小さな白い竜

「でも……城のものが……。お父さまやお母さま、お兄さまやお姉さまたちも……」

「そちらは私たちにお任せください。城にいる騎士と兵士が、必ずご家族をお守りいたします」

「――わかったわ。頼んだわよ、ゲオルク。ゲオルクなら大丈夫でしょうけど」


 ルチアの表情から迷いの色が消えた。しっかりとゲオルクを見つめると気丈に言った。ゲオルクもまた安心させるように、強くルチアを見返した。




――――




 ゲオルクと町の外で別れたあと、ユンは迷っていた。これからどうするべきか。山のすみかに戻ろうか。しかし、ゲオルクのその後が気になる。自分たちがどうして遠い場所に飛ばされてしまったのか、その理由も気になる。ゲオルクの知り合いの魔術師は一体何者なのか、それも気になる。


 迷いに迷って、ユンが最初にやったことは、まず食べることだった。昨夜から空腹で、ずっとそれを我慢していたのだ。はらぺこにもほどがあり、もはや限界に近い。腹が減っていては何もできないよ、とユンは、さっそく森へと向かった。


 そこで獲物をたいらげ、人心地ついて、ユンはこれからの行動を再び考えた。そして、ロイのところへ行こう、と結論を出した。ひょっとしたら魔術師との対面の後、ゲオルクがユンに会いにロイのところへ来るかもしれない。ただ、竜の姿で行くわけにはいかない。ユンはまたナラを頼ることにした。


 ロイの家につくころには、もう太陽がだいぶ傾いていた。夕暮れのオレンジに染まりつつある空の下を、ユンは歩いた。ロイは家にいて、いつもと同じように気さくにユンを迎えてくれた。

 

 話すことはたくさんあった。昨日、魔術師の家に行って、大変不可思議な目にあったことを、ユンはや

や大仰に話した。ロイは目を丸くして聞いていた。


「……気づいたら、遠く離れた場所にいるって……そんなこと信じられないな」


 ロイは言った。ユンは真面目な顔で、


「でもそうなんだよ。本当にあったことなんだ。俺だって信じられないけど。これも魔術の一つなのかな」

「うーん……聞いたことがないけど……」


 ユンは苛立たし気に室内を歩いた。


「人間にそんな力があるのかな。それともその魔術師とやらが特別なんだろうか。でも変な事が立て続けに起こってるし……。人間は……そこまで竜が嫌いなのかな」


 ずっと心の中でもやもやしていたことだった。今まで人間たちとあまり接したことがないせいもあって、人間たちが竜をどう思っているかなど、よく考えてみたこともなかった。


「竜を嫌う人間はたしかにいるよ」


 苦笑して、ロイは言った。「ユンはほとんど人間に会わないだろ? でも僕らみたいに、人間の町に住んでいるとわかる。どう見られているかということが」


「でも――」ユンはゲオルクやルチアを思い出した。「全員じゃない」

「そうだね。竜に好意的な人たちもいるよ」


 ユンは腹立たしいような気持ちになってきた。


「竜が人間に何をしたっていうんだ? 特に悪いこともしてないじゃないか」

「うん。でもたぶん、恐れもあるんじゃないかな。僕たちは身体も大きいし、飛べるし、火も吐けるし……」


 ゲオルクも同じようなことを言っていた。「少し、恐ろしいだけ」だと。そういった気持ちも分からなくないが、どうも納得がいかない部分もある。


「――ユンは……知らないんだよ。ここで暮らしてないから。ここにいると人間とのトラブルも起こるよ。ここだけじゃなく、人間と関わりが深い竜たちはみなそうだと思うけど。交流があって、好意や友情が芽生えることもある。けれどもすれ違いも、どうしても生じてしまうんだ」


 ロイは壁にもたれた。表情がくもっている。何かを一生懸命考えているようだった。神経質に手を合わせ、それを意味なく動かしていた。


「ちょっと前に……僕がここに来てすぐの頃に事件があったんだ。ここに暮らす一匹の若者竜がいてね。小さな白い竜だった。小さな白い竜が、竜の世界でどういう扱いを受けているかわかるだろう? 彼はそのため竜の世界が嫌になって、ここに来たのだろうし、でも結局はここも竜の世界であることには変わりがないわけで――」


 ロイは何を言おうとしているのだろう。ユンは黙ってロイを見た。ロイはこちらを見ようとしない。視線を落とし、けれどもその目には何も写っていないかのようだった。


「彼はここで人間の女の子と仲良くなったんだ。でもそのうち彼らの間に諍いが起きた。それは彼にとってはすごくショックなことだったんだよ。その女の子の好意を失ってしまうということが。だって、彼にとってはその子が全てだったんだ。彼女にとってはただの気まぐれだったのだろうけど。でも竜の世界にも人間の世界にも居場所がないものにとってそれは――」


 ロイは言葉を切った。室内が静かになり、戸外の音が二匹の間に入り込んだ。竜たちの言葉がうっすらと聞こえた。意味までは聞き取れなかったが、それはたしかに竜の言葉で、ユンは、人間の町でここだけこの言葉が話されているということを、今さらながらに不思議に思った。


 ロイはユンを見ぬままに続けた。


「女の子はその白い竜に殺されてしまったんだ。そのことはもちろん人間たちの知るところとなったし、僕らは猛烈な反発を受けることになった。ここに住んでるとね、ユン、僕は自分が竜であることを、何度も深く意識してしまうんだ。竜の世界にいるときはそうでもないのに。僕は――だから僕は――人間が竜を憎むということもよくわかるし、僕は、竜であるわけだから……」


「ロイ!」ユンは叫んだ。嫌な話だった。うつろなロイの表情も嫌だった。ユンはロイを揺さぶるように大きな声で言った。


「竜の世界に帰ってこいよ。竜の世界にいればそんなこと考えなくてすむんだ。辛い思いをしてここにいることもないだろう?」

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