな窓から、夕暮れの、その日の最後の光が、弱々しく入り込んでいた。ゲオルクは部屋を見渡し、すぐにそれを見つけた。光っていたからだ。今度は見逃すはずがない。


 部屋のすみに、ほのかな光があった。白いそれは、グレンの身に絡みついていたものを彷彿とさせた。光の中心にあるものは石だ。白い石。何かの生き物の骨のようにも見える。グレンが持っていたものと同種のものだろう、とゲオルクは思った。


 ゲオルクはそれに近づいた。剣をはらう。何をすればよいのか、はっきりとわかっているわけではなかった。けれども衝動があり、これをなんとかしなければならないのだ、それが、グレンが俺に託したことなのだろう、という思いが心を支配していた。


 ゲオルクは白い石に思い切り剣を突き立てた。


 衝撃が、ゲオルクの身を突き飛ばした。後方に吹き飛び、壁が背に当たり、しりもちをつくように倒れた。目の端に何かが見えた。黒い固まりだ。それは一つの巨大な固まりに見えたが、けれども実際は小さなものが集ってできているのだった。影たちだ。影たちが四方八方から恐ろしい速さで集まってくる。そして、あの白い石に音一つなく、吸い込まれていくのだった。


 その光景を茫然と眺め、いつしかゲオルクは意識を失っていた。




――――




 どこかから、誰かが、自分を呼ぶ声がする。ゲオルクはうっすらと目を開けた。薄暗い塔の一室がそこにあった。声は窓からするのだった。声とともに、翼の音も。


「ゲオルク! ゲオルク!」


 窓の向こうから誰かが熱心に呼びかけていた。見なくてもよくわかった。ユンだ。ゲオルクは立ち上がり、窓の側まで言った。外を見ると、暮れ方のオレンジと青の空を背景に、ユンが翼を動かしていた。


「ゲオルク! 無事だったか!」


 ほっとしたようにユンが言った。「身体の違和感が消えたから、塔まで近づけるようになったんだよ。それに影たちもいなくなった。みんなこの塔のほうに行ってしまったんだ。何があったんだ?」


「それは……俺もわからない」


 とりあえず、夢中でとった行動は、悪いものではなかったようだ。ゲオルクは振り返って、室内を見回した。白い石はすでにない。影たちもいないようだ。


 窓の外からユンが言った。


「結局、どういうことだったんだ? グレンとか言う名前だったかな、あの魔術師。あの魔術師は何者だったんだ?」

「何者……」


 聞かれても、ゲオルクには答えられなかった。彼がやったことはなんとなくわかっている。けれどもグレンを、どういう人物だと、どういう存在だと見てよいのかそこのところの答えが出てこない。

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