5. 秋の野

秋の野

 ユンの目に最初に飛び込んできたのは、青い空だった。高く澄んだ空が広がっている。ユンはしばらくその青空を見つめていた。


 どうやら地面に仰向けに転がっているらしい。一体何故? とユンは思い出そうとした。竜の姿じゃなくて、人間の姿になっている。そうだ、今日は人間の姿で、ロイのところに行ったんだった。そして――そして、ゲオルクがやってきて……一緒に知り合いの魔術師のところに行って――……。


 その魔術師の家だ。そこの書斎でおかしなことが起こったんだ。そこまで思い出して、ユンは素早く起き上がった。そういえば、ゲオルクはどこにいるんだろう。机の上から謎の光が溢れたときにそばにいたのに。


 ゲオルクはユンからわずかに離れたところにいた。ちょうど彼も起き上がったところだった。一匹と一人の目があった。ぼんやりと、ゲオルクが言った。


「ここはどこなんだ?」


 ユンは辺りを見回した。森の中の、少し開けた空き地のようだ。ユンはゲオルクのもとへと近づいた。ゲオルクもユンの方へ近寄った。


「怪我はないか?」


 優しい、ゲオルクの一言であった。ユンは首を横に振り、ゲオルクを見た。


「そっちは?」

「俺は大丈夫だ。それにしても……一体何故、こんなことに?」


「あの魔術師のせいじゃないかな」ユンは言った。「あの机に変な魔法でもかけてあったんだよ。そして、わけのわからないところへ飛ばされてしまった」


「ここがどこかわかればよいのだが」


 ゲオルクが立ち上がった。森の中を透かし見る。森はまだずっと続いているようだった。


「まったくわからないのは困る。どうやって町まで戻ればいいのか……」

「飛んでみれば何か手掛かりはあるかも」


 ユンはそう言って、たちまち竜の姿になった。驚くゲオルクを置いて、空へと飛びあがる。森の木々よりずっと上までのぼって、周囲を眺めてみた。


 森は続いている。けれども途切れて草原も見える。辺りを囲む山々。ユンはくるりと向きを変えた。遠くの岩山に、ふと見覚えがあった。ユンは岩山のほうへ近づき、注意深くそれを見つめて、そしてはたと思い出した。知っている山だ。ここには竜のすみかがある。ある一族の族長が住んでいて、俺は父さんと一緒に少し前に彼を訪ねたことがある。


「ここがどこだかわかったぞ!」


 ユンは急いで、ゲオルクの元へ戻った。地上に降り立ち、興奮気味に言う。


「俺、前にこの辺に来たことがあるんだ! 町への帰り道もわかるぞ!」


 ゲオルクがほっとした笑顔になった。


「ありがたい。町までは結構かかるのか?」

「うん……。竜の翼で丸一日ってとこかな」

「……それだと人間の足だとどれくらいかかるか……」


 ゲオルクは落胆して呻いた。ユンが元気づけるように明るく言った。


「俺の背中に乗ればいいよ!」

「や、いや、それは……」

「まあ確かにあまり乗り心地はよくないかもしれない」


 人間を背中に乗せるのは、ユン自身初めてのことであった。だから相手の乗り心地のよさなどはよくわからない。そもそも人間を背に乗せた竜の話はあまりきかない。ユンたちが人間と関わりが薄い生活をしているからかもしれないが。


 少し戸惑っているユンに、ゲオルクは言った。


「いや、乗り心地の問題じゃないんだよ。わざわざ申し訳ないなあということだよ。人間にしてみれば、誰かをおぶって長い道のりを歩くようなものだろう?」


 ユンは笑った。


「なんだ、そんなことか。そんなの全然気にしなくていいよ。人間なんて軽いもんだよ。乗せたことはないけど。でも見るからに小さいわけだし」


 ゲオルクは苦笑した。


「それならば、お願いしようか」




――――




 人間は確かに軽いものではあった。けれども竜の背中というのは人間を乗せるようにはできていない。そして人間も空の上を無防備に、早い速度で移動するようにはできていない。


 落ちないように翼の付け根にしっかりとゲオルクが掴まった。ユンもまた落とさないようになるべく平行な姿勢を保つ。人間は重くはないが、背中に異物があるのは慣れないせいかどうも緊張して疲れる。ゲオルクも疲れているようだった。途中で休憩をはさみつつ、一匹と一人は町を目指した。


 やがて日が暮れた。野営をしなければならない。川を見つけ、その近くで二人は休むことにした。まずは喉をうるおした。川の水は冷たく、疲れた身体にはありがたい。


 秋の森は美しく、探せば食べられそうな木の実も見つかりそうだった。澄んだ川をのぞけば、魚の姿も見える。とりあえず夕飯にはありつけそうだと、ゲオルクは笑った。


「ユン、おまえはどうするんだ?」


 ゲオルクがユンを見上げた。「夕飯だよ。おまえもおなかが空いてるだろう? 竜は何を食べるんだ? その身体ではさぞやたくさん食べるんだろうが……」


「おなかは空いていないよ」


 とっさに、ユンは答えていた。そして続けた。


「竜は3日に一度くらい食事をすればそれで充分なんだよ。俺は昨日たっぷり食べた。だからおなかは空いてない」


 嘘だった。竜の食事が3日に一度程度なのは本当だが、その先が嘘だ。昨日は何も食べていない。ユンははらぺこだった。けれどもそれをゲオルクに隠してしまったのだ。


 竜は野山の獣を狩って食べる。もちろん調理などしないし、狩ったものをそのまま食べる。生のまま、顎を血にぬらして、骨を噛み砕いて、豪快に食べるのだ。それを何故かゲオルクに知られたくなかった。


 自分のとった行動に、わずかに動揺し、ユンは内心理由を考えた。だって――ゲオルクが、人間がどう考えるかわからないし。血をしたたらせながら動物の肉を食べる姿を見たら、恐ろしいと思うかもしれない。


 それに……野蛮だと軽蔑するかもしれない。


 ユンはゲオルクに向かって再び言った。


「大丈夫。だからゲオルクは自分の夕飯のことだけ考えればいいよ。そうだ、魚をとるのを手伝おう」

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