ユンが行方不明
「でもそんなことになったら嫌だな」
ゲオルクは笑った。幾分自嘲的な笑いだった。ゲオルクは続けた。
「竜と戦っても勝てそうにないだろう? この立派なうろこを見ろよ。槍が通用するかな? かぎづめに、牙もあるし、空も飛ぶし、火も吹くし――」
「でも人間がたくさんだとどうなるかわからないよ」
正直に、ユンは言った。さらに小さく付け加えた。
「それに大砲も怖い」
これもまた正直な気持ちなのだ。
ゲオルクはいっそう笑った。
「そんな日がこなければいいと思っているんだ。俺は騎士なんだが、戦うことがそんなに好きじゃないのかもしれない」
「でも強いんだろう? 姫さまがそう言っていたし、パーティのときも見事な剣の腕を見せてた」
「それとこれとは話が違うよ」
ユンは首を下げた。竜と人間が戦争をするなど、今まであまり考えたこともないことだった。それにこれからも考えたくない。そもそも竜と人間がそこまで大きい争いをしたことがあっただろうか。ユンは歴史の知識をさぐってみた。そう、多少の争いはあったかもしれない。人間は時に竜をわずらわせるからだ。けれども竜が怒れば人間たちはさほど歯向かいもせず大人しくなったし、それで大体は解決してきたのだ。
竜の歴史ではそうなっている。でも人間の方はどうなのだろう。
人間には人間の主張する歴史があるのだろう。そこでは竜はどのように登場するのだろう。竜がひどいことをする話ばかり作ってきた人間なので、あまりよいようには描かれてないぞ、とユンは思った。ゲオルクはどんな歴史を学んで、どんな竜の像を心に描いてきたのだろう。
きいてみたい気がする。でも何故かそれができなかった。
別に今でなくてもいいんだし、と思った。また別の機会にきけばいい。ユンは闇の向こうを見た。夜は静かで穏やかだったが、時折、少し強い風が吹いた。風は森を駆け抜け、木の葉を揺らした。空では雲が走っている。火が煽られて、その形をゆらゆらと変えた。
明日も長旅になるんだし、今日は早く眠ったほうがいいなと思い、ユンは胸の迷いを振り払った。竜と人間の歴史のことはいったん頭からどける。そして、脇腹にゲオルクの重みを感じながら、明日の道程を考えるのだった。
――――
その翌日のこと。竜の住む洞穴、ユンの家族の住まいではちょっとした騒ぎが起こっていた。
昨日から、ユンが帰ってこないのだ。連絡一つない。こんなことは初めてだった。セオもベルもシーラも不安の中で眠りにつき、そして翌朝になってもやはりユンは帰ってこないので、セオが探しに行くことになった。
それから数時間経ち、日はすっかり高くなったけれど、ユンもセオも洞穴に戻っていない。洞穴の一室では、ベルがいらいらと歩き回り、それをシーラが落ち着かない気持ちで見ていた。
「たぶん、ユンはどこかで遊んでるんじゃないでしょうか」
シーラが言った。昨夜から、自分にそう何度も言い聞かせていることだった。ベルは腹立たし気にシーラを見た。
「リーじゃあるまいし! それにリーは成竜だけど、ユンは子どもなのよ」
「子どもといっても、もう80ですし……」
「子どもよ!」
ベルはきっぱりと言った。確かに子どもかもしれない、とシーラは思った。けれどもそろそろ親に内緒で、こっそりと外泊をしてみたくなる年頃かもしれない。
とはいえ、ユンが実際にそんなことをするか、シーラには確信がもてなかった。シーラはじっと一隅に座っていたが、ベルと同じように部屋の中を歩き回りたかった。けれどもそんなことをしても何も意味がないこともわかっていた。
突然、ベルが止まった。ベルはシーラを見ると言った。
「人間のところへ行きましょう」
「人間?」
「城よ! 人間の城に行くの!」
シーラは驚いて、ベルの顔を見た。ベルの顔は大変真剣で、そして怒っていた。ベルは歯ぎしりをせんばかりに言った。
「ユンの話を聞いたでしょう? 塔に近づいて竜の姿が保てなくなったこと、そして、パーティに現れた謎の影……。人間たちの世界で何かよくないことが起きているのは確実なのよ! そしてそれは竜を害しようというものなの! きっと……ユンは……ユンは……人間たちの卑劣な罠にかかったに違いないわ!」
「で、でも、お母さま……」
シーラが声をかけたが、ベルは何も聞いていなかった。
「こうしてはいられない。ああ、どうしてもっと早く行動を起こさなかったのかしら。こうしている間にも、ユンの身に何か危険なことが……取返しのつかないような……いえ、まだ大丈夫よ! さあ急ぎましょう! 急いで城に行くの!」
「私もですか?」
シーラは恐る恐るきいた。今まで人間の城はおろか、人間の町にさえ行ったことがなかった。ベルは吠えるように答えた。
「当然でしょう!」
かくて、ベルとシーラは城に行くこととなった。セオと入れ違いにならないよう、身の周りの世話をしてくれる竜に重々留守を頼んで。昨日の夜から心配で疲れていたシーラはベルにひきずられるようにして、すみかを後にしたのだった。
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