暗い書斎

 グレンの家は、裕福なものたちが暮らす地区にあった。並ぶ建物は大きく、そして静かだった。ユンが居心地が悪そうに、辺りを見回している。竜の姿は一つもない。竜たちの中には人間の世界で富や名声を手にしたものもいるが、数はそんなに多くないし、やはり彼らも人間とは離れた場所で暮らしていることが多い。


 一軒の家の前にたどり着いた。グレンの家だ。玄関の扉からは、老いた女性が出てきた。痩せており、乾ききった冷めた表情をしていた。彼女はこの家の召使で、グレンは今外出しているとのことだった。けれどもほどなく帰るらしい。ゲオルクとユンは部屋で待たせてもらうことにした。


 来客用の部屋に、一人と一匹は居心地悪く腰を下ろした。外も静かであったが、中も恐ろしいくらいに静かだ。やはり、ユンを連れてくるんじゃなかった、とゲオルクの後悔の気持ちが募っていった。グレンが帰ってくる前に、ここを辞する何かよい理由はないか、そんなことまで考えていた。


 部屋は重たく、薄暗かった。綺麗に片付けられてはいたが、家具の一つ一つが暗い色で、華やかなものは何もなかった。部屋に置かれている全てのものが、疲れて、その場にうずくまっているかのようだった。ユンが言った。


「どのくらい待つことになるんだろうな」

「そんなに長くはないだろう。すぐに帰ってくるようだったし……。――ところで、ユン、俺は――」


 引き返すよい理由を考えて、ゲオルクが黙ると、ユンが思わぬ提案をした。


「ちょっと家探しをしてみようか。主が帰ってくる前に少しあちこちを見てまわる」


 ユンの目が光っている。ゲオルクはたしなめた。


「ユン。そんな行儀の悪いことをするもんじゃない」

「でもさ、ゲオルク。この魔術師は――そう、ちょっとあやしいんだろう?」


 ゲオルクは言葉に気を付けてグレンのことを語ったつもりだったが、不信感が表に知らず知らずのうちに現れていたらしい。ぎくりとして、ゲオルクが沈黙していると、ユンはたたみかけるように言った。


「ほんの少し、くるっと家の中を一周するだけさ。あのおばあさんは耳が遠いようだし、他に人もいなさそうだし、ほんとに、ちょっとだけ」

「グレンと鉢合わせするとまずいことになるぞ」

「うん。だから手早くすませてしまう」


 ゲオルクはため息をついた。不精不精、ユンの案に乗る。家探しは実は、ゲオルクの心の中でもやってみたいことではあった。グレンは何かを隠している。そのヒントが見つからないとも限らないからだ。




――――




 そっと足音をしのばせて、部屋の外に出る。静まり返った家の中を、一人と一匹はこっそりと歩いた。


 音をたてぬようドアを開けて、いくつかの部屋を見ていった。食堂。居間と思しき場所。その内の一つに、机と本棚の並ぶ小ぢんまりとした部屋があった。


「書斎かな」


 ユンが呟いて、中に入っていった。ゲオルクも後に続く。先程二人がいた部屋よりもずっと狭く、陰鬱だった。


 本や箱や置物やわけのわからぬがらくたが、床にも乱雑に散らばった室内を、二人は用心して歩いた。奥の、どっしりとした広い机に近づいて行く。ゲオルクは何かを蹴飛ばし、慌てて床を見た。それはひからびたトカゲのような代物だった。ゲオルクに蹴飛ばされその得体の知れぬものは、部屋の隅へと転がっていった。ゲオルクはそれが何か、確かめてみようとは思わなかった。


「ここに何か面白いものはあるかな」


 紙が散乱し、本や筆記具やそのほかの小物が無造作に置かれた机の上を見て、ユンは言った。ゲオルクは背後を警戒した。何の音もしないが、グレンがいつ帰ってくるだろうかとびくびくしているのだ。ざっと机の上のものを見るだけにして、元いた部屋に早く戻りたい。


 これが一対一の対決とかならばこんなに後ろめたい思いをすることはないのに、とゲオルクはいささか腹立たしく思った。こういうことは、盗人か何かのようなことは自分には向いていないのだ、とゲオルクは若干自分に酔いながら、さらに強く思った。


  一方、そんなことはまったく気にしていないようなユンであった。もの珍しそうに机の上のものを見ていく。


「魔術師がどういう職業なのかよく知らないけど」机だけでなく、周囲の棚なども見回しながらユンは言った。「この部屋にはいろんなものがあるなあ。そもそも人間はものを持ちすぎなんだよ。こんなにたくさんため込む必要もないだろ?」


「ユン、無駄話をしている時間はない」

「そうだな。ゲオルク、何か気になるものはあるか?」

「どうだろう……」


 ゲオルクは机に触れた。その途端、痛みが指先に走った。手をどけようとしたが、動かない。ゲオルクはあせり、ユンの名を呼んだ。


「……ユン……何かこの机はおかしい――」

「どうしたんだ?」


 ユンの手がゲオルクの腕に触れる。その途端、光が走った。まばゆい、目を開けていられないほどの光が、机からあふれ出た。


 ゲオルクは咄嗟に目を閉じた。声もなかった。腕に、ユンの手の感触がある。ただ、それだけだった。いつの間にか痛みは消え、そして机が消失していた。目を閉じていたわけだから、はっきりと確認したわけではないが、けれども指先に触れるものはなくなっていた。


 耳元でユンが何かをわめているように思う。しかしそれもすぐに聞こえなくなった。宙に放り出されたような感覚があり、いつしかゲオルクは意識を失っていた。

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