竜の唄

 ゆったりとした節を伴って、古い時代の言葉が、その竜の口から出てきた。今とは違う言葉なので、ユンにはその半分も理解できない。竜の唄は高くなり低くなり、吠えるように嘆くように、辺りに広がっていった。古い時代の竜たちの出来事をうたっているのだ。戦いがあり恋があり、仲間があり家族があり、笑いがあり哀しみがあり。今は失われているけれども、しかし、今と変わらぬ部分がある、そんな竜たちの世界がそこにはあった。


 人間にはこれはどう聞こえるのだろう、とふとユンは思った。ゲオルクやルチアには。ユンには美しいものとして聞こえる。けれども人間にはどうなのだろう。ただ、自分らとは異質な獣が、謎のうめき声をあげてるようにしか聞こえないのではないか。


 ユンは竜たちを見た。炎に照らされて、輝く竜たちの姿がそこにあった。宝石箱を覗くように、色とりどりに美しい。けれども人間はどう思うのかな。


 ユンは目を閉じた。俺にはわからないや。そう、俺は人間じゃないから。根本的なところで、彼らの心情を理解することができないのだ。




――――




 それより数時間ほど前のこと、ゲオルクはまた城内の魔術研究棟にいた。魔術師たちが三々五々、くつろいでいる部屋の一室で、ゲオルクは人を待っていた。やがて、その人物は現れた。グレンであった。


 ゲオルクはグレンに会いにきたのだ。塔の話をより詳しく聞くために。ゲオルクはわずかに緊張した。けれどもグレンはいつもと変わらぬ愛想のよい笑みを浮かべており、二人は連れ立って窓辺へと赴き、その近くの椅子に腰を下ろした。


「――昨夜、パーティで起きた出来事は知っているか?」

「話は聞いた。何やら不気味な化け物が現れたらしいな」


 グレンはくすくす笑った。現場にいなかったせいもあるのか、あの一件を深刻に受け止めていないようだった。


「グレン、聞きたいことがあるんだ」


 ゲオルクが真剣な表情で身を乗り出した。グレンの顔から笑みが消えた。ゲオルクは言った。


「城内のはずれに、古い塔があるだろ? 呪われているとかいう噂の塔だ。あそこは現在は使用されていないはずだ。でもこっそりとそこに出入りしているものたちがいるという。それは本当なのか?」


 グレンの瞳に、何かいたずらっぽい光が走った。グレンはゲオルクを見て、穏やかに言った。


「俺や、俺の友人たちがそこを使っているよ」


 ゲオルクは驚いた。そして早口で言った。


「昨日出てきた謎の影たちは、その塔に帰っていったんだ。塔と関連があるのかもしれない。なあ、グレン、おまえたちはあそこで何をやっているんだ」

「別に何も。昼寝をしたり、ゲームをしたり」

「グレン!」


 グレンは笑った。「ゲオルク、おまえ、あの塔の中に入ったことがあるのか?」


 グレンの質問にゲオルクは答えた。


「ある。昨日の夜にな」

「何もなかったろ?」

「そう、確かに何もなかった……」


 グレンがからかうような笑みを浮かべたまま、ゲオルクを見つめている。ゲオルクは苛立ちを覚え始めた。


「グレン、昨夜の一件はさすがに看過できないものだ。王室が調査に乗り出すぞ。おまえもそんなふうにのらくらとはぐらかしているわけにはいくまい」

「親切だな。警告をしてくれているんだ」

「そういうわけでは……」

「調べたければ調べるがいいさ。そうだな、そこで俺たちは何かよからぬことをやっていたのかもしれない」

「竜が襲われたんだ」


 ゲオルクははっきりとした口調で言った。「パーティに来ていた竜たちが。招いたのはこちら側なんだ。それなのに危険な目に合わせた。これは大問題だろう」


「ふむ、竜か」グレンの目が輝き、尊大な、何かに挑戦するかのような笑みがその顔に現れた。「俺は竜が大嫌いなんだ」


「グレン」


 ゲオルクはまごついた。ではやはりグレンは、今回の騒動を引き起こした一派の一人なのだろうか。グレンはどこまで知っており、どこまで関わっているのだろう。


 ゲオルクが黙っていると、グレンはさらに言った。


「ゲオルク、おまえもそうだろう?」それは優しい声だった。「騎士にとっての敵の一つは竜なんだ。竜を想定した訓練を行うだろう?」


 ゲオルクはまだ黙っていた。けれどもようやく、呟くように言った。


「それはそうだ。けれども俺は竜が嫌いなわけじゃない」


 グレンは目を伏せた。相変わらず、優しい声だった。


「――竜を倒すために、さらに強力な兵器の研究することもあるだろう? 魔術師の世界でもそれは同じなんだ。俺たちは、周りがやっていることを、こちらで独自に洗練された形で行っただけなんだ」

「だったら、黙っていることもないだろう? 公にして賛同者を募ればいい」


 グレンは薄く笑った。目を上げ、ゲオルクを見た。ゲオルクはそこにある眼差しを、どう理解すればよいかわからず、戸惑った。


「俺たちに賛同するものも、たくさんいるかもしれないな」


 グレンが何を考えているのか、わからなかった。ゲオルクは再び黙った。




――――




 グレンとの面会を終えて、ゲオルクは魔術棟を後にした。疲労ばかりが残っていた。結局、何も得られなかった。いや、グレンが今回の一件に関わっているであろう、強力な手ごたえはあった。けれども彼がどこまで本当のことを言っているのか、わからない。


 アントンが、グレンはいつも演技をしているようだと言っていた。ゲオルクもそれに同意したのだ。グレンのことはいつも、よくわからない。彼はいつも、本心を隠しているように思う。ゲオルクには、彼が上手くつかみきれない。


 グレンとは年が近く、同じく同年代のアントンを通じて、時折話をすることがあった。異国風の顔立ちをしたグレンは、目立つ存在であった。グレンの生い立ちのことも、周囲から聞かされていた。本人は決して口にしないが、いろいろと苦労することも多かったのだろう、と同情することもあった。

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