白い石

 グレンは石から目を離さぬままに、少し笑った。


「ほら、呼び出した影たちだよ。彼らに竜の肉を食わせたんだよ。味を覚えさせるためにね。嬉しいことにとても気に入ってくれた。だから影たちは竜を襲うんだよ。素晴らしく美味しい食料だってね。

 竜の肉の出所が気になるだろうけど、もちろん竜を殺したわけじゃないさ。それはご法度だ。だから墓を暴いたんだ。ああ、それも法に触れるか」

「……グレン――」


 ゲオルクは今度はわずかに前に出た。グレンが何をしたのか、いよいよとはっきりしてきた。ゲオルクは奥歯を噛みしめた。


「――そんなに竜が嫌いなのか」


 ゲオルクの言葉に、ようやく、グレンは彼の方へ顔を向けた。微笑はそのままに、表情は明るいままに。無邪気にグレンは頷いた。


「嫌いさ。そして竜が嫌いなのは俺だけじゃない。世の中には竜嫌いが少なくない数いて、そういう人々は影の存在を喜んだ。影は一つ一つはそんなに強いもんじゃない。ただ奴らは頑丈だし、貪欲なんだ。束になって竜にかかれば、竜だってかなわないだろう。竜の身体にやつらがびっしりと群がり、そして竜のほうは生きながらにして食われるんだよ。これは竜との戦いの際にはとても有力な兵器になると――喜ばれたよ」


 ゲオルクはふと違和感を覚えた。グレンの台詞にではなく、彼が持つ石に対してだ。わずかに光を帯びているように見えるのだ。そんなはずはない、と思い、ゲオルクは目を凝らした。けれどもやはり、石はうっすらと光っていた。


「――でもなあ、ゲオルク」グレンは言った。そして石を放り投げ、片手で受け止めるとそれをそのまま握りしめた。光は消えた。「異界から呼び寄せたものが、そんなにすんなりと人間の味方になるわけがないんだ。扱いが難しいんだよ。彼らは腹を立ててしまったんだ。パーティの夜にひどい目に合ったからね。そして考えるようになった。――人間の肉も美味しいんじゃないかなあ」


 グレンは声をたてて笑い、ゲオルクはそっと後ろに下がった。肩が、扉にぶつかった。グレンはどこかたがが外れていて、この室内でさえも、何かが歪んでいるように感じられ始めた。けれども出ていく気はしなかった。ゲオルクはそのまま、グレンを見つめ続けていた。


 グレンもまた、はっきりとゲオルクを見つめ返した。


「ゲオルク、俺はこれから少し出かけるんだ。その前に一度お前に会っておきたかった。お前のほうからやってきてくれてありがたかったよ」

「……どこに行くんだ?」

「遠くだよ。うんと遠く――」グレンはそう言って、少し声を低めた。「異界は一つではないんだ。たくさんあって、俺がこれから行くのはそのうちのどこかだよ」


 グレンの握りこぶしから、光が溢れてきた。石を握っている手だ。指のすき間から白い光が漏れる。それは不思議な光だった。蛇のように細く伸び、グレンの手にまとわりつく。


「それで置き土産を残していったんだ。城に」その光を見ながら、グレンは言った。「ちょっとした楽しい騒動が起こると思う。ゲオルク――今まで言ってなかったが、実は俺はね、竜よりも――もっともっと人間のほうが嫌いなんだ」


 それは穏やかで、なめらかな声だった。優しいとさえ言ってもよかった。今や光の蛇はグレンの腕をのぼっている。


 グレンはゲオルクを見つめた。楽しそうな瞳だった。これから何か心弾む出来事が待ち構えているような、あどけないな少年の瞳だった。グレンはゲオルクに明るく言った。


「さらばだ、ゲオルク。そしてお前は城に行けよ。お前ならなんとかなるだろう。城の、塔に行くんだ。そして今度はしっかり中を見るんだよ。何もない、なんて、そんなことはないのだから」


 光は腕から肩へさらに首へと広がっていった。また、それは一筋ではなくいくつもにわかれ、グレンの胸や腹、足までもを覆っていった。ゲオルクは声も出ず、動けもしなかった。ただ、自分に言われたことを反芻していた。城に、塔に行くのだ、と。


「さらばだ」


 グレンはもう一度言った。今や、光はグレンの身体全体を覆い尽くしていた。柔らかな白い光が、室内を照らし出していた。部屋の隅に置かれた奇妙な生き物の剥製の目が、光を反射して輝くのが見えた。そして――。グレンの笑顔もそれに覆い尽くされたと思った瞬間、全てが消えていた。




――――




 夕暮れの町を、馬車が駆けていく。人間の姿になったシーラは、馬車の中から、流れゆく光景を眺めていた。憂鬱だった。人間の姿になるのはとても久しぶりなことで、全てが慣れず、苦しい。


 服は身体を締め付けている。靴などというものも履かされる。薄い金色の髪はきつく縛られ、幅広の帯がお腹を押さえつける。シーラは目を――その目はとても薄いグレーであった――伏せた。馬車はとてもよく揺れる。だんだんと気分も悪くなっていく。

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